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other2019.12.02

ヤハラリカ│ハンドボールのおかげで、楽しいこともつらいことも「最高のネタ」と思えるようになった【前編】

モデルやタレント、MCとして活躍するヤハラリカさん。学生時代に強豪校でハンドボールに打ち込み、現在もランニングを日常的に楽しむなど、スポーティーな魅力を放っている。しかし、意外にも幼少期は「運動がまったくできなかった」という。そんな彼女に、今に活きるハンドボール部での経験や、ヤハラさんだからこそ伝えられるスポーツの楽しさについて聞いた。


■褒められたことがとにかく嬉しかった


──子どものころから、身体を動かすことは好きでしたか?

それが、ぜんぜん運動ができない子だったんです。3歳まで親の仕事でアブダビに住んでいて、暑いから外で遊ぶ習慣がなくて。日本に移ってきても、これまで外で遊んだことがほとんどなかったから、歩道と車道の段差もジャンプできなかったくらい。小学生になってからも引き続き運動は苦手で、トランペットをやっていました。でも、運動が嫌いなわけではなかったんですよね。気持ち的にはやりたいのに、できなかった。身長が大きかったこともあり、半年だけバスケをやっていたこともあったんですが、やっぱりうまくできなくて怒られてばかりでした。


──その後、ハンドボールを始めたきっかけを教えてください。

中学に入ってから、トランペットをやっていたのもあって、もともとは吹奏楽部に入ろうと思っていたんです。でも、友達から「ハンドボール部に行きたいから体験入部についてきて」と誘われて。行ってみたら、先生に「お前は運動能力が高いから絶対にスポーツをやったほうがいい」って言ってもらえたんです。私、人生で初めて運動で褒められて、うれしくなっちゃって。しかも、隣のコートを見たら、当時好きだった子もいて。それですぐに「入ります」って言いました(笑)。



──ご自身では運動に苦手意識があったなか、先生が能力を見出してくれたのですね。

今思えば、小学生のころ少しバスケをやったおかげで、ステップやディフェンスがなんとなく身についていたのがよかったのかもしれません。それと、私は片手でボールを投げるのだけはやたら得意だったんですよ。ソフトボール投げも60mくらい飛んでいたんです。でも、ハンドボール部に入ったことを家族に伝えたら、親戚一同から「運動部に入ったの?」って笑われました(笑)。


──ハンドボールを始めてみていかがでしたか?

もう、楽しくて仕方がなかったです。みんなでシュートを打つときのステップだけで鬼ごっこをしながら帰ったり。褒めてもらえることがとにかく嬉しくて、すぐにハマりました。「私のためのスポーツ」と思っていたくらい。部活以外の時間でも、鏡を見つけてはフォームを確認したりして。常に、早く部活に行きたくてしょうがないと思っていました。
 


──ハンドボールのどんなところに魅力を感じていましたか?

コートが狭いぶんゲーム展開が早いことだったり、手を使ってボールを操る競技だから繊細さやテクニカルさが際立つことだったり……それに、コンタクトがあるところも、ガツガツ行けるので私の性に合っていたんですよね。遊びとしてハンドボールをやっていたような感じがあり、自由奔放に自分のやりたいようにやっていました。そのため、私がワンマンプレーにはしってしまうこともあり……人間関係に悩んだこともありました。


──チームとしての成績はどうでしたか?

最終的な成績は、東京都ベスト8でした。すごいって言ってもらえることもあるのですが、私たちは当時「銀河系優勝」という目標を掲げていて。だから、悔しい気持ちが大きかったですね。


──とても高い目標を掲げていらしたのですね。

先生が、元全日本の女子ハンドボール選手で。よく、ドイツやフランスの世界トップレベルの試合のビデオを見ていたので、自然とマインドが世界レベルになっていたんだと思います。今思えば、身の程知らずだったかも知れないですけど。
先生のことは当時から本当に尊敬していて。先生は「人間は、やりたいと思ったことは絶対に叶えられる」って言っていたんです。だからきっと、空も飛べるようになる、だけど時間が必要だから、私たちが生きている間は無理だって。でも、それに比べたらハンドボールって簡単だから、やろうとすればきっとなんでもできるんだよ、と。私の人格の半分以上は、中学時代の先生の影響があると思っています。


■ハンドボールの楽しさを、より深く感じられた


──高校でもハンドボールを続けたのは、自然な流れだったのですか?

