心のなかの「火」を燃やし続けて~J1湘南ベルマーレの新進気鋭のストライカー 福田翔生に単独インタビュー
苦難を乗り越えてきた23歳が、J1リーグで存在感を示しつつある。
湘南ベルマーレのFW福田翔生(ふくだ しょう)だ。
高校サッカーの名門・東福岡高校を卒業した2019年、福田は当時JFLのFC今治に加入した。20年からJ3に昇格したチームでは得点をあげられず、在籍4年で契約満了となってしまう。
しかし、23年に同じJ3リーグのY.S.C.C.横浜で再スタートを切ると、シーズン開幕から得点を量産する。スピード豊かにゴールネットを揺らすストライカーは注目を呼び、23年8月にJ1リーグのベルマーレの一員となったのだった。
そして今シーズンは、ここまでチームトップタイのリーグ戦6ゴールを記録している(5月25日時点)。ブレイクスルーの時を迎えた福田に、これまでのキャリアとこれからへの思いを聞いた。
──プロキャリアはFC今治でスタートしました。19年から22年まで4年間在籍しましたが、公式戦で1点も取ることができませんでした。
「本当に血反吐をはくような時期でした。あの時期を経験したから強くなれたし、いまこうやって強く生きていられると思う。ホントにもう、血反吐をはいてました」
──血反吐をはくとは……どれほど過酷な状況だったのでしょう?
「結果が出ないので、自分をどんどん追い込んで。ずっとサッカーのことばかり考えていて、練習をやり過ぎてケガすることもありました」
──オフの時間もリフレッシュしないぐらいに、でしょうか?
「はい、そうでした。自分はやらないといけないという思いが強すぎて、リフレッシュさえも許せなかったです。そんなことしている暇はない、って。サッカーをやめてしまいたいと考えたこともありましたけど、それじゃいけないと思い直して、自分のケツを叩いて、心に火つけてやっていきました」
──お兄さんの福田湧矢選手も、J1リーグのガンバ大阪でプレーするJリーガーです。比較されることもありましたか?
「比較はされますね。兄ちゃんはすごい、自分はなかなか結果が出てない、という感じで見られることをたくさん経験してきたので、もう絶対見返してやろうと思っていました。何とかしてJ1まで這い上がろう、と」
──しかし、在籍4年で今治を契約満了となります。
「あの瞬間は、頭が真っ白になりました。次のチームがすぐに決まらなかったので、サッカー選手としてのキャリアが終わっちゃうのかと思って、めちゃくちゃ焦りました。代理人さんが頑張ってチームを探してくれて、Y.S.C.C.横浜が僕を拾ってくれて。チームが決まらない時期は、家族がすごく支えてくれました」
──23年にY.S.C.C.横浜へ移籍すると、開幕2試合目でJリーグ初ゴールをマークしました。
「今治ではサイドで使われることが多かったのですが、当時の星川敬監督が『もっとポテンシャルを生かせるから』とFWで使ってくれたんです。それまでの僕はきれいにやろうとしすぎていて、きれいにドリブルして、きれいにかわして、きれいに決める、 みたいな意識があったんですね。Y.S.C.C.横浜ではDFラインの背後への動き出しとか、クロスへの入りかたとか、相手が嫌がることを突き詰めて考えるようになりました。そうやってだんだんとFWらしいプレーになって、自分の能力を最大限に生かすことができるようになりました」
──6月の愛媛FC戦ではハットトリックを達成するなど、J3リーグの得点ランキングで上位に食い込んでいきましたね。
「星川監督のおかげでプレースタイルが大きく変わったのと同時に、松井大輔さんとの出会いが自分のなかで大きかったです」
──元日本代表MFの松井さんは、昨シーズン限りで現役を退きました。
「ダイさんはやるときは全力でやって、休むときはしっかり休む。メリハリがしっかりしているんです。さっきも言ったように自分は追い込みすぎるタイプなので、ダイさんを見てメリハリをつけられるようになりました。小さい頃は日本代表のダイさんのユニフォームを着て通学していたので、同じチームになれたことは素直に嬉しかったですね」
笑顔が爽やかな23歳はファンサービスが丁寧で、女性や子どものファンが多い
──そして昨シーズン途中の8月に、J1のベルマーレから獲得のオファーが届きます。
「シーズン途中で抜けることに対して、申し訳ない気持ちはすごくありました。Y.S.C.C.横浜へ移籍したことで、自分のキャリアは明らかに変わりましたので。でも、チームの誰もが背中を押してくれて。松井さんも『行って来い』と言ってくれました。これまでの血反吐をはくような経験があって、 やっとJ1にたどり着いたというのと、Y.S.C.C.横浜への感謝の気持ちとか、色々な感情が織り交ざって、号泣しちゃいました(苦笑)」
──J3からJ2を経由せずにJ1へステップアップする。不安はなかったですか?
