ヤハラリカ│ハンドボールのおかげで、楽しいこともつらいことも「最高のネタ」と思えるようになった【後編】
モデルやタレント、MCとして活躍するヤハラリカさんに、ハンドボール経験について伺う本インタビュー。後編(
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)では、ハンドボールから一度は距離を置いていたころのエピソードや、大人になってから再びハンドボールを始めたきっかけ、そしてヤハラさんが感じるスポーツの魅力についてお伝えします。
■新しい世界に次々と出会いたい
──大学生になってからは、どのように過ごされてきましたか?
ハンドボール以外の世界もいろいろ知りたいと思って、バンドで音楽をやったり、バイトでお金をためて海外に行ったり。子どものころ、インディージョーンズが大好きで、ずっと世界中をまわることに憧れていたんですよね。その後は特にやりたいことが見つからなくて、2年ほどはOL生活を送っていました。でも、海外への興味は持ち続けていたし、「このまま本当にやりたいことをできずに終わるのは嫌だ」と思って、思い切って会社を辞めて。ずっと行きたいと思っていた、ガラパゴスに行ったんです。それで、大自然のスケールの違いにカルチャーショックを受けて……まだまだ知らない世界がたくさんある、もっと世界中をまわってみたい、という思いがさらに強くなりました。
──その後、モデルのお仕事を始めたきっかけは何だったのでしょう?
海外に行くにはお金も必要だし、どうしようと考えていたとき、カットモデルの誘いをもらったんです。それまで自分がモデルをやるなんてまったく想像していなかったのですが、飛び込んでみれば新しい世界に出会えて、それはそれで面白そう、と思ったんですよね。それに、モデルとして活躍している人の中には、リポーターとして外国を訪れている人もいるなと思って。私もいつかお仕事で海外に行けるんじゃないかと思ったのもあります。
──今ではファンランナーとして、数々の大会でフルマラソン完走経験もお持ちですが、ハンドボール部時代から「走るのが嫌」だったヤハラさんがランニングをするようになったのは、どうしてだったのでしょうか?
専属モデルをやらせてもらっていた『FYTTE(フィッテ)』の企画で、2011年の東京マラソンを走ったのがきっかけです。ハンドをやっていたころも走るのだけは嫌だと思っていたけれど、良い機会だと思って挑戦しました。
もともとハンドボールしか知らなかった私にとっては、「スポーツ=戦い」というイメージがあったから、走るのも速くなければいけないと思っていたんです。でも、初めてフルマラソンを走ったら、もうびっくり。
──どんな驚きがあったのでしょう?
マラソンでは、足が遅い私のことを、沿道からものすごくたくさんの人たちが励ましてくれて……最高でしたね。それまで走るのが嫌いだと思い込んでいたのは、誰かよりも遅いという、劣等感を感じるのが嫌だったということに気が付きました。走ることにおいては遅くても劣等感を感じなくていいし、ゆっくりでも楽しめるということを知りました。それからは自分のペースで楽しみながらのんびりと走るようになって、毎年いろいろな大会にも出ています。
──さらに、ヤハラさんは250kmもの道のりを7日間かけて走る、砂漠マラソンにも挑戦されているそうですね。
初めて挑戦したのは、2017年のサハラマラソンです。フルマラソンをきっかけに自分のペースで走ることの楽しさに気づけたとはいえ、やっぱりコンプレックスを感じることもあったんですよね。人から「遅い」と言われることがあって、「私は自分のために、誰と競うわけでもなく楽しむことを第一に走っているだけなのに」って、悔しくて……。だから、「地球上でもっとも過酷なマラソン大会」を完走すれば、自信もつくし、バカにしてくる人たちを見返したいって思ったことがきっかけになりました。
──砂漠マラソンに挑戦してみて、いかがでしたか?
