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football2020.07.09

『コロナ後のサッカー界のあるべき姿と、名波浩が追い求める“終わりなきサッカーへの探求心”』

日本が初めてワールドカップの激闘を経験して、早22年が経過した。

左足一本から繰り出されるパスで日本代表を世界の檜舞台へと導いたのが名波浩氏だ。

光も影もその左足に映し出し、様々な困難やプレッシャーを超えながら、真摯にサッカーと向き合い、どこまでも挑戦的に歩み続け、切り開いていった。それは、プレイヤーを引退して監督になったときも同じだった。そんな名波浩氏にサッカーを通じて描きたかったこと、届けたかったメッセージとは? コロナ後のサッカー界のあるべき姿を語っていただいた。


――名波さんに技術のことを深掘りしていこうと思います。脱力感をもって創造性に溢れるパスや、ボールコントロールを実践されたイメージです。学生時代に、一番意識していたトレーニングはどのようなことをされていましたか?

トレーニングでいったら、たまたま小学校、中学校にもシュートボードがありました。小学校の時はそのボードに狙って蹴ったり、距離とって当てるということをやっていました。

中学校の時はゴールの両脇にシュートボードがあり、逆サイドにあるボードを狙ったりして、それを繰り返すみたいな。

ボールコントロールという意味では、ボードから跳ね返ってきたボールをファーストタッチで意図的に左足に置けるとか、個人技術の鍛錬としてやっていましたね。

――当時は、今みたいにYouTubeもない時代で、情報が少なかったと思いますが、自分で考えて実行する視点をどう培われたものですか?

そうですね。「左利きの稀少価値」というのは、小さい時から感じていた部分がありました。

当時、僕の前のポジションにうまくて、強いやつがいて。そういう「個性が強いやつをどう活かすか」「自分が点を取るよりも味方を活かす」、「味方に点をとらせる」っていうほうに、徐々にシフトチェンジしていった感じです。

中学に入ると“スケールの大きいミッドフィールダー”が話題になって、サイドチェンジ、ダイナミックなワンツーコンビネーション、そういうプレイが目立つのかなと感じながらやっていました。

――名波さんというと左足へのこだわりが有名だと思いますが、「左足だけでいくぞ!」と思うようになったのはいつ頃ですか?

5年生の春先に、試合に出られるようになって、そこからですね。

6年生に左利きがいなくて、5年生にも左利きが1人しかいなくて。「稀少価値があるかな?」と思うようになって、「自分の特徴は左足なんだ」と認識して、磨いていこうと決意しましたね。

――そんな左足を支えていたスパイクについても伺いたいです。現役時代は、スパイクにどんなこだわりや、要素を求めていましたか?



今の選手みたいに、自分のモデルをメーカーと売り出していこうという感覚は全くなくて、市販のスパイクを履いていました。

プレデターの初期モデルなんですけど、それ以外一切履かなくて。型を取ったりもせずに、市販のサイズで履いていました。メーカーが持ってくる次のモデルを、ただ履いたりしていました。

――スパイクについて、大事にしてきたことはありますか?

スパイクをまず磨くこと。泥をとってドライな状態で磨いて、状態が良いのを脳裏よりも足にインプットさせる。履いた感触がベストじゃなくなった時は、履き替える習慣を大学生からやっています。

高校生の時はメーカーから年間5~6足ほど、支給されていました。土のグラウンドで回転も早かったです。

プロになって1996年~2004年ぐらいまでは、負けたら替える。

試合で負けたら練習用のスパイクにしていました。練習用のスパイクの手入れは、ホペイロに任せず自分でやっていましたね。

――プロ2年目から日本代表に定着されていました。その頃から練習中で、意識的に変えた点やサッカー観が変わったことは、ありましたか?

最初は守備の概念が、「個でボールを奪えばいい」と思っていましたが、徐々に組織でボールを奪うことや、ボールを奪うイメージの共有を意識するようになりました。それらが「ハマった時」の優越感や成功、達成感などを感じられるようになりました。そのレベルも徐々に上がっていきましたしね。

自分は華奢なほうだし、スピードも無い。いかに速いアプローチを見せるか。予測と動き出しの早さで勝負していたので、それに周りがついてきてもらうこと。

周りがそういう(ついてこれない)反応をした時は、自分がついていかなきゃいけなかった。90分間サボらない、守備のところは特に学んだと思いますね。

――今振り返ると、名波さんの現役時代サッカーをやっていて、一番楽しかった時期というのは、どんなことが思い出されますか?



時期は…全部楽しかったですよ。デビューしてから引退するまで。

ワールドカップ出場、イタリア挑戦、怪我をしたり、J2でもプレイしたし、いろんなことが紆余曲折あったけど、その時々で、非常に周りの選手やスタッフも含めて支えられて、楽しませてもらった感じですね。

――名波さんは、当時サッカーを通じてどんなメッセージを観ている方に伝えたかったのですか?

「プロサッカー選手たるものはこうだ!」というのを見せたかったので、あまりチャチャラしたりするのは好きじゃなくて。

CMのオファーもありがたいことに頂いていましたが、adidas、協会以外は一切出てなかったです。

バラエティ番組も、クラブが「これは出てくれ」と言われたもの以外は出ていなかった。

基本的には「ピッチの中だけで自分を評価してくれ」と。それはもう、「クラブハウスとか、練習のピッチではなくて。みなさんがお金を払って観に来るピッチの上だけで評価してくれ」という想いです。

――現役を終えて、ジュビロ磐田で監督も経験されました。名波さんが追い求めたサッカー像とは?



