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baseball2018.09.27

山崎武司(元中日・オリックス・楽天) 代名詞は豪快なホームラン。勝負強さの秘密と思い出の一発【インタビュー前編】

勝負強い打撃、歯に衣着せぬ物言い、外国人選手にも物怖じしない闘志あふれる姿勢、そして代名詞とも言うべき豪快なホームラン。

元プロ野球選手・山﨑武司を語るとしたらそんな表現になるだろうか。

そのプレースタイル、性格、「たけし」の名前から彼に付いたあだ名は“ジャイアン”。実は繊細で心優しき一面を持ち、いざという時に頼りになる男というイメージがぴったり来る。

現役時代は数々の苦境に立たされながらも持ち前の反骨心、恩師との出会いを通してそれを乗り越え、厳しいプロの世界で27年を過ごした。

44歳で引退するまでに打点王のタイトルのほか、歴代18位となる通算403本のホームランを放ち、80年の日本プロ野球の歴史の中でたった3人しか達成していないセ・パ両リーグホームラン王にも輝いた。

輝かしい成績を残す一方で波乱万丈の野球人生を送ってきたという意味で今後、指導者としての活躍も大いに期待される野球人・山﨑武司。彼が目指す指導者像と野球に対するこだわりに深く迫っていく。
 

永遠のスターは“ミスター”。初めてのグローブは祖父母から。

-まず、野球を始めたきっかけを教えてください。

小学2年の時から野球を始めました。父親から勧められて、身近にあるとスポーツというところで野球をやるようになりました。もし別のスポーツが近くにあったらそっちをやっていたかもしれませんね。

特に兄弟がやっていたとかいうわけでもなくて、昔はどこでも巨人戦の中継が家のテレビで流れていたじゃないですか。それを観て育ったから、別に野球を強制されたわけでもなく、自然とそうなっていきました。

-巨人の話が出ましたが、現役時代に長嶋茂雄さんからミットにサインをいただいてそれを今も大切に持っているそうですね。

子供の頃から生意気だったので野球選手のサインが欲しいとか思ったことがなかったんですけど、ミスターだけは特別でプロに入ってたまたま教えてもらう機会があったのでその時にいただきました。プロ野球選手でサインをもらったのはミスターと、子供の頃に地元の野球教室に来た谷沢(健一)さんぐらいじゃないでしょうか。

たまに親父が会社の関係でチケットをもらってきて、ナゴヤ球場での試合を観たこともありましたけど、やっぱりそれも巨人戦じゃないと行かなかったですしね。

-子どもの頃に初めて買ってもらった野球道具のことを覚えていますか?

初めての野球道具はおじいちゃんとおばあちゃんに買ってもらいました。確か買ってきてくれたんじゃなかったかな。当時おばあちゃんが勤めていた場所の隣がスポーツ店でそこで買ってきてくれたんだと思います。メーカーは SX 400というやつでしたね。今は知っている人もほとんどいないでしょうけど。その時にバットも一緒に買ってもらいました。

-山﨑さんは野球を始めた当初は外野手で、その後捕手にポジションを移してから頭角を現しています。

少年野球に入ってすぐはいわゆるライパチくんでしたね。野球を始めて1年くらいですぐに引っ越ししてしまって、チームが変わったというのもあり、そもそも小学校5年生まで全然試合に出られなかったです。別に体も特別大きいわけではなくて、試合で使ってもらえるようになったのはキャッチャーになってからでした。


崖っぷちで放った一発。プレッシャーを力に変える方法。

-意外にも中学時代はホームランを打った記憶がないとか。

はい。飛ばすことはそこそこ得意だったんですけどバットに当たらなくて(笑)

-覚えている限りで一番古い印象的なホームランを教えてください。

愛工大名電に進学して、僕は1年生の秋から試合に出ていたのですが、その中で印象に残っているのが新チームになってすぐの2年生の秋大会です。 愛知県は1次リーグ、2次リーグ、県大会、東海大会と試合が続いていくのですが、最初の方は公立高校としか当たらず、名門私学である愛工大名電としては負けるわけにいきません。

でも2次リーグでこけそうになってしまって、いよいよここで負けたら敗退と言うところまで追い込まれました。8回裏、3点差で負けていたんです。もし負けたら秋から冬にかけて、長く厳しい地獄の練習が続くわけですよ。既に試合中から監督はものすごく怒っていて、「これで負けたら解散だ!お前ら許さん!」とまで言っていました。

