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football2022.06.13

久保建英は、日本サッカー界最大の希望になれるか、どうかの分岐点で戦っている。

朝焼けに照らされたアパートの屋上で、左利きの少年がリフティングを始める。上手い。ただ者ではない。

画面は次々と切り替わる。薄汚れた裏通り、ガード下、砂浜に打ち上げられた朽ちた小舟。新鮮な野菜や魚、肉の並んだ市場。次々と少年たちが登場しては、妙技を披露する。

次に映し出されたのは、プロが使うような立派なロッカールーム。リノリウムの床の上で、少年たちがボール回しを楽しんでいる。全員が上手い。べらぼうに上手い。着用したユニフォームや画面の隅にチラリと映る文字から、彼らがボール回しを楽しんでいるのはFCバルセロナの施設内であることがわかる。

やがて、挑戦的な眼差しでカメラを睨んだ一人の少年が叫ぶように言う。

「カルロス・コト。俺の名前を覚えておけ(recuerda mi nombre)!」

これは、05年頃にスペインで話題になったナイキのCMである。登場するのはバルセロナB、もしくはCでプレーするミドルティーンの選手たち。おそらくはクラブ側がピックアップした「将来有望な選手」たちをナイキ側がCMに抜擢したのだろう。

このCMには、カロルス・コトを皮切りに、計6人の有望株が登場し、「俺の名前を覚えておけ」と叫ぶ。ジョナタン・ドス・サントス、イスマイル・ハムダウィ、アナ・ナルボーナ、ドゥーケ、そしてトリを飾ったのは──。

「俺の名前を覚えておけ。レオ・メッシ」

初めて見たときはシビれた。世界的なスポーツ企業が、まだ知名度のほとんどない無名のアスリートを抜擢した。当時としては見たことがなかったタイプのCMだった。というか、いまになって見直してみても、実に素敵なCMだとは思う。

だが、CMの素晴らしさ以上に痛感させられるのは、サッカーの世界の無情さ、残酷さである。

当時のバルセロナでは、シャビやイニエスタ、プジョールといったカンテラ育ちの選手たちが主力に成長しつつあった。バルセロナというチームの育成システムが、世界最高との呼び名を欲しいままにしつつあった時代である。ラ・マシアと呼ばれる選手寮には、スペイン全土はもちろんのこと、全世界から才能豊かな選手たちが集まるようになっていた。バルサのカンテラに入るということは、それだけでスーパーエリートであることを意味していた。

では、あなたはカルロス・コトという選手を知っているだろうか。

1歳上にジオバニという兄がいたドス・サントスの名前は、まだご存じの方がいるかもしれない。だが、少なくともわたしはコトのことを知らなかったし、ハムダウィ、ナルボーナ、ドゥーケに至っては「聞いたこともなかった」というのが正直なところだった。

つまり、ほとんどの選手は、その名を世界に知らしめることなく、消えたのだ。

ちなみに、このCMに登場するジョナタンの兄、ジオバニ・ドス・サントスがトップチームにデビューした時、わたしは「こりゃメッシより上かも」と感じたことをよく覚えている。メッシは速かったが、ドス・サントスは柔らかかった。中田英寿よりも財前宣之に惹かれ、ロナウドよりもロナウジーショが好きだったわたしには、弾丸のようなメッシより、軟体動物のようなドス・サントスの方が圧倒的に好みだった。

いま、アルゼンチンの生ける伝説とメキシコの希望を比較する人はいないだろうし、わたしも、比べようとは思わない。

どこの時点からか定かではないが、いずれにせよ、2人の才能がまったく違う人生を歩むことになるターニング・ポイントは、間違いなくあった。


久保建英は、ひょっとすると、そんな分岐点にさしかかりつつあのかもしれない。

FC東京でプレーしていた頃の彼は、間違いなく日本サッカー界最大の希望だった。大谷翔平がアメリカでやったようなことを、久保ならばヨーロッパでやってくれるのではないかとわたしも思っていた。一昨年もそう思っていたし、東京五輪が終わってからもそれは変わらなかった。

何より、他ならぬ久保自身が、相当に高いところに目標を置いているのは明らかだった。そうでなければ、日本人としては極めて早い段階から肉体改造に乗り出した理由がわからない。バルサのカンテラで育ち、多くの才能の浮沈を目の当たりにした久保ならではの選択だった。

もちろん、高いところを目指す久保の意識はいまも変わらないはずである。ただ、彼を取り巻く環境は、以前とは少しずつ変わってきている。

FC東京時代の彼は、チームにとっての宝だった。移籍したマジョルカでも、特別な選手と認識されていた。久保がなすべきことはピッチの中で結果を出し、チームを救うことでしかなかった。

だが、東京五輪以降の久保は、日本代表でもマジョルカでも、レギュラーを約束された存在ではなくなった。もちろん、森保監督にしてもマジョルカのアギーレ監督にしても、その才能に期待しているというコメントはあちこちで残している。その言葉にウソはないはずだとわたしは思う。

ただ、特別な才能が特別な存在でなくなっていく過程には、チームから特別な扱いをされなくなったことが大きいと信じるわたしからすると、21-22シーズンの久保建英は、はっきり言って心配である。

「俺の名前を覚えておけ」と壮語した少年の多くは、名を成すことなく消えていった。ただ、壮語できないような少年、自信のない少年が世界のトップクラスに駆け上がることなどありえないのもまた事実。逆に言えば、「俺の名前を覚えておけ」と思えなくなった時点が、頂点を目指す道が途切れる時ではないかとわたしは思う。


久保建英は、まだ傲慢でいてくれているだろうか。自分は特別だ、自分には限りのない未来が広がっていると、腹の底から思えているだろうか。

リーガ・エスパニョーラの最終節、残留のかかった決戦で、アギーレ監督は久保に出場機会を与えなかった。

世界のスーパースターにのし上がるのか、はたまた、いまはアンドラ・リーグでプレーするカルロス・コトのような人生を歩むのか。

正念場、である。

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