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football2020.11.12

伊東純也の活躍は、日本代表のサッカーに新しい1ページを刻めるのか。

カメルーン戦とコートジボアール戦。10月にオランダで行なわれたアフリカ勢との2連戦のあと、何人かの人にこう言われた。

「伊東純也、良かったですね」

たぶん、その人たちはレイソル・ファンか、男前好きか、はたまた、わたし以外にそんな人間がいるとは思えないが、プーマ・ユーザーをオートマチックで偏愛してしまう変質者か、のいずれかだったのだろう。彼らは(女性も含む)は文句なしに嬉しそうだった。ずっと期待していた贔屓筋がようやくいい仕事をしてくれた。そう感じているようだった。

困った。

伊東純也は駿足のアタッカーで、プーマ・ユーザーで、かつ男前である。わたしが好きになる条件をすべて兼ね備えているし、実際、カメルーン戦、コートジボアール戦の彼の出来は悪くなかった。というか、日本代表選手の中では明らかに上出来に部類に入るプレーぶりだった。

ただ、ですね。

ベルギーに活躍の舞台を移したことで、伊東が自分のスピードに対する自信をより深めていたのは間違いない。以前に比べて、1対1で仕掛ける際の迷いもなくなってきていた。持てば仕掛ける、抜きにかかる。あれだけ1対1に自信を見せてくれる選手が仲間にいれば、当然、そこにはボールが回る。日本代表の面々も、伊東をパス選択肢の最上位にランクさせてプレーするようになった。

するとどうなったか。日本代表の攻撃にアクセントを加えるために起用されたための伊東は、日本のオンリーワンになってしまった。

わたしの見る限り、これまで森保監督が目指してきたサッカーは、いわゆる“厚みのサッカー”だった。敵陣深くに、できるだけ多くの人間を、できるだけ長い時間送り込む。いわゆるバイタルエリアにおける攻撃の選択肢を増やすことで、飛び抜けた個人がいない弊害をカバーしようとするスタイルだ。

このサッカーを形にする上で、重要なポイントはいくつかあるが、たとえばクライフ時代のバルセロナや、メノッティ時代のメキシコ代表が重用し、世界を驚かせたのは、絶対的なポストプレーヤーの存在だった。

ポストプレーとは、要は、相手を背負ってボールを受け、攻めあがってくる味方にボールを落とすプレーのこと。つまり、一人の選手が敵陣に背を向けてプレーすることで、多くの選手は前を向いてボールをもらえるようになる。森保体制になってからの日本代表の場合、その任を一身に背負ってきたのが大迫だった。

当てて、落とす。その間に味方がラインを上げる。また当てて、また落とす。またラインを上げる。堂安や南野、中島たちがうっとりするほど美しいサッカーを展開できていたのは、大迫という彼らにボールを落としてくれる存在がいたから、でもあった。

だが、カメルーン戦での大迫は、ここ数年の中ではちょっと見ないほどに出来が悪かった。ポストプレーの精度が落ちていただけでなく、そもそも、ポストをもらえる位置に入ってくること自体が減ってしまっていた。

伊東の活躍は、そんな状況で産まれたのである。

いつものサッカーができない日本代表の選手たちは、試合の中で戦える武器を必死に模索したのだろう。

そこで見つけたのが、伊東の速さだった。

いうまでもなく、伊東はポストプレーヤーではない。彼の良さは、前を向いてスペースに飛び出してこそ発揮される。それは、森保体制になってからの日本代表が指向してきた方向性とは、明らかに違うスタイルだった。

大迫が仲間のために時間を作る選手だとしたら、伊東は突破のために時間を使う。基本的な方向性がしっかりした上で、アクセントとして使われるのならいいのだが、オランダで戦った日本代表は、伊東の速さがほぼ唯一といってもいい武器になってしまっていた。

“厚みのサッカー”は完全に姿を消してしまった。

ボールポゼッションで相手を圧倒することを目指すサッカーは、それが上手くハマれば、チャンスの数でも、質でも相手を上回ることが多い。もちろん、時には相手のワンパンチに沈むこともあるが、長い目で見れば、チャンスを多く作ったチームの方が成績で上回る──という前提に立っている。



伊東の活躍と台頭は、だから、わたしには日本代表の方向性をボヤけさせてしまうのでは、という危惧がある。

基本的に、彼はチャンスメーカーであってゴールゲッターではない。サイドから作ったチャンスをいかすには、中央に決定力や破壊力のあるストライカーが必要になってくる。

いまの日本に、そんなタイプのストライカーはいない。大迫は優れたポストプレーヤーだが、得点能力という点に関しては、ブンデスリーガで上げたゴールの数が物語ってしまっている。残念ながら、彼は世界の超一流、というわけではない。

メッシというあまりにも偉大な選手の偉大な成長によって、バルセロナはティキタカを失ったとわたしは見ている。ティキタカに頼らずとも、メッシにボールを預けていればなんとかなってしまうという現実が、バルセロナの選手とスタッフを怠惰にしてしまった。

サッカーにおける化学反応は、かようにデリケートで、予測が難しい。

伊東純也の活躍が日本代表にとって吉なるものなのか。

いまのところ、わたしには答が見えずにいる。

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