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baseball2022.04.28

佐藤輝明は今シーズン40本のホームランを狙えるほど、確実に覚醒しつつある。

このコラムに毎回目を通してくださっている酔狂な読者の方なら、ご記憶かもしれない。2カ月前、わたしは開幕前に今季限りの辞任を発表した矢野監督の決断を支持する内容の文章を書いた。強いチームが打つ手としては邪道の極みだけれど、歴史から鑑みて阪神が弱いという前提に立つならば、あってもいいやり方だ、と書いた。

で、こう付け加えた。

『ただ、退任を明らかにしたことでのマイナスももちろんあって、わたしの想像するそれは、スタートダッシュの失敗である。こうなってしまうと、どうしたって「今年で辞める人には関係ねえよな」と考えてしまう人間が出てくるし、チームからは間違いなく推進力が失われる。そこからの逆襲も考えにくい。個人的には、これが一番怖い展開。』

残念ながら、その「一番怖い展開」が現実のものとなってしまった。

毎年毎年、シーズンが開幕するたびに「今年は阪神が優勝する」と本気で宣言しているわたしは、つまり、21世紀に入ってから2回しか予想が当たったことのない人間である(ちなみに有馬記念はゼロ)。いつもはこちらの願望をまったく叶えてくれないくせに、かくもささやかな不安だけはバッチリ具現化するあたり、希代の毒婦とてこんなにも悪質ではなかろうと嘆きたいところだが、ここは一つ、死ぬ気になってポジティブな面を見出すことにする。

矢野監督が開幕前に辞任を表明していて良かったこと。なんかないだろうか。

あった。

自分が阪神の選手だったと想像してみる。監督が今シーズン限りで辞める?異例なことではあるが、高校野球などではない話でもない。とりあえず、自分がやるべきことにはあまり関係がないと考えそうな気がする。

そうしたら、開幕戦で痛恨の逆転負けを喫してしまった。この負け自体は、矢野監督の采配がどうこうというより、スアレスの不在が誰の目にも明らかな原因だった。絶対的な守護神が抜けた穴を、大量リードを奪った、しかし特別な意味を持つ開幕戦で埋める可能性を探したいと考えるのは、もちろん反対の意見もあるだろうが、完全なる悪手、というわけでもない。ケラーの大誤算はともかくとして、実績のない斎藤を使ったのがけしからんというのであれば、ルーキーを抑えに抜擢した今年の巨人や去年の広島はどうなのだ、ということにもなる。

……とまあ、個人的にはそう思うのだが、世間の怒りは矢野監督に集中した。まるで、悪夢の逆転負けは開幕前に辞任を発表したから起きた、と言わんばかりの声も上がった。連敗が伸びるに連れ、そうした声はどんどんと勢いを増していった。

本来であれば選手に向けられる分の怒りまでが、監督に向けられた。

これって、実は選手からするとラッキーだったのではないだろうか。

ご存じの通り、阪神のファンは良くも悪くもアツい。いい時はいいのだが、いざちょっと悪くなると、プラスに振られていた情熱の絶対値は、そっくりそのままマイナスに転換される。結果、それこそボロカスに選手たちをこき下ろす。去年は糸原や大山あたりが怒りの捌け口にされた感があった。

今年は、例年であれば選手に向けられていた分の怒りまで、矢野監督が引き受けている。出てきたピッチャーが打たれても、大事な場面で内野陣にエラーが出ても、得点圏での凡退が続いても、全部矢野監督が悪いから、で片づけてしまっているファンがいる。

素晴らしい球場があり、それなりの資金力があり、人気もある球団でありながら、なぜ阪神は21世紀に入って2回しか優勝していないのか。なぜ世界中のプロ・スポーツにおける成功の方程式を3つ揃えていながら、見合った成績を残すことができないのか。

甲子園がダメだから?違う。

資金力が足りないから?広島やヤクルトより?

となれば、ファンに問題があると考えるしかない。わたしを含めた阪神ファン自体に問題があるがゆえに、チームは勝てないのだと結論づけるしかない。

そのファンが、矢野監督のイレギュラーな決断ゆえに、イレギュラーな反応を選手たちに対して見せている。例年ほどには、選手たちが怒りのターゲットにならずに済んでいる。

そして、あまりにも酷すぎる勝率ゆえに、実力以上に選手をチヤホヤする動きも少なくなっている。


佐藤輝明は、その恩恵に浴している一人といえるかもしれない。

この原稿を書いている4月18日現在、彼は本塁打4本、打点10、得点圏打率2割1分1厘という数字を残している。

もし阪神が常識的なスタートダッシュを切っていたら、ファンは、メディアは、昨年に負けないぐらいの熱量で佐藤を追ったことだろう。本塁打数はリーグ2位で、昨年問題視された三振の割合は目に見えて減少した。ちょっと低めの得点圏打率にしても、本塁打争いで1位につける巨人の丸が1割6分7厘という数字であることを考えれば、まだまだ問題にするほどでもない。

いずれにせよ、めちゃくちゃ持ち上げられるか、足りないところをブッ叩かれるか、どちから、あるいはどちらも起きていておかしくない成績でありながら、ここまでのところ、佐藤は昨年よりもはるかに静かな状況でプレーできている。

才能豊かな阪神の若手が、なかなか体験することのできなかった状況でプレーできている。

正直、矢野監督に対する非難、批判の集中砲火は本人が覚悟していたレベルを超えていたのではないか、という気がする。今年初めて巨人に勝った試合のあと、知人に書いてもらったという色紙をインタビューで披露したのには目を疑った。ギリギリというか、精神的に超えてはいけない一線を超えてしまったような、そんな気さえした。

ただ、選手に怒りの刃を向けないようにするというのは、矢野監督がイレギュラーな決断を下した大きな要因の一つでもある、とわたしは思う。

だったら、選手はこれを利用するしかない。

昨年、佐藤輝明は24本の本塁打を放った。プロ入り1年目で、人生初めての重圧を味わいながら、阪神の新人本塁打記録を塗り替えた。

今年、彼が本塁打を打ったピッチャーの顔ぶれが興味深い。

1本目のロメロ(広島)はともかく、あとは森下(広島)、大野(中日)、菅野(巨人)なのである。タイトルホルダー・キラーなのである。

どうやら、去年ほどは目立たないものの、佐藤は確実に覚醒しつつある。それもまた、矢野監督がネガティブな感情を一身に引き受けたから、と無理やり考えて、「だからあの決断も悪いことばかりじゃなかった」と自分に言い聞かせている。

で、今年佐藤は40本ぐらい打つのではなかろうか、なんて妄想に慰めを見出している。

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