もともと、高校でハンドをするつもりはなかったんですよ。だって、走るのが苦しかったから。ボールを投げたり、プレーのひとつひとつは楽しくて大好きだったけれど、中学のころから走る練習が大嫌いでした。でも、先生のつながりでよく練習に行っていた高校が、うちに来てくださいとずっと言ってくれていたんです。子どもながらに断るのが申し訳なくなっちゃって。続けたくない理由を聞かれたときに、「走りたくない」と言ったら、「キーパーなら走らないよ」って言われたのもあって、高校ではキーパーをすることになりました。


──高校のハンドボール部に入ってみて、どうでしたか?

入った高校は、全国大会常連の強豪校。ハンドボール専用体育館があって、環境的にもとても恵まれていました。中学ではとにかく無邪気にハンドをやってきていて、正直ルールも理解しきっていなかったぐらいで。高校では技術や戦術など専門的に吸収することができて、より深く楽しみを感じられるようになりました。ポジションも変わったから、ひとつひとつが新鮮で。高いレベルの中でできたこともすごく楽しかったです。



──高校時代のヤハラさんはどんなキャラクターだったのでしょう?

普段は体育会女子のノリでふざけまくっていたのですが、部活中の私は、めちゃくちゃ怖いと思われていたみたいなんですよね。ハンドに対して真面目でまっすぐすぎて、融通が効かないって言われてました。とにかくストイックで、全国優勝と個人でもU19日本代表に選ばれることも目標に掲げ、1分1秒をムダにしたくないと思っていました。


──高校時代の結果はいかがだったのでしょうか?

チームは最終的に、東京都優勝、関東3位、全国ベスト16。個人としては関東代表までは選ばれましたが……目標を本気で目指していたので、達成できなかったことが悔しくて。人生で一番落ち込みました。これだけやってきたのに、って。ショックすぎて、それからしばらくはハンドボールのハの字も聞きたくなかったくらい。部活の先生は大学でもハンドを続けさせようとしてくれたんですけど、もう何も言わずに大学を決めちゃいました。ハンドボールから逃げてしまったんです。それから10年ほどは、まったくボールに触りませんでした。



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後編 では、ハンドボールから一度は距離を置いていたころモデルの世界に飛び込んだ経緯や、大人になってから再びハンドボールを始めたきっかけ、そしてヤハラさんが感じるスポーツの魅力についてお伝えします。


■プロフィール

ヤハラリカ

2009年5月『FYTTE』(学研)創刊20周年記念 第1回専属モデルオーディションにてFYTTE未来賞を受賞、同誌初の専属モデルとしてデビュー。
ハンドボール(都代表・関東代表を経験)・ビーチハンドボール(日本代表候補)・スキューバダイビング(レスキュー・ダイバー取得)などのスポーツ経験とマイナースポーツへの造詣の深さを活かし、モデル・パフォーマー・リポーター・MCとしても活躍中。ファンランナーとして、砂漠マラソン3連続完走(サハラマラソン・ナミブレース・アタカマクロッシング)し、南極マラソン出走権を獲得。2020年11月の南極マラソン出走を目指し活動中。講演活動やランニング講師、スポーツイベントのMCなど、スポーツを楽しむことを伝える啓蒙活動にも力を注いでいる。2019年サロモンブランドアンバサダーに就任。

https://yahararika.jp
https://www.instagram.com/rika_yahara/

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