「前に速いサッカー」。「ボコボコ蹴るサッカー」ではなくて、とにかく「縦にどんどんボールを入れていく」。「ボールを刺していくサッカー」が好きだと。トレンドを追っていた部分もありました。

「トレンドを追う」ってことは、Jリーグ、ACL、クラブワールドカップで勝つとかじゃなくて。
個人としては、(指導したジュビロの選手)みんなに日本代表選手になってほしい。もしくはヨーロッパへ出て行ってほしいから。

自分がやってきたパスサッカーから、今のヨーロッパがやっている「驚愕なスピード感があるサッカー」、もしくは「シンキングスピードも含めたスピード感を出すサッカー」。そういうところを選手たちには常に意識してほしいと思っていた。

それを俊輔は、入って半年ぐらいで理解してくれて。その年(2017年)はケガもあまりなかったから、うまくいった。そういうところもありましたね。

監督を終えての1年は、旬なうちに「対戦したことがある監督」のところに行こうと思ったんです。

コンサドーレ札幌のミシャ監督のもとで、自分が持っていない「前線のトライアングル作り方」。

徳島のロドリゲス監督に,関係の築き方。FC東京の長谷川健太さんには、「物事を語らない威圧感」を勉強させていただきました。

――「コロナ後」のサッカーのあり方をお聞きしたいのですが。まずは選手目線で変化はありますか?

現場にいないからわからない部分もありますけど、とにかく感染防止を、第一に考えながら、「今できること」を自問自答しまくる日々…。

自分の足りない部分を話し合い、必死にやり、表現する時期。それ以上でも以下でもないと思います。これから感染が広がるかもしれないですし、もしくはプロエンターテイメントが中断して、できなくなってしまう可能性もある。そんななかで、サッカー界は支え合ってほしい。

――監督目線での無観客試合の難しさは?

ホームアンドアウェイはほとんどなくなるので、実力あるチームが上に来る感じかなと。今シーズンは5人交代ができるから、「枠をうまく使う」ということ。

でも、監督経験者に聞くと「5人変えたら、チーム変わっちゃうよね」という。今年は降格ないので、積極的に若手も使えるかもしれないので…。試合数を3分の1消化して、順位やクラブの方向性見えた時に、監督の更迭もほとんどないだろうし、監督の色が出やすいかなと思います。

今までのシーズンよりも、戦術を含めて、その辺りの采配は見ものかなと思います。

――今だからこそ、Jリーグチームが取るべき施策やチャレンジすべきことは?

経営を支えてくれている、スポンサーやファンクラブの会員へのプラスを、まずは考えたいですね。スポンサー様と一緒に社会貢献活動を取り組んだり、お金ではなく、「心を満たす」という方向性の徹底ですね。

あとは選手を使って、地域の子供達とやれることを考えますね。

サッカー部だけではなくて、他の部活(文化系部活も)でも、コロナウイルスの影響で規模が縮小しているので。プロクラブを使ってどうにか前向きに発信する。選手も、少し前までは練習できなかったので、「コラボ練習」など派遣して、広げてもいいと思います。

――アルペングループマガジンは、部活生も多く見ているサイトです。大会、選手権などのステージ奪われた学生へのエールや、今しかできないことをお聞かせください。



大きな大会を失った子どもたちの気持ちを代弁できない。その状況は、想像できないですし。自分が、もし学生だった時に目標にやってきた大会が無くなったと思うとぞっとする。

3年間お弁当を作ってくれた親の気持ちなど、そういうことを思うと、「頑張って」、「残念」、「その後の人生に生かせ」とか、軽々しくは言えないです。

それでも、前に進まないといけないし、これからの近未来社会では今の学生が主役になります。

3年生は、これまでの努力や(一緒に歩んできた)仲間のことを見つめてほしいし、大事にしてほしい。上のステージに行く人、別の分野に挑戦する人、様々だと思いますが、この悔しさを(次のフィールドに)ぶつけてほしい。

――部活生に試合前、大舞台やプレッシャーの乗り越え方をアドバイスするなら?

自分は、緊張しやすいけど、楽観的でもある。まずは楽しい方向に持っていきます。

だけど、フランスワールドカップ予選では、非常事態局面ではあったので、楽しむ気持ちを忘れてしまい、楽観的になるまで時間はかかってしまいました。

小さいときから、「程よい緊張感を超えた緊張感」というのがあって、自分を鼓舞したり、声を出して必死に切り替えていましたね。

試合後は特に大事です。ベストパフォーマンスが出来た時はいいですが、良くない時や(気持ちが)落ちた時はその対処法を見つける必要があります。今は、自分の映像を見て、フィードバックができるので、そこで良かった時の映像を見返す。

自分は、プロになってからもずっと高校サッカー選手権の映像を繰り返し観ていましたしね。気分が晴れますし、プラス思考になれる。「こいつ天才や」とか言いながら。(笑)

そういう風に立ち返ることが出来れば、試合の持っていき方やプロセス巻き戻せますから。これは、スポーツ以外にも使える手法だと思いますよ。

――最後に10年後のビジョンをお聞かせください。

60歳前後だから、会社でいうと定年の少し前ですが、現場で監督をしていたい気持ちが強い。

これまでも成功や失敗を繰り返してきている人生ですけども、向上心を持って上がっていればいいだろうし。

後輩たちに「良い生き方」と言われるような人生。「小さいな」と思われたくないんだよね。(笑)
そういう人生を歩んでいけたらと思います。

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