鈴木彩艶、アジアカップで味わった経験を武器に、日本代表の不動の守護神へ!
アジアカップで優勝を逃した要因の一つに、GK鈴木彩艶の起用をあげる声がある。
わからないではない。確かに、彼のプレーは合格点はおろか、及第点にも届かないレベルだったようにおもう。失点の少ないGKはいいGK、多いGKはダメという見方にわたしはまったく賛同できないが、とはいえ、初戦のベトナム戦がそうだったように、明らかな鈴木個人のミスによる失点もあった。タイトルの懸かった大きな大会の場合、たった一度であっても、ミスを犯せば断罪されてしまうのがGKというポジションでもある。
何より、信頼できる守護神が最後尾に控えているのといないのとでは、フィールドプレーヤーのプレーもにも変化が出てくる。想像していただきたい。背後に不安を抱えたDFと、何かあっても最後はGKがいると思ってプレーするDF、どちらがより積極的で集中した守備をできるかどうか。残念ながら、アジアカップでの鈴木は仲間たちに安心感を与える存在ではなかったし、フィールドプレーヤーにとっての鈴木は、むしろ自分たちが擁護しなければならない存在だった。
GKが鈴木でなかったら、日本はアジアカップで優勝できたのか。そう問われれば、わたしは「イエス」と答える。
では、森保監督は鈴木を使うべきではなかったのか。アジアカップ優勝が日本サッカー界にとっての至上命題だったのであれば答は「イエス」、しかし、重要な大会ではあるものの、W杯とは比べ物にならないという前提にたつのであれば、迷いつつ、「ノー」の札をあげる。
W杯を戦う上で、GKは日本最大の弱点でからである。
奥寺康彦がケルンに渡って以来、多くの日本人選手が海を渡っていった。壁に跳ね返された選手がいた一方で、現地のファンから愛され、伝説的な存在となる選手も現れた。シャルケのファンにとって、チームを1部に復帰させてくれた板倉は忘れられない存在だろうし、シュトゥットガルトのファンは遠藤の名前の前に「LEG」をつけるほどに愛していた。「LEG」+「ENDO」で「LEGENDO」である。
グラスゴーでは中村俊輔が伝説となり、いまは古橋や前田がそのあとを継ぎつつある。ローマのファンにとって、中田英寿がユベントス戦で決めたミドルシュートは、阪神ファンにとってのバックスクリーン3連発にも等しい存在であり続けている。
だが、いまだかつて、日本人GKでその域にまで達した選手は現れていない。
イングランド・ポーツマスに移籍した川口能活以降、ヨーロッパから声をかけられた、あるいは挑戦の舞台としてヨーロッパを選んだ日本人GKは何人かいる。レギュラーの座をつかみ取り、一定以上の試合に出場した選手もいる。ただ、厳しい見方をすると、過去にどんなに活躍した日本人GKも、世界基準で評価すれば、せいぜい「並」でしかなかった。ワールドクラスではまったくなかったし、インターナショナル・クラスでもない。そのクラブに所属した歴代GKの中ですら、最高ではなかった。
日本サッカーの実力がすでに世界でもトップクラスにあるというのであれば、これは大した問題ではない。W杯史上最強にあげる人も多い70年のブラジル代表は、実は、ブラジル代表史上最低のGKと評されることもあるフェリックスにゴールマウスを任せていた。試合のほとんどの時間帯で主導権を握り、かつカルロス・アルベルトというワールドクラスのセンターバックが鎮座していたブラジルからすれば、GKの不安定さなどさしたる問題ではなかった、ということなのだろう(ちなみに、このときの控えGKは、後にJリーグで指揮をとることになるエメルソン・レオンだった。彼もまた、ムラっ気の多いGKとして知られていた)。
だが、現時点での日本代表は、以前に比べれば信じられないほど強くはなったものの、世界の列強を圧倒するほどではない。というより、仮にW杯を勝ち抜いていくことができたとしても、大会の終盤は押し込まれる展開の試合が多くなると見るのが普通だろう。
となれば、GKの力が重要になってくる。いまはそうでなくとも、ひょっとするとワールドクラスになってくれるのでは、というGKが欲しい。森保監督がその第一候補として鈴木に期待したのは、非常によくわかる。
