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football2023.04.05

Jリーグ30周年記念。今こそ、魅力的なリーグにするために挑戦すべきこと

アルゼンチンのサッカーが好きだ、という方は珍しくない。いや、「珍しくない」どころか、昨年のW杯で3度目の優勝を遂げたいまでは、世界でも屈指の人気を誇る国かもしれない。

だが、アルゼンチン・リーグが好きだ、という方には、ほぼほぼお目にかかったことがない。

かなりのサッカー好きのレベルにまで達してしまった友人の中には、はるばるボカ・ジュニオルス(ジュニアーズでもフニオルスでも好きなように脳内変換してくださって結構です)対リーベル・プレートのスーペルクラシコを観戦すべく、ブエノスアイレスまで飛んだ者もいた。ただ、そんな彼は、ヨーロッパのほぼすべてのリーグ戦を見尽くし、まだ見ぬ世界を求めてアルゼンチンに向かったのであって、アルゼンチン・リーグが好きだから、というのとは少し意味合いが違う。

わたしの知る限り、アルゼンチン・サッカーが好きだからアルゼンチン・リーグも好き、という思考回路で行動決定してきた日本人は、翻訳家にしてライターの藤坂ガルシア千鶴さんという方一人しかいない。78年のW杯と79年のワールドユースでアルゼンチンに惚れ込んだ彼女は、21歳でアルゼンチンへと飛び、以来、現在に至るまでブエノスアイレスに在住している。

言うまでもなく、彼女のケースは激レアも激レア、まずあることではない。たいていの日本人サッカーファンにとって、代表選手を根こそぎヨーロッパに持って行かれたアルゼンチン・リーグは、なかなか魅力的な存在とは言い難いのではないだろうか。

だが、行ってみればビックリする。

わたしも二度、藤坂さんにガイドをお願いしてアルゼンチン・リーグを観に行ったことがある。レベルうんぬん以前に、その激しさに圧倒された、といのうが正直なところだった。選手も激しいしファンも激しい。甲子園のライトスタンドや埼スタのゴール裏がお上品なオペラハウスに思えてしまうぐらい、アルゼンチン・リーグのファンは過激だった。

ちなみに、試合前に藤坂さんからはアドバイスをもらっていた。

「その腕時計、外しておいた方がいいですよ。高価な時計だと手首ごと切り落とされて盗まれることありますから」

……スタジアムがどんな雰囲気なのか、少しはご想像いただけるだろうか。

あのころのわたしは、わかっていなかった。なぜアルゼンチンの人たちは、代表の主力がほとんどいない国内リーグに、あれほど熱狂することができるのか。ヨーロッパで最先端とされつつあった軽やかなパスワークとは別物の、骨が軋むような肉弾戦が繰り広げられているのか。

いまならばわかる。わかる気はする。

それが彼らにとっての日常だから、だと思うのだ。

WBCの優勝には感激した。メジャーリーグのスタジアムは素晴らしいとも思う。では、そのことによって阪神への熱が冷めるか、大谷やヌートバーがいないからNPBへの関心が下がるかと言われれば、わたしの場合、断じてそんなことはない。WBCがどうだろうが、メジャーリーグがどうだろうが、タイガースと甲子園こそが世界一のチーム、世界一のスタジアムである。あり続けている。早くジェット風船を飛ばせるようになってほしいし、東京ドームでの7回裏には「商魂込めて」をうたいたい。

もちろん、これからの若い世代はまた違ってくるかもしれない。野茂英雄さんが太平洋を渡った時、わたしは30歳になろうとしていた。つまり、その年まで、日本のプロ野球こそが日本人にとっての最高峰だと信じて疑わない人生を送ってきた。11年前、大谷翔平は日本のプロ野球を経ずしてのメジャー行きを希望していたが、これからは、そういう才能がどんどんと増えてくるかもしれない。

だが、本当にそういう選手が出てきた場合、日本人が大谷翔平に対するのと同じように熱狂できるかといえば、ちょっと違う気がする。

アルゼンチン人は、リオネル・メッシにずっと熱狂できなかった。

ほとんどすべてのアルゼンチン人が、アルゼンチン・リーグを経由してヨーロッパに引き抜かれていく中、メッシはローティーンのうちにバルセロナとサインをした。本人が望んだというよりは、彼自身の病気の問題や家庭環境が主たる原因だったとはいえ、いわゆる王道から外れた道だったことは間違いない。