そんな中、満塁で僕の打席が回ってきたんです。ネクストバッターズサークルにいる時に同級生が僕のところに来て、「頼むから打ってくれ!これで負けたら冬が長いぞ、俺たち死んじゃうぞ」と泣きついてきたんですよ。

僕は「任せとけ!絶対打ってやるから」と言って打席に立ち、本当に満塁ホームランを打って県大会に出場することができました。この1本はすごく思い出に残ってますね。

-普通なら緊張する場面ですし、チームメイトから泣きつかれればさらにプレッシャーを感じてしまいそうです。

そもそもプレッシャーだなんて思ってなかったですね。俺が打たなきゃ誰が打つんだと。山﨑頼みのチームでもありましたから、役割を果たせてよかったとは思います。

緊張やプレッシャーの捉え方についてはプロに入ってからも同じです。むしろプロになってからは「ここで打ったら明日は新聞一面」「賞金がもらえる」「タイトルを獲ったら車を買おう」などと目の前にニンジンをぶら下げて結果を残していました。だから懸賞がかかるようなオールスターとかそういう場面は特に僕強かったですよ。

逆に打てなかった時のことっていうのはあんまり考えなかったです。 いつ悪くなるか分からないからそれに向けて準備をしておこうというのはいいですけど、悪いイメージをしすぎてそれにハマってしまうのはよくないですよ。

僕はグラウンドに立てばそこは戦場と同じで、絶対にやられるもんか、絶対に生きて帰ってきてやるんだという気持ちで臨んでいました。だから乱闘にもなるし、グラウンドで暴れることだってありました。 

-山﨑さんといえば外国人選手との乱闘を連想する人も多いかもしれません。でも実は自分から仕掛けたことはないんですよね。

僕は外国人との乱闘も結構やりましたけど、元々彼らは自己主張の強い人種なので基本的に謝ったら負けだと思っている節があるんです。でも打者にデッドボールを当てたなら投手は謝罪の姿勢を見せるべきじゃないですか。少なくとも日本でやっている以上は日本の流儀に従うべきだというのが僕の持論ですから、当てておいて挑発的な態度を取る選手とは乱闘に発展しやすかったです。


昨今の高校野球に思うこと。実感した“考える”大切さ。

-山﨑さんは愛知の強豪校・愛工大名電高校出身で高校時代は厳しい指導を受けてきたと思いますが、昨今高校野球で起きている問題についてはどう思いますか 

暑いから夏はやめようとか、100球でピッチャーを交代しようとか、そういう縛りをすればするほど選手を各地から集めてくる私立強豪校がどんどん強くなっていくでしょうね。だったら選手を壊さない使い方をしていくというのが指導者の定めなのじゃないかなと思います。

結局どういう方法にしても問題は出るものです。それをできる限り少なくするための議論はすべきですけど、野球の根本的な部分までは変えるべきではないでしょう。 

例えばバッターがファールで粘ったりすればどうやったって時間はかかりますし、ピッチャーもその分多く放らないといけなくなるわけですから。

高校球児たちは勝つためにすべてを犠牲にして、3年間死に物狂いでやっているんですから、決着がつくまでやらせてあげればいいと思います。もちろんできることはすべきで、例えば準決勝と決勝の間に1日置いてあげるとか、まずはそういうところからやっていけばいいんじゃないでしょうか。それも球場の調整や天気の関係など、色々とハードルはあるとは思いますけどね。

-一方で進学校や公立校の中には文武両道を実現させて、好成績を残す学校も出てきています。

今の学生野球は指導者もすごく勉強してますし、体格も大きくなってきているのでより高度な練習を早くからできる時代になってきてると思います。

でも実際はまだ長い時間練習するところの方が多いでしょう。いずれにせよ、一つひとつのことをなぜやるのか、ということを自分で考えられるかどうかが重要なのではないでしょうか。

下級生が先に朝早く行って、ロッカー掃除をさせられたとして、それには一体何の意味があるのかを自分でいち早く見出すことができれば、成長もそれだけ早くできると思います。

僕の場合、そういうことを考えずにただ野球をやってきてしまって、頭を使うことの重要性に気づいたのは35歳の時でした。かなり遅かったかもしれませんが気づけてよかったです。 そこからは野球というものが本当の意味で少し分かりましたし、正直野球が好きじゃない時期もあったんですけど、そこからまた少し好きになれたような気がしました。



後編: 理想の指導者像と感覚を大切にした道具選び につづく。


【インフォメーション】
山崎武司オフィシャルウェブサイト
http://www.yamasakitakeshi.com/

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