フリーワード検索

other2019.11.15

石田たくみ(カミナリ)│バスケもお笑いも、自分にルールを課しながらチームメイトと楽しむ【前編】

お笑いコンビ「カミナリ」として活躍する石田たくみさん。学生時代はバスケットボールに打ち込み、中学生のときには全国大会に出場した経験も持つ。バスケ部時代から、彼は常に「マイルール」を決めて練習に取り組んできたといい、当時の経験は現在の活動にも活きているという。今回は、そんなたくみさんにバスケ部時代の経験と、お笑い芸人としての活動とのつながりについて聞いた。


■幼いころから、バスケは一番面白い遊び


──バスケットボールを始めたきっかけを教えてください。

4つ上の兄がミニバスをやっていて、小さいころから兄と一緒にバスケをして遊んでいました。兄がバスケをはじめたときに親が買ってくれたバスケットゴールが庭にあって。当時、僕はシュートしてもボールがリングに届きさえしなかったので、シュートが入る兄をすごくかっこいいと思っていました。小学校3年生のときに「お兄ちゃんと一緒のスポーツをやろう」と、ミニバスのチームに自然と入りました。

──実際にバスケをするようになって、いかがでしたか?

やっぱり、初めてシュートが入ったときはすごく感動しました。僕たちのミニバスチームは結構強い、県で3位になるくらいのチームだったんです。練習への取り組み方も、小学生ながら“部活”という感じに近くて。僕も含めて身体が小さい子が多かったのもあって、パスでつないで動きで勝負するスタイルのチームでした。僕自身も「すばしっこさなら誰にも負けないぞ」と思いながらプレーしていました。

チームのスローガンは「エンジョイバスケットボール」。とにかく、勝っても負けても楽しむ、ということをモットーにやっていました。もちろんつらい練習や悔しい試合もありましたけど、「バスケを楽しむ」ことの土台は、このミニバスを通してできたと思っています。チームに入って練習をするようになってからも、バスケは僕にとって一番面白い“遊び”。休みの日の遊びもバスケが当たり前でしたし、友達の家に行くときもバスケットボールを持っていくのが日常でした。



──その後中学校のバスケ部に入って、何か変わったことはありましたか?

やっぱり、運動量が一気に変わりました。中1のときは、先輩たちについていくので必死でした。実力主義を感じるようになったのもそのころです。ミニバス時代もプレーは本格的だったけれど、「全員で楽しもう」という雰囲気だったので、試合に出られないときの悔しさを本格的に感じるようになったのは中学生になってからでした。

──ちなみに、たくみさんはどんなプレースタイルだったのですか?

僕はポイントガードで、スラムダンクでいうと宮城リョータのポジション。そこまでシュートは得意じゃなかったですけど、ドリブルとパスとディフェンスは頑張っていました。


■悔しさをバネに全国大会へ


──日頃の練習にはどんなふうに取り組んでいましたか?

僕らのチームでは、いつも各々で自分にルールを課していたんです。たとえば僕だったら、シュートを入れて走って戻ってくる練習では、一番遠いラインを踏んで、大回りして壁をタッチしてから戻ってくるっていうルールだったり。誰かに強制されるわけじゃなくて、メンバーそれぞれが練習にひと工夫加えてルールを決め、一生懸命に取り組む──チーム全体に、各自が自主的に目的を持って練習に取り組むという雰囲気がありました。

──中学生のころは全国大会にも出られたそうですね。

中学3年生のときに全国大会に出場することができました。でもその前の、僕たちの代になってすぐの新人戦が思ったより悪い結果で……。先輩たちは地区の新人戦で優勝するのが当たり前だったのですが、僕たちの代は2位だったんです。その後の県大会でも、先輩たちはベスト8まで勝ち進んでいたのに、僕たちはベスト16で終わってしまって。これがすごく悔しくて、チームでまた一から「走るバスケ」を一生懸命にやるようになったことが、全国大会出場につながったと思っています。



──悔しさがバネになったのですね。

そうです。卒業した先輩たちも悔しかったみたいで……。僕たちの地元の村には、ミニバスも中学のバスケ部も地域全体で応援してくれる雰囲気があるんです。もともと、卒業生が練習を見に来てくれることがよくあったのですが、僕たちの代になってからはいつも以上に先輩たちが来てくれるようになりました。そこで、徹底的にもう一回叩き上げられました。こんなにも応援してもらっているのだから応えたい、という気持ちも後押しになりました。本当に、地域一丸という感じで勝つことができました。

──高校でもバスケを続けられたのですよね。

続けました。中学のチームメイトたちは、茨城でも有名な強豪校に進む人が何人かいましたが、僕はミニバスや中学の延長線上で、地元で楽しみながら続けたいという気持ちがあったんです。それで、地元の鉾田一高に、バスケのスポーツ推薦で入りました。高校でも、やっぱり卒業生や地域の人が教えにきてくれたりして。僕にとっては地元の温かさを感じられる環境が、バスケをしやすい環境で。おかげで、のびのびと楽しみながらバスケを続けられました。


- - - - -
後編 では、お笑い芸人を目指すことになったときのエピソードや、現在につながっているバスケ経験について、そして部活動を頑張る学生たちへのメッセージをお届けします。


プロフィール


石田たくみ
1988年生まれ。茨城県出身の幼なじみ、竹内まなぶと2011年にお笑いコンビ「カミナリ」を結成。2016年、2017年の「M-1グランプリ」では決勝に進出。現在は「おはスタ」(テレビ東京)、「カミナリのチャリ旅!シーズン3」(とちぎテレビ)はじめ数多くの番組に出演中。

BUY NOW

SEARCH フリーワード検索