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football2023.03.23

サッカー日本代表、森保監督の第二章が幕開け!「世界一を目指す」と公言した理由とは

3月上旬、阪神の監督を退任した矢野輝弘さんにお会いする機会があった。ちょっと驚いた。というか、目の錯覚が起きているのかと思った。

矢野さん、若返って見えたのだ。

「もう帽子をかぶることもないし、ええかなと思って」

矢野さんの髪は伸びていた。現役時代から久しく“長めのスポーツ刈り”だった髪形は、ちょい悪オヤジ系雑誌にでも出てきそうなおしゃれスタイルに変貌していた。中学や高校の体育教師が、大学教授に変身した、みたいな感じ。

「いや、これでもちょっと短くしたんですよ。一時期、パーマもかけてましたから」

パーマといっても、もちろんパンチではない。軽くウェーブをかけた、おっちゃん的に言うといわゆる“おしゃれパーマ”だったという。阪神の監督をやめたことで、なんだか、矢野さんはすっかり自由になったようだった。

その数週間後、テレビでWBCを見てこれまたちょっと驚いた。

栗山監督、えらい老けてないか?

評論家時代の栗山さんとは、何回かお話させていただいたことがある。年齢はわたしより6つ上で、なおかつ、元プロ野球選手。にもかかわらず、最初から最後まで栗山さんはわたしに対して敬語を崩さなかった。それも、表面だけを繕った敬語ではなく、こちらが恐縮してしまうぐらいの、心のこもった敬語だった。当然のことながら、それ以前にも以降にも、わたしに対してああいう言葉づかいをする年上の元プロ野球選手はいなかった。

なので、侍ジャパンの指揮をとる栗山監督の姿を見てまず思ったのは、「うわ、めちゃくちゃ大変なんだろうな」ということだった。解き放たれた矢野さんとは正反対。とんでもない重責を一身に背負うがゆえの苦悩。日ハムファンの知人によれば「いやいや、21年の半ばぐらいからファンの間では話題になってましたよ、栗山さん、体調悪いんじゃないかって」とのことだが、その時期は矢野さんにしか関心のなかったわたしは、正直、ビックリしてしまった。

知人の言う通り、栗山監督の顔色が良くないのは日ハム時代から、だったのかもしれない。ただ、侍ジャパンの監督を続けることで、監督の顔色が良くなることはまず考えられない。矢野さんは、「去年まではどんだけクスリ飲んでも寝られなかったんですけど、いまはよく眠れます」と笑っていたが、その正反対、それも阪神以上の注目度を集めるチームを任せられた栗山監督が、以前よりも良質の睡眠を確保できている可能性は、まず、ない。

まして、今回の侍ジャパンは、優勝することが半ば命題とされてしまっている。野球はサッカー以上に番狂わせが多い。サッカーでは開幕前に最下位に予想されたチームが優勝したことはまずないが、野球では予想でも前年度の順位でも最下位だったチームがペナントを制したりする。それだけ何が起こるか予想しがたい競技で、何がなんでも優勝を期待されてしまう重圧。これで顔色が良くなる方がいたら、そっちの方が奇蹟である。

注目度が増せば、監督の仕事はしんどくなる。期待値が増せば、もっとしんどくなる。最近、プレミア・リーグあたりでは様相が違ってきたとはいえ、選手に比べれば手にできる収入は相当に低い。だからなのだろうか、それとも選手に比べると年齢を重ねているからだろうか、選手ほどには大言壮語をしない、しにくいのが監督という人種の特徴でもある。

なので、驚いた。驚愕した、と言ってもいい。

「世界一を目指す」と森保監督が公言し始めたからである。

日本のサッカー関係者がW杯優勝を目標に掲げるのは、決して特別なことではない。近いところでは本田圭佑が口にしていたし、わたし自身、自分が死ぬ前には日本が優勝するところが見られるはず、とも思っている。

ただ、本田がW杯での優勝を狙うと宣言した際、監督を務めていたザッケローニは明らかに困惑していた。日本の戦力を客観的に分析すれば、その目標にどれほどの現実味があるかがよくわかっていたからだろう。監督として、そして現実主義者として、ザッケローニとしては本田の志に怯んだ部分があったに違いない。

あのころに比べれば、日本代表は強くなった。実力的なことうんぬんより、世界というものに対する選手たちの心理的な壁が低くなった。戦う前から「どうせ俺たちは」的発想に囚われていた時代は、過去のものとなりつつある。

ただ、ならば現在の日本は黄金のカップに口づけをする格にまでたどりついたのかと問われれば、「残念ながらまだだ」という答がわたしの中にはある。いつかはたどりつけるだろうし、たどりつくための道のりめいたものも見えてきた。でも、まだだといまのわたしは感じている。

というより、それ以外の見方が、つまり「いまの日本なら世界一になれる」という見方がいまの日本サッカー界で一般的になっているとは、とても思えない。

カタールでドイツやスペインを破ったから? いやいやいや。内容で相手を圧倒した上ならばともかく、あれは何年かに一度、ひょっとしたら何十年かに一度しかないワンパンチ・ノックアウトだった。10回戦えば9回は負ける。それぐらいの内容だった。

もちろん、そんなことは他ならぬ森保監督自身が一番よくわかっているだろうし、あれほど差のあった試合内容をこれから詰めていくのが簡単ではないことも、これまた痛いほどにわかっているだろう。

なぜ森保監督はあんなことを言ったのか。

まだ日本がW杯に出場することなど想像もできなかった時代、森保監督の恩師でもあるハンス・オフトは、日本代表監督の就任記者会見で「わたしの仕事は日本をW杯へ連れて行くことです」と言い放った。記者の間から失笑が起きたこの言葉がどれほど日本サッカーにとって大きな意味を持っていたのか、森保監督は知っている。大きな目標を具現化するためには、まず指揮官が本気になる必要がある。ひょっとすると、森保監督はそう考えたのかもしれない。

ただ、大きな目標を掲げた指揮官に対する風当たりは、確実にそれまでよりも強くなる。いままでなら見逃されていたレベルの失敗が、「そんなことで世界一を狙うとは笑わせる」と激烈な反応を引き出すことも考えられる。

わたしが想像する限り、森保監督にとってのメリットは何もない。

それでも、彼は宣言した。それは、宣言することが日本サッカーのためになるとの信念によるものだとわたしは思う。

なので、こちらも姿勢を変えることにした。

これまでは「いかにW杯で戦うか」という前提で親善試合やアジア予選を見てきたが、これからは「いかにW杯で優勝するか」という視点に立つことにする。ただ結果だけを見るのではなく、内容で相手を凌駕していなければ徹底的に批判する、というスタンスで見ることにする。

たぶん、それも森保監督が期待していることだと思うから。

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