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baseball2024.09.27

山本由伸、逆境を乗り越え、勝負のポストシーズンでの活躍に期待!

いまでは有名なエピソードになってしまったが、巨人、メジャーリーグで活躍した上原浩治さんは元来、熱烈な阪神ファンである。どれぐらい熱烈だったかというと、巨人時代、甲子園で「あと一人」「あと一球」コールが流れると、ついリズムをとってしまうぐらい熱烈だった。あと一人、あと一球コールが流れるということは、巨人が負けているということなのだが。

いまから20年近く前に初めて本人の口からそのエピソードを聞いたとき、当然のようにある疑問が沸き上がってきた。

「だったらなんで、ドラフトで巨人を逆指名したんですか?」

上原さんは苦笑した。

「職業選択の自由ですから」

上原さんが大阪体育大学の4年生だったころ、阪神タイガースは暗黒時代の真っ只中だった。どれぐらい暗黒だったかという、「PL学園より弱い」と言われてしまうぐらい、言われたら一瞬、「マジでそうかも」と思ってしまうぐらいに暗黒だった。

かくいうわたしも、学生時代は大好きだったサッカー専門誌があり、そこと、その次に好きだった専門誌の入社試験でハネられた挙げ句、なんとか当時4番手だった専門誌の編集部にもぐり込んだのだが、仮に、万が一、『Number』を出している文藝春秋を選択できる立場にあったとしたら、一も二もなく専門誌を蹴り飛ばしていたことだろう。大手出版社と中小の出版社とでは、給料から福利厚生にいたるまで、天と地ほどの差があるからだ。

ただ、そんな自分をさておいて、20年前のわたしは「それでも上原さんほどの選手であれば、どこに行っても活躍できたのでは」との思いを捨てきれなかった。弘法筆を選ばず。特に野球のように個人成績の集合体として成り立つスポーツであれば、チーム選びはサッカーほどには重要ではないのでは、とどこかで思っていた。

それがいかに誤った思い込みであったか、いまになって痛感する。たとえば、今シーズンの山本由伸を見ていると痛感する。

メジャー1年目の今年、9月20日現在で山本の成績は16試合に登板して6勝2敗、防御率2.63という数字である。悪くはない。ケガで3カ月ほど戦線を離脱していた時期はあったものの、復帰してからはイニング数こそ限定されているものの、しっかりと試合を作っている。来るべきポストシーズンにおいて、山本の名前をキーパーソンとしてあげる専門家も少なくない。


だが、彼が新天地としてドジャースではなく、他のチームを選んでいたら、まったく違った印象になっていた可能性もある。

あまりにも巨大すぎる大谷翔平の契約によってかすんでしまった感もあるが、山本が結んだ契約も3億2500万ドル、日本円にして当時のレートで約462億円というとてつもないものだった。これだけの契約を結んだ選手が初年度にケガで戦線を離脱するようなことになれば、普通、メディアは、ファンは、激怒する。「6勝もした」ではなく「6勝しかできなかった」という厳しい視線が向けられる。

復帰した時期についても、ドジャースだからよかった、という部分はある。エンゼルスだったら?

9月に計算できるピッチャーが戻ってきたところで、正直なところ、大した意味はなくなっている。そもそも、復帰自体を期待されていなかったかもしれないし、使われ方もドジャースとは違ったものになっていただろう。

思い出すのは、阪神からヤンキースに渡った井川慶さんのケースである。

ヤンキースが彼を獲得したのは、有体に言ってしまえば松坂大輔の争奪戦でレッドソックスに敗れたから、だった。チームはもちろん、ファンやメディアにとっても「最愛の人」でなかったことだけは間違いない。

そこで、井川さんはデビュー戦からつまずいてしまった。どれほどのつまずきかといえば、パドレス打線に打ち込まれてしまった山本のデビュー戦に比べればはるかに可愛いつまずきではあったものの、ニューヨークのメディアは井川さんを手厳しく批判した。少なくとも、今年の3月のロサンゼルスのメディアに比べれば、相当に手厳しかった。

メディアから向けられた疑心暗鬼の視線は、やがてチーム内にも広がっていく。結果のでない井川さんに対し、コーチはフォームの改造を要求し、そこから歯車はさらに狂っていった。使用球の感覚が日本のものに近い3Aでは安定した結果を残した井川さんだったが、トップチームの首脳陣たちは彼に対する信頼や期待を早々に捨て去ってしまったようだった。

ヤンキースにとって井川さんが必ずしも意中の存在ではなかったように、井川さんにとっても、ヤンキースは数あるメジャー球団のうちのひとつにすぎなかった。あの当時の日本人選手のほとんどがそうだったように、彼が憧れ、目指していたのはメジャーリーグという舞台であって、特定のどこかのチーム、というわけではなかった。

井川さんの代理人を務めていた弁護士は、実はわたしの昔からのサッカー仲間でもあった。素晴らしく優秀で、人間的にも信頼できる人物ではあるものの、メジャー各球団の内情やファンやメディアの気質、特徴まで把握していたとは思えない。彼は、メジャーに行きたいという井川さんの夢をかなえる力はもっていたが、メジャーで活躍するための知識まではもっていなかったように思う。

もちろん、井川さんの場合、山本ほどには行きたいチームを選べる立場になかった、という面は間違いなくある。ただ、伊良部秀輝さんを「まるで太ったヒキガエルだ」と酷評したオーナーがいるチームが、井川さんに適したチームだったとは考えにくい。井川さん自身はがんじがらめだった阪神での生活から解き放たれたアメリカでの日々が有意義なものだったと考えているようだが、こと野球に関する限り、収支決算は黒よりも赤に近い。

もちろん、メジャーだったらどこでもいい、という考えで海を渡り、結果を残した選手もいる。日本人メジャーリーガーのパイオニアというべき野茂英雄さんなどは、その最たる例と言っていい。だが、たとえ野茂さんであっても、スタートでつまずいていたらその後はわからなかった。一方で、決して“超一流”と言われるような存在ではなかったものの、若いうちから英語の習得に力を入れ、移籍先を日本人が暮らしやすい西海岸側に限定し、かつチーム構成まで頭に入れた上で「ここならば」とエンゼルスへの移籍を決断した長谷川滋利さんなどは、当初の期待値を大きく超える活躍を見せた。オリックスのシニアアドバイザーも務めていた長谷川さんが、山本の移籍にあたって何らかの影響を及ぼしたのでは、とわたしは勝手に勘繰っている。

いずれにせよ、必ずしも順風満帆ではなかったメジャーリーグ1年目を、山本はほとんど無傷といってもいい状態に乗り切りつつある。痛めた場所が場所だけに今後の心配はあるにせよ、誰もがポストシーズンの、そして来シーズンへの期待を抱いてくれる現在の状況が、彼にとってマイナスに働くことはない。

選べる立場にあるのならば選べ。それが成功へのパーセンテージを高めてくれる手段であることを、山本は、長谷川さんは、上原さんは教えてくれる。

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