日韓W杯から20年。今こそ思い出そう、若さゆえの怒りや不満を力にしていたことを
日韓W杯から20年が過ぎた。各メディアが当時の関係者の証言を集めているし、わたし自身、いろんな方にお話をうかがい、また、質問も受けた。
日本サッカーのレベルは上がったのかという質問に関しては、ほとんどの人が「イエス」と答えた。同感である。そのきっかけの一つとして、あの大会があったのも間違いない。いまJ3やJFLに所属するクラブの多くは、02年以降に誕生した。ワールドカップが開催されたことで、そして様々な国が日本の各地でキャンプを行なったことで、日本人とサッカーの距離感は一気に縮まった。
だが、愕然とさせられたこともあった。
Jリーグが発足した93年当時、巨人の主力だった原辰徳と、ヴェルディのスターだったカズの年俸はほぼ同じだった。当時阪神で活躍していた選手から「めちゃくちゃ羨ましかったですよ。北新地での羽振りの良さからして、絶対に阪神よりガンバの選手の方がいい給料もらってましたから」と苦笑混じりに言われたこともある。こと年俸面での比較において、Jリーグとプロ野球の関係は、ほぼ互角か、地域、チームによってはJリーグの方が上回っていた。
ところが、日韓W杯が開催された02年、プロ野球では松井秀喜がオプション込みで7億円を超える収入を得ていたのに対し、Jリーグからは億を超える選手がきれいさっぱりいなくなっていた。
中田英寿や小野伸二といった、当時の日本最高の選手たちが海外でプレーしていたから、という面は確かにある。だが、同じことはイチローがシアトルに渡っていたプロ野球についても当てはまった。
日本サッカーのレベルは上がっていたかもしれないが、日本でプレーしている選手たちの収入は、無残なまでにプロ野球に水を開けられていたのである。
世界における実力を考えると、分不相応としか言いようがないぐらいのギャラが支払われていたのが初期のJリーグだとしたら、以降、ギャラと能力のレベルはどんどんとバランスの取れたものに収斂していき、ある時期からは逆転現象に陥った。ギャラが、能力を考えれば不当なほどに安くなってしまったのである。
結果、日本人選手は海外のクラブにとっては宝の山となり、いまや言葉の障壁の少ないオーストラリアやアメリカといった国をはるかに上回る人数の日本人選手が、ヨーロッパでプレーするようになった。これまでは、日本経済の長期下落傾向を考えれば、ある程度仕方のないことだという諦めの気持ちもあった。
だが、Jリーガーの収入が低い原因を日本経済に見出すならば、同じ現象はプロ野球にも起きているはずだった。
幸いなことに、メジャーリーグには及ばないものの、プロ野球は依然として決して低くはない給料水準を維持している。
なぜこれが「幸い」なのかと言えば、もしプロ野球の年俸までが下がってしまうほど日本経済がダメになっているのであれば、サッカー界にできることはほとんどないが、そうでない以上、やれることはまだ十分に残されているはずだから、である。
Jリーグが発足したことで、プロ野球界は「地域密着」の思想の影響をたぶんに受けた。現在のプロ野球、特にパ・リーグの多くは、プロ野球とJリーグのハイブリットと言ってもいいぐらいだとわたしは思う。企業名を隠すことなく、しかし地域に密着する姿勢を打ち出したことで、日本のプロ野球は以前よりも確実に大きな存在となっている。
Jリーグが発足した当時、そしてW杯が日本で開催された02年当時、プロ野球関係者の口からは頻繁に「野球人気の危機」という言葉が聞かれた。だからなのか、彼らは積極的にJリーグの武器を取り入れ、同時に、独自の新機軸を次々と打ち出した。
では、20年前には構想すらなかった「交流戦」というシステムが導入されたプロ野球に対して、Jリーグには、日本サッカーには「あのころはなかった何か」が生まれただろうか。そもそも、産み出そうとする発想、努力はあっただろうか。
なかった、とはいいたくない。きっと、あった。だが、いまのところ、それが目に見える形になったものは、決して多くない。
サッカーは新しく、野球は古い──ちょっと信じられない気もするが、そんな認識が当たり前のようにこの国に広がっていた時代が、かつてはあった。サッカーは若者のスポーツであり、野球はおっさんのスポーツ、などと平然と口にする人たちもいた。
いま、サッカーは、Jリーグは、少しも新しくない。Jリーグを観戦する人たちの平均年齢は、ものの見事に毎年1歳ずつ上がっている。ベイスターズの本拠地は年々アップグレードされているが、同様の進化を見せているサッカー・スタジアムがどれだけあるだろうか。
にもかかわらず、かつてプロ野球関係者が口にしていたような危機感が聞かれることは、残念ながら、あまりない。
20年前、まだ「若いスポーツ」だったサッカーは、よくも悪くも無鉄砲だった。たった4年前に初めてW杯に出場したばかりで、結果は3戦全敗、最終戦で1ゴールをあげるのが精一杯だったにも関わらず、メディアは──少なくともわたしは、決勝トーナメント進出は最低限の義務だと吠えまくっていた。W杯史上、地元開催でグループ・リーグ敗退をした国はいない。日本がその最初の国になってはいけないとがなりたてていた。
いまから思えばとんでもない身の程知らずである。実際に戦う側からすれば、たまったものではなかったとも思う。だが一方で、身の程知らずなほどのノルマがあったからこそ、常識をはるかに超える結果がもたらされたのではなかったのか、と思わないこともない。
カタールW杯を前に、メディアは、ファンは、日本代表の苦戦を前提に話をするようになっている。
ドイツがいて、スペインがいるのだから、当然と言えば当然……と考えてしまうわたしは、あのころの無鉄砲さを完全に失ってしまっていることに、改めて気付かされた。
何もなかったところにプロ・リーグを立ち上げられたのも、一度も本大会に出場したことのない時点でW杯の招致活動に乗り出せたのも、そしてたった2度目でしかないW杯で初勝利どころか、決勝トーナメント進出を義務づけたのも、すべては日本サッカー全体に広がっていた若さゆえ、だった。
人間は過ぎ去った年齢を巻き戻すことはできないが、組織にはできる。若い人材、若い発想を重用することで、組織全体を若返らせることはできる。
白状すると、わたしは森保監督に対して厳しすぎるように思えるネットの声に対し、だいぶ懐疑的だった。現実を知れよ、代表チームにクラブチームのような質を要求してどうするよ……と思っていた。
だが、これからは態度を改める。たとえ見方が自分のものとは根本的に違っていたとしても、そこに若さゆえの怒りや不満が感じられるのであれば、尊重して受け止める。
かつて、若さゆえの怒りや不満を存分にぶつけさせてもらった人間の一人として。
それが、日本サッカーのエネルギーになるものだと気付かされた者の一人として。
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