いざ出てみたら、過酷な状況でも平気で走っている人がたくさんいたり、身体にハンディキャップを持つ人たちもたくさん走っていたりして。「バカにされたから見返そう」と考えていた自分のことが、すごくちっぽけに思えました。それで、大自然をとにかく楽しもうっていうマインドになっていったんですよね。きれいな景色や動物に出会ったら、立ち止まったり、寄り道したり。ボランティアさんに「時間大丈夫なの」と言われながら、写真を撮ってもらったり(笑)。
──楽しむことをとにかく大切にされているのですね。
砂漠を走ることは過酷なことだらけ。それでも私は、とにかくハッピーに、楽しく走ることを大切にしています。今は、地球を全部走りたいと思っているんです。自分の足で踏んで、その場所の景色や自然を味わうことが、何よりも堪能できると思うから。「地球だ」って感じられるんですよね。次の目標は、南極マラソンです。
■競技を追求してきたからこそ「競うだけじゃない」ことを伝えたい
──最近では、ビーチハンドボールのアンバサダーや、ハンドボール協会の広報委員に就任されるなど、ハンドボールの経験を活かした活動も数多くされているかと思います。一度は「ハンドのハの字も聞きたくない」と思うほど燃え尽きたヤハラさんが、再びハンドを始めたきっかけは何だったのでしょうか?
今から6〜7年前に、スポーツ番組のリポーターとして、ハンドボールの天才キッズにインタビューしにいくお仕事があったんです。お話をいただいたときは、断ろうと思ったくらい、まだハンドボールに触れるのが嫌だったんですよ。でも、現場で久しぶりにボールに触れたら、愛おしさがこみ上げてきちゃって。学生時代に比べたらぜんぜん投げられなくなっていたけれど、取材先のコーチに「やれるじゃん」と言ってもらえて、またハンドをやってみることになりました。
──大人になって改めてハンドを始めて、新しく良さを感じることはありますか?
共通の好きなことでつながれると、仕事での活躍とかも何も関係なく、フラットな状態でいられるんですよね。シンプルに、学生時代の友達同士のような関係でいられるのが気持ちいいなと思います。ハンドボールに限らず、身体を動かすことは心身の健康にすごく役に立ちますし。純粋に、すっきりできるのもいいところです。
──学生時代にハンドボール部で培ったことで、今の活動に活きていると感じることはありますか?
どんなにつらくても、「人生のネタづくり」と思って乗り越えられる力がついたと思います。楽しんでやっているとはいえ、本当につらくなるときってどうしてもありますよね。でも、私は学生時代から「これは後でハッピーエンドを迎えるためのストーリーの一部なんだ」って思っていて。そのときはどん底の、最低でつらいと思うことも、あとで最高のネタになるかもしれないって。最初にフルマラソンに挑戦したのも、砂漠をまた走りたいと思えるのも、それがあるから。どんなに過酷でも、帰ったらみんなに話せることがいっぱいできるぞって、楽しくなっちゃうんです。
──今後、どんなふうにスポーツに関わっていきたいですか?
もともと、私自身運動ができなかったので、スポーツに苦手意識を持っている人に「競う以外にも楽しみ方があるんだよ」と示していきたい。競技としてハンドボールをやってきた私だからこそ、伝えられることもあると思うんです。今の私にとっては、ランニングが世界中の国を訪れる理由にもなっているし、友達と会う理由にもなっています。そういう楽しみ方をみんなにも知ってもらって、ハッピーになってもらえたらうれしいです。
■プロフィール
ヤハラリカ
2009年5月『FYTTE』(学研)創刊20周年記念 第1回専属モデルオーディションにてFYTTE未来賞を受賞、同誌初の専属モデルとしてデビュー。
ハンドボール(都代表・関東代表を経験)・ビーチハンドボール(日本代表候補)・スキューバダイビング(レスキュー・ダイバー取得)などのスポーツ経験とマイナースポーツへの造詣の深さを活かし、モデル・パフォーマー・リポーター・MCとしても活躍中。ファンランナーとして、砂漠マラソン3連続完走(サハラマラソン・ナミブレース・アタカマクロッシング)し、南極マラソン出走権を獲得。2020年11月の南極マラソン出走を目指し活動中。講演活動やランニング講師、スポーツイベントのMCなど、スポーツを楽しむことを伝える啓蒙活動にも力を注いでいる。2019年サロモンブランドアンバサダーに就任。
https://yahararika.jp
https://www.instagram.com/rika_yahara/
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