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baseball2024.08.30

新庄剛志が変える球界の勢力図、北海道から始まる歴史的な瞬間。

自分もその中の一人に含まれること、例外はもちろん存在することを自覚したうえで言わせてもらうと、スポーツファンとは、基本的に保守的な存在である。

ここでいう「保守的」という言葉に、政治的なニュアンスは一切ない。進歩系だろうが革新系だろうが、ことスポーツに関する限り、前例を重んじ、伝統や習慣から逸脱することを敬遠しがちな傾向は例外なく見ることができる。

阪神の矢野前監督は、就任期間中、全シーズンでAクラス入りを果たしたことからもわかるように、決して能力の低い監督ではなかった。もちろん、どれほど優れた監督であっても、一定の非難、批判とは無縁でいられないものだが、いまから振り返ってみると、就任中の彼に向けられた厳しい声の中には、ファンやメディアが保守的であるがゆえに生じたものが少なくなかったように思う。

昭和然とした監督と選手の関係ではなく、仲のいい教師と生徒のような関係を築こうとした矢野は、選手を名字ではなく、名前で呼ぶことを心がけていた。だが、威厳よりは親しみやすさを押し出したこのやり方は、「監督らしくない」との反発を呼び起こした。ホームランを打ったバッターにメダルを授与するメジャー・スタイルのセレブレーションは「日本らしくない」、開幕前に自らの退任を発表したことに関しては「前例がない」──善し悪しはともかくとして、こうした反応が保守的か、進歩的かということに関しては、いうまでもないだろう。

そう考えると、新庄剛志と北海道日本ハムファイターズの2年間は、ちょっとした奇跡にも思えてくる。
 

そもそも“監督”就任記者会見からして、新庄剛志はとんでもなく破天荒だった。なにしろ、「監督なんて呼ばないでください」「ビッグボスと呼んでください」「優勝なんか目指しません」である。前例にない、どころか、常識の全面否定ですらある。阪神ファンからも愛された新庄ではあるものの、同じことを阪神の監督としてやっていれば、上を下への大騒動になっていたことだろう。

ただ、これはあくまでも個人的な印象なのだが、常識の範囲内における“進歩系”だった矢野が猛烈な反発にさらされたのに比較すると、新庄に向けられた逆風は、ほとんどそよ風といってもいいぐらいだった。矢野の行動に関しては激昂する在阪のメディアやファンも、なぜか新庄の行動については苦笑混じりに見守っていた感がある。

もちろん、矢野が率いているのは世界でもっとも宗教的な意味合いを持つチームのひとつ、阪神タイガースであり、元阪神の“ビッグボス”とやらのチームは直接自分たちとは関係のない、北海道のチームだったということも無関係ではないだろう──在阪のメディア、ファンに関しては。

だが、新庄に優しかったのは、関西のメディアやファンだけではなかった。首都圏でも、それから北海道でも、わたしの知る限り、「こんなことは許されない!」と激昂した解説者は、一人としていなかった。「優勝なんか目指しません」という発言は、シーズン前に退任を発表するよりはるかに問題発言だと思うのは、わたしだけだろうか。

以前にも書いたが、わたしは以前、新庄剛志の単行本というか、フォトブックのようなものを共著という形で出版したことがある。その中に掲載するロングインタビューのために、2時間だか3時間、ホテルのスイートルームでじっくりと話を聞かせてもらったことがある。

阪神ファンとしてのわたしにとって、新庄剛志と言えば92年の“亀新フィーバー”であり、その後の藤田監督の衝突と「センスがないので引退します」宣言であり、また、野村体制での二刀流挑戦だった。一言でいってしまえば「破天荒」あるいは「傍若無人」。そうそう、彼を評して「宇宙人」という声もあったが、なんとなくそんなイメージも持っていた。


