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football2021.12.15

阿部勇樹の引退で、一つの時代が終わってしまうのか?それとも別の未来が待っているのか。

一時代を築いた選手の引退は人を感傷的にさせる。阿部勇樹が引退するというニュースに接し、しんみりとした気持ちになった方もきっといることだろう。

わたしも、そうだった。正直なところ、たとえば大久保嘉人の引退を聞いた時よりも思うところはあった。阿部に比べて大久保に対する思い入れが少なかったから、ではない。どちらも傑出した選手だったが、阿部の方が、より多くのことを連想させたから、だった。

彼は、いわゆる“谷間世代”だった。

小野伸二や稲本潤一、高原直泰ら、キラ星のごときスターが揃った世代に比べ、すべてが小粒というか、可能性を感じさせる選手が少ないと揶揄された世代だった。他ならぬわたし自身が、間違いなくそう感じていた。

だが、ナイジェリアでのワールドユース(現在のU-20 W杯)に挑む日本代表を率いていたフィリップ・トルシエは、学年で行けば小野たちより2つ下になる阿部をメンバーに加えようとした。最終的にはアフリカ旅行に不可欠とされる混合ワクチンの接種が間に合わなかったため、メンバー入りは果たせなかったが、当時のJリーグ最年少出場記録保持者でもあった万能型ミッドフィールダーを、トルシエは高く評価していた。

小野は、稲本は、高原は、もちろん素晴らしい選手であり、素晴らしい実績も残している。だが、いわゆる“黄金世代”ではなかった阿部は、彼らに負けないどころか、彼ら以上に息の長い活躍を見せた。どれほど才能のある選手であっても、年齢を重ねていくにつれて所属するチームのカテゴリーやレベルが落ちていくのは避けられない流れだが、阿部は、最後までレッズという日本のトップチームで貴重な戦力となり続けた。



阿部勇樹は、だから、早い段階で選手の未来を予測できた気になることの愚を教えてくれる選手だった。

だが、彼が連想させてくれたのはそれだけではない。

日本人として初めて、ヨーロッパのプロ選手となった奥寺康彦がそうだった。Jリーグを創設した川淵三郎もそうだった。日本が初めて出場したワールドカップで指揮を取った岡田武史もそうだった。

皆、古河電工の出身だった。

いまではすっかり死語になってしまったが、日本サッカーリーグ(JSL)時代の日本では、「丸の内御三家」と呼ばれるチームがあった。三菱、日立、そして古河。JSL創設時からのメンバーであり、それぞれが旧財閥系の流れを汲むこの3社が所有する社会人チームは、長く日本サッカー、そして日本代表の中心であり続けてきた。

前回のW杯で日本の指揮を取った西野朗は日立の出身であり、意図的か偶然か、いまだ御三家出身ではない日本人監督がW杯の舞台に立ったことはない。

だが、岡田武史も西野朗も、すでに60歳を越えた。Jリーグに目を向ければ、もはや御三家の出身であることに何のアドバンテージもないことがわかり、ジェフにいたっては、すでに10年以上もJ2暮らしが続いている。

阿部勇樹は、古河が、ジェフが日本サッカー界で重要な位置を占めていた時代を知る、ほとんど最後の世代である。

タイトルにはなかなか届かなかったものの、Jリーグ発足当時のジェフは、その育成能力を高く評価されるチームでもあった。マネーゲームではヴェルディやマリノスにかなわない。一方で、かつての黄金期を知るファンやOBからはそれなりの結果も求められる。潤沢な資金力を誇るチームが全世界を股にかけた爆買いに励む中、ジェフは才能の泉を掘り起こすことにも精を出した。

JSL時代の名門だったゆえ、元日本代表を始めとする優秀なOBには事欠かなかったのは、彼らの持つ大きなアドバンテージだった。唯一、プロ・チームとしての興行を重視したがための獲得だと思われるリトバルスキーも、試合の合間を縫ってユース・チームの練習に顔を出していたという。西ドイツ代表として世界チャンピオンに輝いた名手のテクニックに、千葉のティーンエイジャーたちは大きな刺激を受けたに違いない。

やがて、泉は次々と才能を産み出すようになった。山口智、村井慎二、酒井友之、山岸智、寿人と勇人の佐藤兄弟、そして阿部勇樹──80年代から90年代にかけて、日本サッカー界最大にして最良の泉は東京の読売ランドにあったが、90年代から00年代にかけての市原は、間違いなく日本屈指の源泉だった。

だが、名門の意地によって育てられた才能たちは、名門の凋落によって次々とライバルたちに引き抜かれていった。

そして、83年生まれの山岸智以降、日本代表としてプレーしたジェフのアカデミー出身者は、いない。



阿部勇樹の歩みを見れば明らかなように、サッカーの未来は誰にもわからない。いまは栄光からはるかに遠ざかってしまったジェフ千葉が、再び檜舞台に返り咲くことだってないわけではない。実際、わたしが愛してやまないブンデスリーガのボルシア・メンヘングラッドバッハも、20年以上の暗黒期を経て、再びヨーロッパでも注目される立場へと戻りつつある。

だが、そのことをわかった上でもなお、阿部勇樹が引退するというニュースに接したわたしは、一つの時代が終わったと感じてしまった。

JSL時代は読売クラブが大好きだったし、Jリーグが発足してからはガンバ大阪を担当した。古河が好きだったことも、ジェフが特別な存在だったこともない人間だが、それでも、時代の終焉に立ち会うのは少し寂しい。個人的には、今後、何らかの形で阿部がジェフにも関わってくれないかなと、そんなことを思っている。

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