「いえ、まったくなかったです。もちろん、J1のDFの圧力というのは感じましたし、J3よりも観客が多いのでそのぶんプレッシャーもついてくる。色々なものが変わった、というのはありましたが」
──J1初挑戦の23年シーズンは、出場した10試合すべてが途中出場で、プレータイムが短い試合も多かった。それもあって、得点をあげることはできませんでした。
「プレータイムが短い試合でも点を取りたい気持ちはあるので、そういう思いが少し空回りしたところがあったかもしれません。ただ、ベルマーレのプレースタイルが自分に合っていると思っていて、試合を重ねるごとにチームにフィットすることができました」
──そして、今シーズンはカップ戦で1ゴール、J1リーグで6ゴールをあげています。
「初ゴールの瞬間は、『やっと決めることができた』という感じでした。でも、『点を取るための動きを、もっともっとやらなきゃ』と意識してきて、その思いが形になってきた結果でもありました」
──J1リーグ第10節の北海道コンサドーレ札幌戦では、ゴール前のスペースへ頭から飛び込んで得点を決めました。GKと交錯しながらのヘディングシュートを、「自分らしさを見つけられた」と振り返りました。
「J1の選手はうまくて、クオリティが高くて、きれいに決める選手が多くて、自分も自然とそういう意識になっているところがありました。自分本来の泥臭さだったり、したたかさだったりを忘れていたので、自分のなかにあるものをもう1回思い出すことのできたゴールでした」
札幌戦の得点(写真)で「自分らしさを取り戻した」という
──福田選手は「泥臭さは、賢さゆえの泥臭さ」と話します。
「泥臭いと言われるゴールは、何も考えずに飛び込んだとか、ケガを恐れずにプレーしたとか、そういう感じに見られがちじゃないですか? でも、僕自身はしっかり考えたうえでの泥臭さだと思うんです。岡崎慎司選手はそうですよね。緻密に計算しているから、どこの国のリーグでも、日本代表でも、あれだけゴールを取ってきたと思うんです」
──緻密に考えつつも、「ここにこぼれてくるな」という感覚もある?
「ありますね。本能的なものというか、におうっていうか。ここにいればこぼれてくる、という感覚はあると思います。鹿島戦のゴールは、絶対ここにこぼれてくるなと思ったら、そのとおりにボールがきました」
──J1リーグ第11節の鹿島アントラーズ戦では、味方選手のシュートを相手GKが弾き、詰めていた福田選手がプッシュしました。
「あくまで個人的な感覚ですけど、ここ最近はうまい選手、きれいに得点を決める選手が多いと思うんです。そういうのもあって、自分は岡崎選手にすごく惹かれます。鈴木優磨選手(鹿島アントラーズ)も好きです。技術的なレベルが高いなかで、泥臭く決めることもできる選手なので」
──さらに成長していくための、自分なりの課題とは?
「もっともっとやらないといけないと思っています。自分は『火』と言っていますが、心のなかにある『火』をもっともっと大きくしていきたい。プレーについては1試合1試合、全力でやるだけです。まだまだ成長しなきゃいけないところは、たくさんあります」
──J1という国内のトップカテゴリーで戦っているその先に、どんな夢や目標を描いていますか?
「W杯は小さい頃からの憧れです。すごく大きな夢ですね。それよりもまずは、ベルマーレでのプレーに集中します。ベルマーレのエンブレムを背負って戦う限り、全力で、心の『火』を絶やさずに、1試合1試合一生懸命やるだけです。その結果として、自分の未来が開けていくと思うので」
育成年代と呼ばれる中学、高校を含めて、福田は日本代表に選ばれたことがない。人知れず苦しみと痛みを味わい、それでも挫けずに前を向いてきた男は、少しずつ、確実に、自らの可能性を拡げている。
無印と言っていい存在から、湘南ベルマーレの得点源へ、さらなる大舞台へ。
福田翔生という名前を、ぜひ憶えてほしい。
(文中敬称略)