メッシに冷やかな視線を向けるアルゼンチン人たちを、わたしは、長いこと「偏狭な人たちだな」と思っていた。だが、今回のWBCを見ていて思ったのだ。

「もし大谷が直接メジャーに渡っていたら、自分はこんなにも熱狂できただろうか」

できた、かもしれない。だが、できなかった可能性もある。少なくとも、わたしはマック鈴木に対して冷やかだった。田沢純一の一挙手一投足に熱狂することもなかった。嫌い、というのではない。ただ、甲子園やプロ野球で活躍する姿を見ていない選手には、どこか思い入れしきれない自分がいた。

甲子園の高校野球は、NPBは、世界最高峰の野球をみせてくれる舞台、ではない。だが、それがなんだというのか、といまのわたしは思える。思えるようになって初めて、メッシに対して冷やかだったアルゼンチンの人たちの気持ちがすこしわかった気がした。

甲子園には、NPBには、戦前から脈々と続く歴史がある。形態やシステムの変遷を経ているとはいえ、アルゼンチン・リーグも100年を優に超える歴史を誇っている。それだけの歴史があるがゆえに、才能が国外に流出するようになったいまも、変わらぬ人気と熱狂を保ち続けている。

そこが、まだJリーグには足らない。

高校を卒業した有望株が、Jリーグを経ずに海外に渡るケースは、もはや珍しいことではなくなりつつある。だが、そのことを嘆く声は、ほとんど聞かれてこない。大谷の時は「行かせてあげるべきだ」という声に負けないぐらい大きかった「いや、まずは日本でやるべきだ」という声を、サッカー界から聞くことはなかった。

それが間違っている、といいたいのではない。ただ、有望なタレントにスルーされても反発が起こらないような国内リーグは、いずれ活力を失っていくのではとわたしは思う。

では、Jリーグはどうするべきなのか。

歴史を獲得するために時計を一気に進めることなど誰にもできないし、一朝一夕で解決できるような問題でもない。

ただ、絶対にやらなければならないことが一つある。

国内経済はほとんど下降線とも言われ、かつ代表選手が根こそぎヨーロッパに持って行かれているアルゼンチン・リーグの平均年俸は、実はJリーグのそれを上回っている。言い方を変えれば、Jリーグは経済的には危険水域にある国よりも低いギャランティしか、選手たちに支払えていないのである。

つまり、30周年を迎えたJリーグは、未だ世界3位ではあるこの国の経済力とはかけ離れたマーケットになってしまっている。

30年前、Jリーグの市場規模はプレミア・リーグとほぼ同等だった。「あの頃は日本がバブルだったから」で片づけてしまってはいけない。ならばイングランドは、スペインは、ドイツは、いまがバブルなのか?違う。彼らは、自分たちに国情にあったやり方で、サッカーにお金が集まるシステムを構築した。それゆえの「いま」なのだ。 

Jリーガーに、もっとギャランティを──そう訴えると、多くのクラブからは「そうしたいのは山々なのだが」といった反応が返ってくる。つまり、願望はあるが体力がない。ならば、リーグが、あるいは国が、いまはない体力をサポートすべく、知恵を絞るしかない。

国には、たとえば宗教法人なみの税制優遇を考えてもらいたい。

Jリーグには、企業名解禁を考えてもらいたい。

「そんなのは浅はかだ」と思われる方がいたら、それはそれで尊重する。その代わり、Jリーガーやクラブのスタッフたちの給料をあげるための代案を出してもらいたいと思う。

これまで、日本のスポーツ界はカネの問題は第三者、たとえば広告代理店などに丸投げしてきた。だが、そろそろアスリートや元アスリートが、現場に携わりつつお金のことを考えなければいけない時代が来たようにわたしには思える。

このままでは、特別かつ早熟な才能以外は道を見つけられない時代が訪れかねない。

すべての野球少年がNPBに関心を失い、メジャーにしか目を向けなくなれば、日本の野球は国際競争力を失うだろう。そんなことはありえない?そうかもしれない。だが、すべてのサッカー少年がJリーグに興味を失い、海外にしか目を向けない未来は、悲しいことに、より現実味を帯びている。

あなたは、このまま現状維持を続けていくだけでいいと思いますか?

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