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football2021.07.07

遠藤航がこの1年で変貌を遂げた、新たなタイプのボランチ像

いまが2020年の6月だと仮定してみる。コロナ?なんじゃ、そりゃ。五輪?最高!そんな気分で迎えた1年前の6月だと仮定してみる。そして、五輪本大会に出場するサッカー日本代表のメンバーが発表されたと仮定し、そのメンバーは21年6月の現実と同じようにオーバーエイジ(OA)には、吉田、酒井、そして遠藤が選ばれた、と仮定する。

ネットの反応を想像してみてほしい。

1年前、遠藤航はブンデスリーガの2部でプレーしていた。名門シュツットガルトの1部昇格に大きな貢献を果たしたと言われていたが、ともあれ、2部の選手だった。そんな選手が、チームの命運を大きく左右しかねないOAに抜擢されたとしたら、ネットはともかく、わたしは唖然としていた。(ぽいち、マジかよ)とつぶやいていた。まず、間違いなく。

現役時代に「ぽいち」の愛称で親しまれていた森保監督のサッカーにとって、ボランチは極めて大きな意味を持っている。彼自身が現役時代同じポジションをやっていたということもあるのだろうが、現役時代の自分にはできなかったことをできる選手を好む傾向があった。

中盤の底に位置する選手が「守備的ミッドフィールダー」と呼ばれ、10番や7番をつける選手に比べるとグッと地味な印象のあった時代があった。現役時代の森保監督はいわば典型的な「守備的ミッドフィールダー」で、守備面での貢献は大きかったものの、フィニッシュの部分に関わることはほとんどなかった。

だが、同じポジションが「ハンドル」や「舵取り」を意味するポルトガル(スペイン)語の「ボランチ」という言葉で表現されるようになってくると、守備重視、パスは攻撃的センスのある味方に渡すだけ、では許されなくなった。チームによっては、このポジションに10番以上のセンスを持った選手を置くところも現れた。

柴崎岳は、まさしくそうしたタイプの選手だった。

森保監督が得意とした相手の急所をつぶす能力を、柴崎は持っていた。森保監督にはなかった、極上のラストパスを操る能力を、柴崎は持っていた。森保監督のサッカーにとって欠かせないピースがあるとしたら、柴崎こそがそのピースの一つだった。

ほんの、1年ほど前までは。

青森山田高時代からその能力を高く評価されていた柴崎に比べると、遠藤の経歴は格段に地味になる。小学校時代、彼は3度マリノスのテストを受け、3度とも落ちているという。わかりやすい形で才能を煌めかせていたタイプでなかったことは間違いない。

それでも、後の遠藤を考える上で興味深いのは、彼を早い段階で見出したのが、ケルン体育大学でサッカーの指導を学んだ、当時ベルマーレ・ユースの監督をしていた曹貴裁だったということである。

スペインやイタリア、イングランドなどに比べるとより「1対1での勝負」を重視するドイツで指導者としてのスタートを切った曹貴裁の目に映る中学生の遠藤は、マリノスのスタッフが見た遠藤とはずいぶんと違った見え方をしていた、ということなのだろう。



中学生時代はともかく、大人になってからの遠藤は、柴崎のようなセンスを感じさせる選手ではなかった。柴崎に比べれば明らかに1対1での強さは優っていたのだろうが、それは、選手としての評価、立場を逆転させるほどではなかった。

だが、浦和レッズ、ベルギーのシントトロイデンを経て移籍したシュツットガルトで、遠藤は飛躍のときを迎える。

苦戦が予想された昇格チームにあって、中盤の底を支え続けた遠藤を、現地のメディアが高く評価し始めた。そして、曹貴裁にサッカーのベースを教えた国の人たちは、その根拠の一つとして、1対1での強さはリーガでナンバーワンだというデータを示してみせた。

もちろん、遠藤自身にも、1対1ではそんなに負けないな、という自覚はあったはずである。だが、それをドイツのメディアが数値化し、結果的にブンデスリーガでもっとも1対1に強い選手であるという事実が判明したことで、自信は揺るぎないものになったのだろう。自信に裏付けられた対敵動作は、以前より明らかに攻撃的になった。具体的に言えば、ボールを保持した相手を迎え撃つのではなく、ボールが渡る瞬間を刈り取りに行く場面が劇的に増えた。

かつて、中田英寿が「日本のディフェンダーは待つばかりで前に出ようとしない」と嘆いていたことがある。ボールの奪取をハナから諦め、攻撃のスピードを遅くさせる守り方ばかりになってしまっている、と。おそらく、そのそうした守り方の根底にあったのは、ぶつかりあったら勝てない、競り合ったら勝てないという前提だった。



だが、互角の競り合いならば負けない、という自信を数字によって証明された遠藤は、それまでの日本人選手がなかなかできなかった、ボールを刈り取りに行くディフェンスをするようになった。ボールを持ったら取られないという自信は、狭窄しがちな狭いエリアでの視野を劇的に広げた。

柴崎よりはるかに強い1対1を誇る、新たなタイプのボランチの誕生だった。

21年6月、森保監督が発表したOA枠の一人に遠藤が選ばれたことに、驚く人はほとんどいなかった。その変化、その速さには、ただただ驚くしかない。

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