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football2021.04.30

欧州スーパーリーグ構想崩壊を考察、ヨーロッパサッカーのあるべき姿とは

ボルシア、といえばメンヘングラッドバッハだった時代に、わたしはサッカーと出会った。

80年代には競争力を失い、90年代から21世紀にかけては「壊滅的」といいたくなるほど無残な時代を過ごしたが、それでも、わたしにとってのグラッドバッハは特別なチームであり続けてきた。

いまでも、夏の間の部屋着はグラッドバッハの歴代ユニフォームと決めているし、スニーカーはプーマしか履かないのも、ネッツァーやハインケスやフォクツやボンホフやシモンセンやクレフやシュティーリケやヴィンマーや……とどのつまり、かつてのグラッドバッハの英雄たちがコンプリートでプーマを履いていたことが理由の33パーセントほどを占めている(残りの67パーセントはヨハン・クライフとマリオ・ケンペスによって二分されている)。

当然、かつて“ナショナル・ダービー”と呼ばれていたバイエルンとの一戦は燃える。子供が生まれてからというもの、ヨーロッパのサッカーをライブで観戦する機会が激減してしまったわたしだが、この試合だけは眠い目をこすって生で観る。あと、ケルンとの“ライン・ダービー”も都合がつけば観る。

だが、そんな人間は世界的に見て、圧倒的な少数派だろう。

いまやボルシアと言えばドルトムントであり、世界最高の収入と名声を手にするのはイングランドでプレーする選手たちである。グラッドバッハ対バイエルンと、ドルトムント対バイエルン──どちらがより多くのファンを惹きつけるかぐらいは、わたしにだってわかる。

だから、困る。

ヨーロッパのジャイアント・チームが手を組み、新たなリーグを立ち上げようという構想が突如スポットライトを浴び、しかし、あっさりと撤回された。世論の反発が予想をはるかに上回る激烈さだったのが原因だろう。

一連の顛末を伝える報道のほとんどは、スーパーリーグを立ち上げようとした側のエゴを批判する形になっている。確かに、スーパーリーグから取り残された側のクラブやファンの立場に立てば、今回の騒動、ビッグクラブのエゴでしかない。

ただ、あえてビッグクラブ側の立場に立って考えてみると、カネを稼ぐのも、稼ぐためにリスクを背負って投資をするのも自分たちなのに、なぜ何のリスクも負わないUEFAが儲けの大半を持っていくのか、ということにもなる。

まずJリーグという組織が発足し、それに従う形でプロ・リーグが誕生した日本と違い、ヨーロッパではまずクラブが誕生し、結果的にリーグを統括する組織が誕生したという経緯がある。つまり、ヨーロッパのサッカーにおいては、そもそもエゴありきというか、各クラブが自分たちで自分たちの道を切り開いてきたからこその現在がある。

いまは我が世の春を謳歌するプレミア・リーグも、そもそもはビッグ5と呼ばれる人気クラブが「我々はもっと多くの金額を手にできるはずだ」と目論んだところから生まれている。結果的に5チームではリーグとして成り立たないという結論にたどりついた彼らは、他のチームを引き込むことによって新リーグの発足にこぎつけた。今回のスーパーリーグ構想にプレミアから6つものチームが参加意志を表明したのも、かつての成功体験が無関係だったとは思えない。

では、なぜスーパーリーグはプレミアのようになれなかったのか。

向いている方向が違ったからだとわたしは思う。

プレミア・リーグ発足当時、イングランドのサッカーを楽しんでいるのは、基本的にイングランドの人々だった。当然、クラブ側がマーケットとして認識していたのは、イングランドに住むイングランドの人たち、イングランドの企業だった。

だが、今回のスーパーリーグは違った。彼らが見ていたのは、自国のファンではなく、アジアのファン、アジアのお金だった。

かつて、スペインのクラシコは21時台のキックオフが常識だったが、いつの間にか、真っ昼間に試合が行なわれるようになった。アジア、特に中国のゴールデンタイムに合わせるためだと言われている。今回のスーパーリーグ構想の音頭を取ったのがレアル・マドリーのペレス会長だというのは、さもありなん、というしかない。

わたしは昔ながらのグラッドバッハ・ファンだが、最近になってヨーロッパのサッカーを観るようになった人たちからすると、グラッドバッハ対バイエルンより、ドルトムント対バイエルンの方がはるかに魅力的だというのはよくわかる。

ビッグネーム同士の対決により惹きつけられる若いファンの気持ちもわかる。

スーパーリーグに加わろうとしたクラブは、昔ながらのファンに愛されるこじんまりとしたカードより、新たなファンにもわかりやすいビッグマッチでいま以上の資金を獲得しようとした。そして、切り捨てられようとした自国のファンから凄まじい反発を喰らい、ひとまずは主張を引っ込めた──今回の騒動をそんなふうにわたしは見ている。

そして、この騒動は、まだ終わりではない。

現代のヨーロッパ・サッカーは、ヨーロッパ以外からの資金がなければ成り立たないレベルにまで、選手たちのギャラを高騰させてしまった。地場で稼ぐお金では、メッシやクリ・ロナ、プレミアのスターたちを到底養えない時代になってしまった。

だとすれば、彼らはいつか、気前よくお金を出してくれる地域が求める方向に舵を切ろうとする。

今回の失敗を糧に、今回ほどの反発が起こらない方策を、きっと、彼らは考えてくる。地元を切り捨てるのではない、という見せ方をしてくる。プレミアのときがそうだったように、反対するクラブへの切り崩し工作も行なわれるだろう。

わたしは、必要以上に自国以外に目を向け、GDPからすると不釣り合いなほど巨大化したヨーロッパ・サッカーの現状は、はや危険なレベルにまでなってしまったと認識している。危機を回避するには、サラリーキャップなり移籍の新たなルールを作るなりして、年俸の高騰にブレーキをかけるしかない。

それができなければ──スーパーリーグと国内リーグの関係は、1部リーグと2部リーグの関係というより、メジャーリーグと独立リーグのような関係になってしまうのではないか、との危惧がある。

資金力に乏しく、アジアのファンも少ないグラッドバッハのファンとしては、実に困るのだ。

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