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football2024.04.02

遠藤航のリバプールでの活躍が示す、日本サッカーへの新たな影響

予想が当たらないことに関してはかなりの自信を持っているわたしだが、リバプールへの移籍が決まった遠藤について書いた昨年8月のコラムは、めったにない上出来の部類に入る。

『よって、リバプールでの遠藤は大丈夫。シーズンが終わる頃、「は?」とか言っていたリバプールのファンは己の見る目のなさを痛感することになる……というのがわたしの見立て』

どうすか!……と胸を張りたいところではあるのだが、実際の話、選手の未来について聞かれた際の答えは、有り体にいって2種類しかない。うまくいくか、いかないか、である。確率は2分の1。サイコロの偶数か奇数かを予想するようなもので、当たったところで威張れるようなものではない。

なので、威張りはしない。本当は威張り倒したいところなのだが、ここはオトナのプライドで我慢する。ちなみに、期待するところも、去年8月に書いたこととほとんど変わらない。
『気付いてみたら、遠藤抜きのリバプールは考えられなくなっていた──そんな近未来の訪れを、わたしは期待し、予想している』

これはもう、実際そうなりつつあるし、得点やアシストを数字で期待されるタイプの選手でない分、認められるのに時間がかかるかもしれないが、ひとたび認められてしまえば、急速な権威失墜は考えにくい。監督が変わればまた違う未来が待っている可能性もあるが、しばらくの間、遠藤は大丈夫だとわたしは思う。

ただ、曲がりなりにも彼がリバプールで、プレミアでも屈指の強豪で地位を築きつつあることは、本人が考えている以上に、日本サッカー界に大きな影響を及ぼすかもしれない。

古くは中田英寿がそうだった。小野伸二や本田圭佑、宇佐美や南野、久保に至るまで、海を渡った日本人のミッドフィールダー、アタッカーのほとんどは、小学校か中学校か、はたまたプロ入り前後の段階で、間違いなく言われている。

天才。最高傑作。別格。

所属していたクラブでユースへの昇格がかなわず、一度は挫折したと見られがちな中村俊輔や本田圭佑にしても、高校を卒業する段階では多くの関係者から絶賛されるようになっていた。だからなのか、この国でサッカーに携わっている人間の多くは、知らず知らずのうちに思い込んではいなかったか。

『日本人が海を渡るには、特別な才能が必要だ』と。


遠藤が素晴らしい選手であることに、もはや異論を唱える人はいないだろう。だが、高校時代はおろか、プロの世界に足を踏み入れ、日の丸をつけるようになってもなお、彼を「天才」だとか「別格だ」という専門家に、わたしは出会ったことがなかった。何より、後輩のライターが遠藤に食い込んでいこうとする様を見て、「物好きだなあ」と苦笑したわたし自身が、彼の可能性を信じていなかった。

遠藤に、相手を置き去りにするようなスピードはない。高さがあるわけでも、得点力、アシスト力に光るものがあるわけでもない。左利きという希少性があるわけでもない。ゆえにわたしは、彼を“国内止まりの選手”と決めつけてしまっていた。

そして、おそらくは多くの指導者たちも、そう思っていた気がする。

ブラジルからは、アルゼンチンからは、およそ華があるとは言い難い選手も当たり前のようにヨーロッパに参戦してくる。そのことを彼らは少しも不思議だとは思わないし、日本人も、わたしも、たとえばドゥンガがイタリアに渡っても驚かなかった。

遠藤がリバプールで地位を確立することによって、日本のサッカー界はどう変わるのか。いわゆるテクニシャンではない子供たちの意識と未来が、おそらくは変わる。「ぼくはあんまり上手くないから」と自らの可能性に蓋をしてしまっていたような選手たちが、「ひょっとしたら自分にも」と考えるようになる。

何より、指導者の意識が変わる。少なくとも、遠藤の少年、青年時代を知っている神奈川のコーチたちは、およそ天才とは言い難かった才能が、天才と言われた選手でさえたどりつけなかった場所に到着するのを見た。これからは、わかりやすい才能だけでなく、いままでであれば見逃していたタイプの選手にも目を向けるようになる。これはもう、絶対に。

するとどうなるか。長い間テクニック至上主義だった日本のサッカーに、これからは一定の割合で、テクニック以外の部分で勝負する選手が出現するようになるだろう。汚れ仕事も厭わない、タフなミッドフィールダー。ブラジルやアルゼンチンが定期的に輩出してきた、華はないけれど頼もしい中盤の番人が、あと何年か経てば、日本でも出現してくる。

日本のサッカーに、“負けにくさ”という新たな要素が加わることになる。


というわけで、遠藤がリバプールで活躍することは、直近の、というよりはもう少し先の日本サッカーにとって大きな意味を持つとわたしは思う。ただ、現在進行中の日本代表における遠藤については、注文をつけておきたいこともある。

ブンデスリーガとプレミアでは、サッカーのタイプやクオリティに違いがあることは、ファンの方ならもちろんご存じのはず。

にもかかわらず、アジアカップでの遠藤のプレーが、シュツットガルト時代とほとんど変わっていないようにわたしには見えた。それがいけない、というのではない。相変わらず潰しのセンスは抜群だったし、ポジショニングも的確だった。採点をつけたとしても、ほとんどの試合で合格点以上はつけられた。

ただ、わたしとしては、ブンデスよりも詰めが速く激しいプレミアで実績を積んだことによるある種のプラスαが見たかった。具体的に言えば、シュツットガルト時代以上にアタック面に絡む遠藤が見たかった。苦しい状況で、相手ゴールににじり寄るような凄みも見たかった。

振り返ってみると、そのあたりの“見せ方”が抜群に巧かったのは長谷部誠だった。よく、「苦しい時に背中で仲間を引っ張れるのが本当のリーダーシップだ」と言われるが、彼の場合、文字通り低い位置からボールを敵陣深くまで運ぶことで、後を追う仲間たちを鼓舞することがよくあった。

いまの遠藤ならば、長谷部以上のことができる。きっと、できる。だが、アジアカップでは見せてくれなかった。そこが、目下のところの不満である。

もっとも、長谷部も最初からリーダーシップを発揮できていたわけではない。むしろ、初めて彼をキャプテンに、という声があがった際、「自分には無理」としり込みしたという話も聞いている。リバプールでの未来を楽観していたように、日本代表キャプテンとしての遠藤にも、実はそれほど心配はしていないわたしである。

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