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football2021.09.17

堂安律がアタッカーとしての魅力だけじゃなく献身な守備嗅覚も兼ね備えている

堂安のセンスは素晴らしい、という意見に異論をはさむ方はあまりいないと思う。

東京五輪での奮闘は見事だった。もし、ヨーロッパのスカウトが日本の全試合をチェックしていたとしたら、最高ポイントはおそらく、堂安が獲得している。攻撃陣の中で、一番試合ごとのバラつきがなかったのが彼だったからだ。

ただ、こんな意見に対してはどうだろうか。

堂安のセンスは久保よりもはるかに素晴らしい。

たぶん、意見は割れる。というか、「そんなことはない」という声が噴出する。

だが、ちょこっとだけ付け足しが認められるのであれば、わたしは、この意見に全面的に賛同する。「守備の」という言葉を付け足せるのであれば。

東京五輪の日本代表で驚いたことを2つあげるとしたら、そのうちの一つは全試合で堂安が見せた守備面での嗅覚だった。

ボールを奪われた瞬間、すべての選手が守備のスイッチを入れる。それは森保監督が一貫して追求してきたチームの約束事だった。だから、堂安も守ったし、林も守った。久保も必死になって相手を追った。大会前のテストマッチで、相手がほとんどシュートを打てない試合が多かったのは、日本の「攻」から「守」への切り換えが世界一流といってもいいレベルにあったからだった。

当然のことながら、守備の専門家ではない彼らのディフェンスは、あくまでも補助的な役割であったはず。つまり、前線からのチェイスやチェックによって、最終ラインの負担を減らすというのが彼らに与えられた役回りだった。



異様なほどの蒸し暑さの中、攻撃に力を発揮するだけでなく、守備にもエネルギーを注がなければならなかったのだから、その過酷さたるや、想像を絶する。ところが、意識が混濁していても不思議ではないほどの状況や時間帯で、堂安は「補助的な役割」を遥かに超える貢献をした。

彼は時々、吉田になった。

「あ、やばい」とわたしが感じる場面に、堂安はかなりの確率で顔を出した。アタッカーならではの嗅覚を守備に生かした、「センス」としか表現のしようのないポジションどりだった。必死になってボールを追うのが精一杯だった久保(それだって十分に凄いことなのだけれど)とは、この点が、明らかに違っていた。

古い話になるが、ジュビロ磐田のレジェンドとして知られる中山雅史は、ユース代表時代、相手ストライカーをマークするストッパーの役割を与えられたことがある。筑波大ではセンターフォワードとしてプレーしていた中山だったが、このときのユース代表には、帝京高で怪物的な活躍をしていた礒貝洋光がいた。中山は、2歳下の高校生にポジションを奪われる形になった。

だが、当時の監督には狙いがあった。中山には、宿敵・韓国にも負けない馬力がある。なおかつ、ストライカーとしてどんな守り方をされると嫌か、身をもって理解している。ならば、韓国の巨漢ストライカーにぶつけるのも面白い──。

結果的に、日本は延長の末韓国に敗れ、ワールドユース出場を逃した。だが、ユース代表ではあったものの、ストライカーとしてはさほど将来を嘱望される存在とは言い難かった中山は、この後、予想を大幅に上回る上昇曲線を描く。当時のアジアではトップクラスだった韓国のストライカーを密着マークしたことで、守る側がどんなことをされると嫌なのか、強烈に教えられたことが関係しているのではないかとわたしは思っている。

堂安は、一つひとつの試合の中で同じことをやった。アタッカーとして相手ゴールを脅かしつつ、守りに回った際はアタッカーが嫌がることをやった。

ほんの少し前、日本代表の中心選手として誰もが認めていた中島の影がすっかり薄くなってしまったことからも明らかなように、サッカー選手の未来ぐらい不確定なものはない。だが、東京五輪での6試合を見れば、今後、森保監督が堂安をメンバーから外すことはちょっと考えにくい。それぐらい印象的な働きを、彼は見せてくれた。

ただ、所属チームではどうなるか。

堂安の献身とセンスは、チーム全員がサボることなく守備をするチームでこそ意味がある。それが約束事として生き続ける限り、日本代表における彼の立場は安泰に近い。

だが、前線からの守備を約束事としてアタッカーに要求するクラブチームとは、どんなチームだろうか。

高い確率で、弱いチームである。

いささか極端なたとえになるが、パリ・サンジェルマンがメッシに期待しているのは前線からの守備、では断じてない。アタッカーとして獲得した以上、監督や仲間、メディアやファンが求めるのはチャンスでありゴールである。主導権を握って試合を展開することの多いチームに、堂安のような献身は、はっきりいって重要ではない。

東京五輪であれほど印象的な活躍を見せながら、堂安に思ったほどビッグクラブからの声がかからないのは、だからなのか、とわたしは思っている。

ちなみに、東京五輪でわたしが驚いたもう一つのことは、三位決定戦におけるメキシコのテレビ局の実況だった。

「まるでネイマールだ!」

メキシコを応援し、メキシコしか見ていないはずのアナウンサーは、後半から登場した三苫のドリブルに、そう絶叫したのだという。

結局のところ、世の中がアタッカーに期待するのは、そういうことなのだ。

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