日本人初のセンターフォワードとして、上田綺世が世界に羽ばたく日が来るかもしれない
未だにメカニズムはよくわからない。
停止した状態にある直径約22センチ、重さ410~450グラムの球体を時速100kmで飛ばすために必要なエネルギーは、基本、一定のはずである。さらにいうなら、時速100kmで飛ぶ、直径22センチ、重さ410~450グラムの球体が持つエネルギーも、これまた一定でなければおかしい。
なのに、現実は違う。
遠い昔、下手くそなGKだったわたしが受けるシュートには、明らかな重さの違いがあった。同じようなスピード、同じような軌道で飛んできているのに、あっさりとキャッチできるシュートと、捕りにいこうとすると弾かれてしまうシュートがあった。フェイスブックによるといまは釣り三昧の生活を送られているらしい高校時代の先輩、藤井さんのシュートは特に重くて、一度、この人のシュートが指の付け根に当たった際、そのまま手首ごとグイッと持って行かれて靱帯を伸ばしてしまったこともあった。
上田綺世のシュートも、重いらしい。
「異質なんだよ、あいつのシュート。鹿島のスタッフも言ってたもん。パーン、じゃなくて、ドーン、な感じだって」
擬音にするといま一つ伝わりにくい気もするが、言わんとすることはよくわかった。きっと、藤井センパイのスーパー上位互換。超絶重たいシュート。ちなみに、酒の席の話なので名前は臥せますが、発言の主は日本サッカー協会のヒトでした。
ま、その方に言われるまでもなく、上田のシュートの異質さは明らかだった。速い、というよりは重い。スピードはあっても重さは感じなかったファン・バステンあたりとはタイプが違う。似たようなタイプとして思いつくのは……ボクシングのヘビー級王者ジョージ・フォアマンの豪腕になぞらえて「象をも倒す」と評されたロナルド・クーマンか、あるいは、佇まいからしてシュートが重そうな感ビンビンだったフッキあたりか。
野球にも、球質が重い、軽いという言い方はあるから、おそらく、サッカーの場合もボールの回転数が関係しているのだろうとは思う。ただ、指先である程度のスピン量を計算できる上、基本的には同じフォームからボールを繰り出す野球のピッチャーとは違い、サッカーのシュートが放たれる状況は千差万別である。
歴代の日本代表でシュートが重そうだった選手と言えば、真っ先に思いつくのが釜本邦茂さんである。シュートのキャッチしたGKの指の付け根が裂けた、という話は伝説として聞いていたし、ガンバ大阪の監督時代、遊び半分で打つシュートの球質は、現役日本代表のそれと比べても重そうだった。
では、いまではフジテレビ女子アナのパパとして知られる永島昭浩さんや、欧州選手権準優勝メンバーでもあるオレグ・プロタソフと釜本さんは何が違ったのか。いまになって思えば、体幹の強さである。
わたしは現役時代の釜本さんの最晩年しか知らないが、良くも悪くもイケイケドンドンで、メキシコ五輪の栄光など歯牙にもかけなかった読売クラブの選手たちが、「あのヒトは化けモンだ」とこぼしていたのは知っている。空中だろうが地上戦だろうが、なんなら2人がかりでつぶしにいこうが、腰をクイッと入れられただけで吹っ飛ばされてしまうのだという。松木さんだろうが都並さんだろう加藤久さんだろうが、である。
まだ体幹という概念というか、そもそも言葉自体が一般的ではなかった時代にはわからなかった。だが、いまならばわかる。釜本さんがぶつかられても平然としていた理由。圧倒的な体幹の強さ。トレーニングによるものか、はたまた持って生まれたものなのかはともかく、他を圧する幹の強さ、太さが釜本さんにはあった。それが、彼を怪物たらしめていた要因の一つだった。
そこで仮定してみる。シュートの重さ=体幹の驚異的な強さ。一般的なストライカーの場合、シュートのタイミング、ミートの感覚は一瞬である。だが、体幹が異様に強くなれば、普通の選手であればボールが足から離れていってしまう態勢で、もう一押し、ボールを押し込めるのではないか。それが、発射速度にプラスαして重みを乗せる結果につながっているのではないか。
だとしたら、上田綺世は面白い。
釜本さん以降、日本のサッカー界は多くのストライカーを輩出してきた。だが、世界的な名声を獲得した選手はいないし、釜本さんほどの強さを誇った選手もいない。柳沢敦のセンスは際立っていた。佐藤寿人の嗅覚、大久保嘉人の抜け目なさも魅力だった。ただ、釜本さんと同格のサイズを持ち、かつ同様の体幹の強さを感じさせてくれた選手はいなかった。
シュートの重さが話題になる大型ストライカーは、いなかった。
加藤久さんから聞いたことがある。「釜本さんって、空中で止まるんですよ」。上田の空中戦にも、似たようなところがある。物理的にはありえないことなのだが、飛んで、他の選手より長く空中に留まり、高い打点からのヘッドを放つ。
松木さんを「お尻で跳ね返された」と嘆かせた釜本さんは、DFを背中に背負ってのプレーが抜群に上手かった。法政大学時代から上田にも似たようなところはあったし、ベルギーに移籍してからというも、その特徴はさらに際立ってきている。
あとは、傲慢さ。
「ワシが点とらんで1-0で勝った試合より、ハットトリックして3-4で負けた試合の方が気持ちは良かったな」
初めてご本人の口からそう聞いた時は、正直、呆れの方が先に立ったが、しかし、そうでもなければたどりつけないのが、超一流ストライカーの領域なのだろう。
中学時代から将来を嘱望され、高校、大学とエリートコースを歩んだからこそでもある釜本さんの傲慢さに比べると、上田には一度サッカー界の本流から外れかけた経緯がある。いわば、挫折を知ったがゆえの謙虚さがプレーににじみ出てしまっている印象がわたしにはある。傲慢と謙虚。本来であれば前者がネガティブ、後者がポジティブな意味で使われる言葉だが、ことストライカーに関する限り、その立場は逆転する。
釜本邦茂という存在を「体験」ではなく「知識」でしか持っていない世代からすると、いかに偉大だったとはいえ、アマチュア時代のサッカー選手が現代サッカーで通用するものなのか、と疑念を抱く方がいらっしゃるかもしれない。わたし自身、スタンレー・マシューズが凄いと言われても「はあ?」としか思わなかった人間だから、気持ちはよくわかる。
ただ、それでも釜本邦茂は現代サッカーにおいても偉大なサッカー選手になっていたとわたしは思う。クライフが現代に生まれようが、メッシが50年後に生まれようが、やはりクライフ、やはりメッシであるはずだと信じるのと同様に。
そして、まだまだ物足りない点はあるにせよ、釜本さんと同様の特徴をいくつか兼ね備えた上田綺世は、ひょっとするとひょっとするという思いが、いよいよ強くなってきている。
ベルギーでの彼を映像で見ていると、特に。
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