ところが、いざ膝を突き合わせて見ての印象はまったく違った。なんというか……上手いのだ、こちらの気持ちをつかむのが。こちらがサッカー畑の出身だと知ると、自分がいかにサッカーが好きだったかを滔々と語り、かと思えば当時結婚したばかりの妻の存在がいかに大きかったかをあっけらかんと口にする。宇宙人、言葉が通じないという先入観を捨てきれずに取材に臨んだわたしは、ジェットコースターのようではあっても、きちんと打てば響いてくれる新庄にすっかり魅了されてしまった。

思うに、藤田監督の衝突したころの新庄は、もしかすると本当に宇宙人、あるいは自分のテリトリーの外にいる人間に対しては心を開かない時期だったのかもしれない。だが、上の世代の人間からすると、そういうタイプの若者は、脅威であると同時に、目茶苦茶に気になる存在でもある。彼らと心を通わせることができれば、自分が古くさい人間ではない、時代遅れの人間ではないという証文を手にしたような気分になれるからだ。古田敦也にはあれほど手厳しかったノムさんが、大方の予想に反して新庄を可愛がったのも、そんなことが関係していたのでは、とも思った。

つまり、常識人が打ち出した“進歩”には反発してしまう人でも、新庄のようなタイプが標榜した超革新は、何となく許せてしまう。新庄だったらしょうがないか、と思えてしまう。

そして、他ならぬ新庄自身が、藤田監督との“失敗”、野村監督との“成功”を教訓とし、加えてメジャーでの生活を経験したことによって、彼なりの人心掌握術をつかんだような気もする。

実際、日本ハムの指揮官となってからの彼は、常識破りのアイディアを次々と打ち出す一方で、およそ水が合うとは思えない阪神・岡田監督を持ち上げるなど、一世代、二世代上の指導者や評論家と良好な関係を築いていった。日本ハムと同じく、2年連続最下位となった中日の立浪監督が厳しい批判の声にさらされたのに比べれば、雲泥の差だった。

新庄剛志が幸運だったのは、ファイターズが本拠地となる北海道が、そもそも全国からの移住によって発展していった、言ってみれば「開拓者精神」の色濃く残る地域だったこと、そして、就任2年目には新しいスタジアムへ移転することが決まっていたことだった、かもしれない。


就任1年目と2年目、ファイターズの成績を見てみると、実はほとんど代わっていない。ただ、パッとしない成績を忘れさせるぐらい、新スタジアムの魅力は絶大だった。そして、最初から「豊作」を狙わず、時間をかけて耕していく、成長させていくというビッグボスの描いたイメージは、道民にとって受け入れやすいものだった。

そして、最下位に終わった2シーズンの間に、土壌は変わっていった。

新庄体制の1シーズン目が終わったオフに、松本剛にインタビューしたことがある。「優勝なんか目指しませんという言葉は本当でしたか?」というこちらの問いに対し、彼は真顔で「本当でした」と答えた。「どういうところが?」と畳みかけると、彼は言った。

「ここでこの選手使うんだとか、そういうことが結構あったんですよ」

どんな場面で、どんな選手を使ったのかまでは、松本は口にしなかった。だが、選手をも驚かせる起用法を2年間続けなければ、9人もの選手がオールスターのファン投票で選出されることもなかっただろう。なにしろ、21年のオールスターに出場したファイターズの選手は2人、ファン選出は一人もいなかったのだ。

今シーズンのパ・リーグは、ソフトバンクが独走している。正直、ファイターズが逆転でペナントを手にすることは考えにくい。ただ、スポーツチームが強くなっていくうえで必要な人気、スタジアム力、資金力すべての面で、いまの日本ハムは合格点を手にしつつある。このままの流れが続いていけば、パシフィック・リーグが北海道と福岡、日本最北端と最南端で覇権を争う時代が来るかもしれない。

たった一人の監督が、球界の勢力図を動かすようなことは、そうそう起こることではない。だが、新庄剛志でなければ、北海道でなければ起こり得なかった事態が、いま、まさに起こりつつある。わたしたちはいま、歴史的な場面に立ち会わせているのかもしれない。

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