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football2020.01.08

巻誠一郎(元サッカー日本代表)さんが現役生活と熊本復興への想いを語る。2020年1月開催の引退試合にも。

ヘディングや身体の強さを生かしたハードワークを武器にサッカー日本代表でも活躍した巻誠一郎さんの引退試合が、2020年1月13日に巻さんの故郷、熊本県のえがお健康スタジアムで開催される。

試合にはこれまでに巻さんのサッカー人生を彩ったメンバーが集結し、引退に華を添える予定だ。今回は、巻さんの選手時代のエピソードや、引退を決めてからのおよそ1年間過ごしてきた日々、さらにはセカンドキャリアへの想いについてお伺いした。


[ 巻誠一郎さんプロフィール ]
熊本県出身。駒澤大学をから2003年にジェフ市原(現ジェフ市原・千葉)に入団し、ヤマザキナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)連覇に貢献。
FCアムカル・ペルミ(ロシア)、深セン紅鑽足球倶楽部(中国)での海外挑戦を経て、東京ヴェルディ、ロアッソ熊本に所属し、2019年引退。
サッカー日本代表として、2006年のドイツワールドカップにも出場し、「サプライズ選出」と言われて話題になった。




――引退会見からおよそ一年。巻さんは、引退試合までの期間をどのように過ごされていらっしゃいましたか?

2019年1月に引退記者会見を行いましたが、直前まで現役を続けるかどうか揺れ動いていたこともあって、応援していただいた方に感謝の伝えられる機会がありませんでした。そのような背景もあり、今回の引退試合を開催することになりました。

現在は会社を設立し、熊本県内での障害を持つ方の就労支援やデイサービス施設の運営、さらには農業など、さまざまな事業に携わっています。スポーツ選手のセカンドキャリアでの成功例を作れるように頑張っていきたいという想いで日々活動しています。

引退後のおよそ1年間で感じたのは、「サッカーで培ったスキルが、意外に社会でも役に立つ」ということですかね(笑)。「どのように他人の長所を生かすか」といった方法論は、イビチャ・オシムさん(元ジェフ市原、サッカー日本代表監督)の言葉が参考になっています。

――巻さんにとって、オシム監督はどんな方でしたか?

オシムさんには、「僕の知らないサッカー」を教えていただきました。戦術眼ももちろん、選手が得意なプレーを伸ばすことに長けた監督でしたね。

プロ入ってから2年間はあまり試合には出られませんでしたが、自分自身の成長を感じながら過ごせた時間でした。ヘディングや身体の強さ、そしてハードワークを強みとする僕のプレースタイルを確立できたのもこの頃です。

――オシム監督といえば、独特な「語録」も話題になりました。練習中の印象的なエピソードがありましたら教えてください。

オシムさんは、グラウンドでの居残り練習を禁止していました。でも、ある日の練習後、僕が「もう少しシュートの練習がしたい」と伝えたことがありました。

するとオシムさんに、「なぜ、練習中にシュートの練習をしないんだ。練習中のメニューに必要なものがすべて含まれている。トレーニング中のシュート練習を全力でやることの方が、(巻さんにとって)大切だろう」と言われたんです。

普段から全力でやりきることの大切さを伝えていたのだと、後々になって気づきました。結局のところ、毎日の積み重ねでしかプレーは上達していきませんからね。



――その後、ジェフの中心選手として活躍された巻さんですが、現役生活で一番印象に残っている試合はありますか?

後に「奇跡の残留」と言われることになった、2008年のシーズン最終戦(ジェフ千葉対FC東京)ですかね。

負けたらJ2への降格が決まる状況にも関わらず、後半29分まで2点差でリードされている展開でした。でも、最後の15分間で4得点を奪って逆転で勝利。ギリギリでJ1の残留を決めることが出来ました。

サッカーはピッチに11人しか立てないスポーツですけども、サブの選手、スタッフ、スタジアムに来てくれるサポーター。チームに関わってくれるみんなの力を合わせて戦っているということを、改めて感じさせられた瞬間でしたね。

――当時のジェフは、前身の古河電工時代も含めて、「一度も降格したことがないというチームだったと思います。その重圧や重みはありましたか?