そもそも、日本代表の候補となるようなGKの場合、その能力にさしたる違いはない。誰だってスーパーなセーブをすることはあるし、高いボールも問題なく処理できる。ただ、鈴木の場合は、他のGKと比べて、いや、世界のGKと比べてもトップクラスなのではないか、と思わせる能力が一つある。
フィードの正確性と距離である。
ある、ポゼッション・サッカーを信奉するJリーグの監督からこんな話を聞いたことがある。そのチームのGKには安定感があり、また、フィードも正確なことで知られていた。監督としても、彼に不満があったわけではない。無い物ねだりであることは、監督自身も自覚していた。
「あと10メートル、いや、あと5メートル飛ばせるキック力があれば、一発で裏返しできるんですけどねえ」
平均的なキック力の持ち主だったそのGKの場合、どれほど思いっきり蹴っても、ボールはセンターサークルを超えるぐらい、だった。だが、あと10メートル飛ばせるキック力があれば、相手の最終ラインは1発で背後をつかれることを警戒しなければならなくなる。そのことが、相手を押し下げ、中盤で自分たちが優位に立つことにもつながる。それが、監督の「無い物ねだり」だった。
鈴木には、そのキック力がある。そして、日本には、技術的にはともかく、スピードだけであれば世界のトップクラスと言えそうな選手が何人かいる。1発で相手最終ラインを「裏返す」ことのできるGKの存在は、相当な抑止力となりうる。
もちろん、どれほど傑出したフィード能力があろうとも、味方に安心感が与えられないのでは本末転倒になってしまう。アジアカップにおける鈴木は、自分の武器をほとんどチームのために生かせず、ただ自信のなさだけをさらけ出してしまった。
下のカテゴリーに目を向ければ、小久保玲央ブライアンが五輪最終予選で目ざましい活躍を見せている。「頼む、止めてくれ!」と祈るような場面で止めるのは、ある種の才能といっていい。どれほど素晴らしい能力を持ちつつも、なぜか肝心な場面で頼りにならないGKというのは、残念ながら存在する。
ただ、小久保に鈴木のようなフィード力があるかと問われれば、現時点では肯定する気にはなれない。フィードの距離だけでなく、その正確性においても、小久保のそれはごくごくアベレージ・レベルにすぎない。
そのあたりを、森保監督はどう考えるのか。
フィード能力とは、ボクシングにおけるパンチ力のようなもので、努力である程度補えるものであると同時に、超えられない一線というものもある。と同時に、大事な場面で神がかってくれる能力も、そのGKのパーソナリティによる部分が大きく、後天的に改善できるものではなかなかない。アジアカップで、ついぞ自信に満ちあふれた、いや、仮に自信がなかったとしても、あるように見せる工夫を、鈴木は見せてくれなかった。
イラク戦で板倉がPKを取られた時、82年スペインW杯における西ドイツの伝説的なGKハラルト・シューマッハーよろしく、「俺に任せておけ」とでも肩を抱いておけば、結果はともかく、印象は変えられたのに、と古参のファンとしては思ってしまう。
男子、三日会わざれば、という言葉があるように、アジアカップでの経験が、あるいはその後の日常が、およそタフには見えなかった鈴木のメンタルを変えていく可能性はある。なので、見切りをつけるのは、もうしばらく待とうと思う。
しかし、いいところなく終わったアジアカップでのプレーは、彼に特別な期待をかけている監督でなければ今後代表に呼ぶこと自体を考えたくなるような出来だった。あの大会で背負ってしまったマイナスイメージは、そうそう消えるものではない。
紆余曲折もあり、日本は戦わずしてW杯・アジア2次予選の突破が決まってしまった。ラクができた反面、鈴木からすれば重圧のかかる状況で自分に何ができるか、証明する機会を失ってしまった、とも言える。
本大会を勝ち抜くために、GKのスーパーな仕事が求められることに変わりはない。果たして誰がその役割を務めるのか。現時点では、ほぼ白紙である。
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