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baseball2021.09.10

栗林良吏は、カープの守護神から日本の守護神になった

もしわたしがドラゴンズを愛する者だとしたら、栗林良吏という名前を聞いただけで、正直、たまらない気分になる。

彼は愛知県に生まれ、ドラゴンズ・ファンとして育った。飛躍のきっかけを作ったと言われる名城大学時代のコーチは、元ドラゴンズの山内壮馬さんだった。出自も、育ちも、人の縁も、彼個人の好みも、すべてがドラゴンズの方向を向いていたというのに、東京オリンピックで日本のクローザーを務めるまでになった男は、いま、カープの赤いユニフォームを着てプレーしている。

くじ引きで負けたというのなら、まだあきらめもつく。熱狂的な阪神ファンだった松井秀喜は長嶋さんに持っていかれた。悔しいけれど、仕方がない。

上原浩治のように、「ファンであることと職場選びは別」と割り切って虎ではなく兎を選ぶのもまだわかる。わたしだって、大学4年生の時に『サッカーダイジェスト』を出している日本スポーツ企画出版社と『Number』を出している文藝春秋、どちらかに入れるとしたら一も二もなく文春を選んでいただろうから。

だが、こと栗林に関していうと、つれなかったのは本人ではなく球団だったように見える。大学を卒業した年も、これまた地元のトヨタ自動車で実績を残して迎えた昨年も、中日の本命は別にいた。

そして、中日にとっての本命をはるかに上回る活躍を、栗林は見せた。取ろうと思えば取れた選手の大活躍ほど悔しいものはないのに、この原稿を書いている8月27日現在、栗林がもっとも多く登板しているのが中日戦という事実。もっとも多く登板し、依然として防御率0.00という事実。

もしわたしがドラゴンズのスカウトを担当する者だとしたら、栗林良吏という名前を聞いただけで、正直、いたたまれない気分になる。

ただ、こればっかりは仕方のない部分もある。

後に史上初となる大学、社会人を経ての2000本安打を達成する古田敦也は、「眼鏡をかけたキャッチャーなんか大成しない」という根拠のない理屈で、立命館大学の4年時、無念の指名漏れを経験している。そして、根拠のない理由で指名を見送った球団の一つが我らが阪神タイガースで、なおかつ、古田を指名しなかったことを批判したメディアやファンはほぼ皆無だった。

トヨタ自動車で研鑽の月日を送り、晴れて2年後のドラフトでヤクルト入りした彼が阪神をボコボコにしまくったのは、ファンにとっては周知のとおり。後になって「ドラ4でもドラ5でもいいから獲っとかんかい!」とボヤきまくったのは、ほかでもない、このわたしである。

ということで、古田敦也と同じように指名漏れを経験し、古田敦也と同じようにトヨタ自動車を経てプロ入りした栗林は、古田敦也と同じように、自分を指名しなかったチームにとっての天敵になるのでは、とわたしは見ている。



もっとも、野球ファンではなく阪神ファンでしかないわたしにとって、東京五輪までの栗林は、さほど印象的な選手ではなかった。今年の阪神は広島に相性がいいため、カープにとってのセーブ・シチュエーションがびっくりするほど少なかったからである。一応、3セーブは献上しているものの、かつての大魔神・佐々木や火の玉・球児ほどの絶対的な存在感、安定感は感じなかった。

だが、東京五輪での活躍には舌を巻かされた。

どれほどNPBで無双ぶりを見せていようとも、日の丸をつけて戦う国際大会はまったく別次元の世界だと経験者はいう。

案の定というべきか、初戦のドミニカ戦、0-0で迎えた7回に登板した青柳は、シーズンとは明らかに違った不安定な投球で2失点を喫し、チームを崖っぷちに追いやってしまった。稲葉監督からすれば青柳の変則投法が相手にとって嫌なはず、との計算があったはずだが、初代表、初登板の投手に普段通りの力を発揮しろというのはいささか酷な話だった。

そして9回、1-2の状況で初めてオリンピックのマウンドにあがった栗林も、青柳同様、いつもの栗林ではなかった。この回、彼は致命的とも思える3点目を許した。

その裏、驚異的な粘りを見せた日本は2点のビハインドをひっくり返してサヨナラ勝ちをする。青柳も栗林も、大いに救われた気分だっただろうが、経験の浅い選手が国際大会の失敗を取り戻すのは簡単なことではない。正直、わたしはこの大会における2人はもう使い物にならないだろう、と覚悟した。

予想は半分あたり、半分外れた。

残念ながら、青柳が大会期間中に普段の姿を取り戻すことはなかった。大会終了後のNPBではシーズン前半戦以上の安定感を見せているから、得たものは大きかったのだろう。ただ、金メダルへの貢献度という点では、出場メンバーの中でもっとも低かったと認めざるをえない。

ところが、青柳同様に初戦で苦い味を味わった栗林は、その後、見事に、というか信じられないほど鮮やかに甦った。舞台も違えばボールも違う。ジャッジの基準も違う。ひとたび歯車が狂ってしまえば普段の自分を取り戻すのが恐ろしく困難な状況で、普段以上の安定感を見せつけた。



彼は、カープの守護神から日本の守護神になったのだ。

つくづく思った。

ドラゴンズ・ファンでなくて、良かった。

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