柿谷曜一朗、名古屋グランパスへの移籍は、“天才”復活への逆襲となるか。
我が師匠セルジオ越後は、日本のメディアが軽々しく「天才」という言葉を使うたび、顔をしかめる。
「あの子も天才。この子も天才。日本のサッカーは天才だらけなのに、どうしてW杯で優勝できないんだろうね」
長いこと、師匠が天才という言葉を嫌いなのは、単に師匠のパーソナリティーにすぎないと思い込んでいた。それがどうやら間違いだったらしいと気付かされたのは、15年ほど前のことである。
「まったく、アルゼンチン人って奴らは本当にどうしようもない。世界中どこを探したって、マラドーナごときを天才扱いして、あの偉大なペレと比較しようなんて愚か者はあいつらだけだ。な、そうだろ、日本人?」
サンパウロ近郊にあるヒベイロンという街のイタリアン・レストランだった。ベロンベロンになってクダを巻いていたのは、元ブラジル代表のキャプテンにして、サッカー界の知性とも言われた“ドトール”ことソクラテスである。
「82年のW杯? 素晴らしい大会だったよ。我々は美しいサッカーを世界中に披露したし、あのクソッたれなアルゼンチン人どもを3-1で粉砕した。優勝できなかったのは残念だが、それはたいしたことじゃい」
これほどあからさまにアルゼンチンへの憎悪を吐き出す人と出会ったのはさすがに初めてで、わたしは大いに戸惑った。
何より、マラドーナを「ごとき」扱いしたことに。
結局、1時間の約束だった取材は6時間を超える酒宴となり、別れ際、「ちょっと待っててくれ、いいな、必ず待っててくれ」と言って席を立ったソクラテスは、20分後、大量のCDを抱えて戻ってきた。
「この間発売した俺の最新CDだ。ぜひお前の友人に分けてやってくれ」
ごめんなさい、ドトール、あのときいただいたCD、たぶん我が家の押し入れで眠ったままです。あと、一応聞いてみましたけど、ミュージシャンとしての才能はサッカー選手ほどじゃなかったんですね──ということはさておき、医者にしてミュージシャンでもあったソクラテスととことん呑んだことで、わかったことが一つあった。
どうやら、我が師匠セルジオ越後に限らず、ある一定世代のブラジル人にとって、ペレ以外のすべてのサッカー選手は天才ではない、ということ。
マラドーナを「ごとき」扱いしたソクラテスは、サッカー選手としての自分の才能も「ごとき」で片づけていた。彼にかかれば、ジーコだろうがプラティニだろうがクライフだろうが、みんな「ごとき」だった。
そういえば、ジーコも日本のメディアが若い選手を天才扱いするのを嫌っていたっけ。
……ということはわかっているのです。わかっているのですが、それでも、わたし自身、師匠に睨まれつつも何回か「天才」という単語を使ってしまったことがあって、最後に使ったのが、16歳の柿谷曜一朗について、だった。
礒貝も、小野もできなかったことを、柿谷はやった。それまでわたしが「天才」と思った選手たちはどういうわけかタイトルに縁遠かったが、彼は自分の2ゴールで韓国を撃破し、日本をアジアの頂点に導いた。
「ペレは3度、世界の頂点に立った。マラドーナは?それが決定的な違いだよ」
なぜマラドーナは天才ではないのか。食い下がった日本人にソクラテスが事も無げに言った答えに則るならば、少なくとも日本、あるいはアジア・レベルにおいては、柿谷は歴代の「天才候補生」たちとは一線を画す存在になるはずだった。素晴らしい才能の持ち主ではあっても、天才と呼ばれたことはなかった中田英寿や本田圭佑をはるかに超える存在になってくれるのでは、と思った。
実を言うと、わたしはまだ諦めてはいない。
バーゼルでの挑戦が、おそらくは本人が思い描いていたものとかけ離れた結果に終わったことで、柿谷に期待する声は一気に、かつ大幅にトーンダウンした。期待もされず、また世界への道筋が見えなくなったことで、彼のテンションというか、試合にかける熱さのようなものも、だんだんと下がってしまった感がある。
だから、グランパスへの移籍は、最後のチャンスである。
正直、ここ数年のグランパスを見ていると首を傾げたくなることが多かったが、今オフの積極的な補強をみると、「やっと本気になったか」との印象がある。おそらく、今年もフロンターレがリーグの中心であることは間違いないが、その対抗馬をあげろといわれれば、わたしは真っ先にグランパスを推す。Jリーグで大車輪を演じるより海外の無名クラブに所属している方が代表入りが近い現状を変えるためにも、何が何でもフロンターレに食らいつき、レベルの高い首位争いをしてもらいたいと思っている。
柿谷が獅子奮迅の働きを演じ、齋藤学ら新しいパートナーとの関係性を築くことに成功すれば、前年度の3位だったチームは途轍もなく大きなオプションを手にすることになる。フロンターレとの間にあった実力差を考えれば、そうならない限り、立場の逆転はありえない、と断言してもいい。
天才は、もしくは天才に近い存在は、チームを勝たせるがゆえに周囲から認められる。16歳だった柿谷曜一朗は、だからこそ輝いていた。
グランパスを勝たせる柿谷を、わたしは期待する。