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football2021.08.31

久保建英の涙に、日本サッカー界の未来を託す

近いところでいうと、朝ドラで主人公が東京に旅立つ場面で泣いた。様々な事情でシングルマザー、ファーザーが一つ屋根の下で暮らすことになるドラマでも、母親が死んだと知らされた子供の涙と笑顔にやられた。もう何回見返したかわからないクイーンとフレディ・マーキュリーの生涯を描いた映画なら、超満員のウェンブリー・スタジアムに『伝説のチャンピオン』が響きわたるところで涙腺が決壊する。

ただ、それらはあくまでも嗚咽レベルの話であって、号泣ではない。

割とよく泣くわたしだが、はて、号泣したのはいつの話か。

……記憶に、ない。愛犬に今生の別れを告げなければならなかった時も、号泣ではなかった。思い出しうる最大にして最新の号泣は、高校2年生の時、高校サッカー選手権の神奈川県予選で負けた時だったか。大好きなセンパイたちとこれでお別れかと思うと、どうしようもないぐらいに泣けた。反面、自分が3年生の時は涙一つ出てこなかった。自分の実力のなさを棚に上げ、ついに一度も試合で使ってくれなかった顧問への恨みつらみで凝り固まっていたからである。

ともあれ、号泣するにはエネルギーが必要であるらしい。年齢を重ねれば重ねるほど、エネルギーは失われていくし、逆に言えば、オッサンになっても号泣できる人がいたとしたら、その人はティーンエイジャーに負けないぐらい熱さ、エネルギーを持っている、ということにもなる。残念ながら、わたしには当てはまらない話である。

さて、自分では号泣することなどすっかりなくなってしまったわたしだが、こういう仕事をしていると、他人が泣き崩れる場面に出会うのはそれほど珍しいことではない。

個人的記憶に残る他人の号泣その①としてまずあげられるのは、15年前、ドルトムントのヴェストファーレン・シュタディオンで見た中田英寿の涙である。ブラジルに負けたから?グループリーグの突破ができなかったから?唖然としながら見守るしかなかったわたしだが、翌日、号泣の理由がわかった。

ほぼ徹夜で敗戦についての原稿を書き上げ、泥のような眠りに突入しようとしたそのときだった。枕元に置いた携帯が鳴った。編集者からの緊急連絡かと思い、しぶしぶながらに通話ボタンを押すと、聞こえてきたのは中田英寿の声だった。

「俺、サッカーやめるから。あ、正式な発表があるまでは黙っててね」

途轍もない衝撃に言葉を失いながら、どこか腑に落ちた気分になっている自分がいた。そうか、だからあの号泣だったのか。小さいころから人生の大部分を割いてきたサッカーとの付き合いがこれで終わる──ならば、わかる。あの号泣も腑に落ちる。

久保建英の号泣は、当然、中田英寿の姿を思い起こさせた。

06年の中田と違い、久保は引退を期していたわけではなかった。にも関わらず、彼は泣き崩れた。それこそ、これでサッカー人生を終わらせるつもりか、と心配になるぐらい、激しく泣いた。

なぜ、彼は泣いたのか──理由を想像してみて、たまらなく嬉しくなった。

3年前のW杯でベルギーに歴史的大逆転を食らった直後、何人かの日本選手は涙を流した。ファンも泣いたしわたしもウルッとはきた。ただ、号泣したいとはまったく思わなかった。というのも、痛すぎる逆転負けを喫してもなお、少なくともわたしの中には「ベルギーが相手だったから仕方がないか」といった気持ちがあったからである。はっきりいってしまえば、世界の強豪相手に善戦したという満足感めいたものがあった。

これでは、号泣なんかできるはずがない。

もし、自分が弱小サッカー部の一員で、最後の県大会、全国大会の常連と当たったとする。勝てるなんてこれっぽっちも思わずに臨んだ試合で、案の定ボコボコにされて負けたとしたら、たぶん、わたしは泣けない。号泣なんてとんでもない。

でも、逆に自分たちが全国大会の常連だったら?絶対に勝てると思っていた相手に、まさかの番狂わせを食らったら? それならありえる。呆然とすることも、号泣することも。

これまでのW杯や五輪といった世界大会における日本代表は、日本選手は、いってみれば弱小サッカー部だった。誰も本気で優勝できるだなんて思っていなかったし、ゆえに、負けても比較的淡々としていた。少なくとも、グラウンドに突っ伏して号泣したりはしなかった。



だとすると、久保はメキシコの胸を借りるつもりだったのか、当然のように勝ってメダルを獲得するつもりだったか……答はもう、考えるまでもない。

どうも日本での評価はあまり高くないようだが、最近のメキシコは抜群に強い。20世紀後半から21世紀初頭にかけて、わたしは「絶対にスペインの時代が来る」と言い続けてファンや専門家の失笑を浴びていたが、あの頃、スペインの未来を信じたのと同じ確信を持って、メキシコの時代が来ることを信じている。

もちろん、そんなことは久保も重々承知のはずで、にもかかわらず、彼は勝つ気だった。日本サッカー史上初めて、世界王者クラスの相手に負けたことを自分が壊れてしまいそうになるほど悔しがった。

そして、その姿を多くの日本人が目に焼き付けた。

大会前に掲げた目標を果たせなかったことより、あの涙をきっかけに日本人の意識が変わるであろうことがわたしは嬉しい。

あの涙を見た子供たちは、これから、メキシコに負けたことを心底悔しがれるメンタルをもって育っていってくれるだろうから。

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