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other2019.11.22

石田たくみ(カミナリ)│バスケもお笑いも、自分にルールを課しながらチームメイトと楽しむ【後編】

お笑いコンビ「カミナリ」として活躍する石田たくみさんに、バスケットボール経験について聞いた本インタビュー。後編( 前編はこちら )では、お笑い芸人を目指すことになったときのエピソードや、現在につながっているバスケ経験について、そして部活動を頑張る学生たちへのメッセージをお届けする。


■好きなものが自然とつながった


──シューズなどでこだわっていたポイントはありましたか?

最初のほうはジョーダンとか履いてましたけど、本気になるにつれてアシックスを履くようになりました。中学から高校時代はずっとアシックスのバッシュでした。

──たくみさんはスニーカーフリークとしても有名ですが、何かバスケと通ずる点もあるのでしょうか?

スニーカーに目覚めのたは、中学生のころにまなぶがかっこいい靴を履いていたのを見てからで。バッシュもファッションに取り入れたらかっこいいことはわかっていたんですけど、僕にとってバッシュは「体育館で履くもの」なので……外で履くのにどうしても抵抗があって。バッシュを履いて外へ遊びにいけば一番かっけえって言われるのは間違いなしだったと思うんですけど(笑)。だから、今となってはバスケとスニーカーは近い世界だと思うけれど、当時は全く別物として楽しんでいました。



僕はヒップホップも好きで、スニーカーと同じようにバスケとのつながりを聞かれることもあるのですが、これももともとはバスケを意識して入ったわけではないんです。でも、高校生のときにまなぶからアンダーグラウンドのジャパニーズヒップホップを勧めてもらったら、ラッパーたちがこぞってジョーダンを履いていたり、PVでバスケのボールを持っていたりもして。そこで、「バスケとヒップホップってつながるんだ」って初めて気が付きました。スニーカーもヒップホップも、自然と好きになったものが無意識につながっていた、という感じですね。当時サッカーをやっていたまなぶが、「ヒップホップっぽいからバスケやりてえ」って言ってたのは今でも覚えてます(笑)。


■どんなに悔しくても、あきらめない


──お笑い芸人を目指すようになったのはいつからでしたか?

小学校3年生のころです。小さいころから人を笑わせるのが好きで、じいちゃんに「面白いから芸人になれば」と言われたのもあって、意識するようになりました。そのほかにも、NBAの選手か、学校の先生になりたいとも思っていて、この3つが僕にとっての将来の夢でした。正式な結成とは言わないけれど、まなぶと「芸人」という夢を共有したのは高校2年生のとき。実は中2のとき、まなぶに「芸人になろう」って言ったら、「やだ」って断られたことがあって(笑)。時が流れてもう一度、高校2年生のときにまなぶを誘ったら、「いいよ」と。でも、ネタ作りをするわけでもなく、周りの友達に「将来芸人になってビッグになるわ」って言いふらしていただけでした。

──大学卒業後は、スニーカーショップで働いていたこともあるそうですね。

そうです、芸人をやりながら原宿のスニーカーショップでバイトしてました。スニーカーが好きだから、というのもありますが、舐められたくなくて、イケイケでいたかったというか……。多分、芸人のときよりもバイトの時間のほうがしばらくは長くなるから、その分腐りたくないなと思って。店員さんって人に見られるから、かっこいい存在でいなきゃいけないっていうのも考えて、そこを選びました。それとなんとなく、「靴が汚いやつは人前で笑いをとることはできない」っていうマイルールがあって。物を大事にすれば、いずれ夢が叶うんじゃないかという気持ちではいました。だから僕は、誰よりも靴を大切にしている自信があります。



──自分でルールを決めて実行するというのは、学生時代のバスケへの取り組み方とも通じていますね。

たしかにそうですね。誰からも強要されなくても、自分でルールを決めて「それをクリアしないとだめだ」っていうのは、癖として昔から無意識のうちにやっています。子どものころから、「あの電信柱まで走る」とか「ブランコからあの木を越えるまで靴を飛ばさないと帰らない」とか、やっていたので。兄ちゃんとも常日頃からそういう遊びをしていました。決してつらいものではなく、ルール自体を楽しむというか。ゲームのタイムアタックみたいな感覚です。それがバスケの練習にもつながったし。芸人になった今でもやっているんだと思います。

──同じように、バスケ部時代の経験が今の活動に活きていると感じることはありますか?

諦めないっていうのはやっぱりありますね。それは、バスケをやっていたからだと思う。

試合に負けた、レギュラー落ちた、とか、悔しいこともたくさんあったなかで……なんて言えば良いんですかね。「本気」になることを教えてくれた。物事を本気でやろうって教えてくれたのが、バスケです。

芸人になってから1〜2年たったころ、涙が出るほど悔しい日がありました。地元や大学で「一番面白い」と言われていた俺たちがステージにあがるっていうことで、みんなこぞって見に来てくれたのに、一切うけなかったことがあって。その次の日から誰一人来なくなったんです。きっと、幻滅したんでしょうね。そのとき初めて、バスケ以外でものすごく悔しいと思いました。そういう感情をバスケのときに経験していたから、芸人で挫折しかけたときも乗り越えられたんだと思います。とにかく、まなぶというチームメイトと一緒に楽しんでやればなんとかなる、と思えたのもバスケのおかげです。

僕はバスケではポイントガードのポジションだったので、人にパスを出す役。今は、まなぶっていうシューターをアシストする役割なので、ある意味やっていることは一緒ですね(笑)。



──今、部活を頑張っている人に向けてメッセージをお願いします。

たぶん、部活を頑張っていると、悔しい思いをしたり、挫折しそうになることもあると思います。そういうときって、「自分には何もできることがない。かなわない」と思っちゃう人が多いんじゃないかと。バスケだったら、たとえば体力がない、シュートが入らない、とか。

そんなときは、とりあえず一個、できることからやればいいんです。とにかく、初めはシュートをとことん練習しよう、次はディフェンス頑張ろう……というように、一個一個クリアしていけば、その都度達成感を味わえます。そしたら、次の課題にも取り組めるかなって。全部を見てしまうと果てしなく感じちゃうかもしれないけど、できることからコツコツと。ときには僕みたいに自分でちょっとしたルールを決めて、それを自分なりに楽しみながら、小さな自信を積み重ねていってください。


プロフィール


石田たくみ
1988年生まれ。茨城県出身の幼なじみ、竹内まなぶと2011年にお笑いコンビ「カミナリ」を結成。2016年、2017年の「M-1グランプリ」では決勝に進出。現在は「おはスタ」(テレビ東京)、「カミナリのチャリ旅!シーズン3」(とちぎテレビ)はじめ数多くの番組に出演中。

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