チームの歴史、そしてサポーターの想いを背負うプレッシャーはあったように思いますね。FWである僕が得点しないと、チームは勝てませんから。

よく「試合を楽しむ」と表現される選手がいらっしゃいますが、僕自身はそんな経験や楽しむような余裕はなかったですね。

プレッシャーがかかるので、日本代表もあまり楽しくなかった(笑)。
もちろん、日本代表に選ばれることは嬉しかったですけども、見えないプレッシャーを感じながらプレーしていました。国を背負う重圧感のなかでも、「楽しくプレーできる」という選手を傍目に見て、凄いなと思っていましたよ。



――巻さんは、日本代表の一員として2006年のドイツワールドカップにも出場されています。実際に試合に出場されて、どのように感じましたか?

僕は自分自身のことを、「大舞台であればあるほど、ゴールが獲れる選手だ」と思っていました。ですが、結果的には何も出来ませんでしたね。

出来ないことが多いなかで、世界を代表する選手と対峙して出来たプレーをあえて挙げるなら、ハードワークと前線からの守備。普段から得意としているプレーだけでした。苦い経験をしましたが、同時に試合をイメージしながら練習に取り組むことの大切さを、肌で感じさせられましたね。

――ドイツワールドカップ当時の日本代表は、「歴代最強」とも言われ、前評判も高かったですが、まさかの1分2敗で予選敗退。その原因はどこにあったと感じられていますか?

今振り返っても、選手個人の持つ能力は本当に高かったですが、コミュニケーションや信頼が足りなかったのかなと感じています。

サッカーというのは、個性や個人の能力をつなぐ作業が必要です。もっと味方選手の良さを知り、お互いの能力を引き出すようなプレーが出来ていれば、ワールドカップでも違った結果になったのではないかと、今は感じていますね。

――これからの日本サッカー発展のために、必要なことは何でしょうか?

今の若手選手は高い技術を兼ね備えていますし、世界有数のレベルに近づいてきていますが、日本がさらに上を目指すためには、高いスキルを「いつ、どこで、誰に対して使うか」ということをもう少し考え、学んでいく必要があると思います。

日本人は、短所をコンプレックスとして気にする文化ですが、どちらかというと長所を伸ばし、弱点をチーム全体で補うような思考が必要かもしれませんね。

――今回の引退試合には、日本の将来を担う子供たちをご招待されるそうですね?

2016年4月の熊本地震があった時に、チームを支えていただいたという感謝の気持ちもあり、熊本地震で被災した子供たち2000人の無料で招待します。実現のために、クラウドファンディングなどを使って資金を集めました。



――熊本地震の時、基金を設立されるなど、巻さんは積極的に情報を発信されていましたね。どのような想いだったのでしょうか?

2014年に地元熊本に戻り、スポーツに対する関心があまり高くないことに愕然としていた頃に、震災が発生しました。

時の流れとともに地震の被害が忘れ去られつつあるなかで、スポーツには夢があって、選手も社会にきちんと向き合っているということを発信する必要があると感じました。

震災の時には、苦しい状況でも、ボールを蹴れば子供たちが笑顔になるという瞬間を見て、スポーツの力を感じさせられました。セカンドキャリアでも、スポーツの魅力を伝え、さまざまな社会問題の解決に取り組んでいく予定です。

セカンドキャリアでの壮大な夢を語る巻さんの引退試合は、2020年1月13日(月・祝)の13時から、熊本県のえがお健康スタジアムで開催される。巻選手の最後の雄姿を、目に焼き付けられてみてはいかがでしょう?


[ 巻 誠一郎 引退試合「巻フレンズ VS 元日本代表ドリームチーム」 ]
日時:2020年1月13日(月・祝)13時キックオフ
会場:えがお健康スタジアム
主催:公益財団法人日本サッカー協会、公益社団法人日本プロサッカーリーグ
主管:(株)アスリートクラブ熊本、巻 誠一郎 引退試合実行委員

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