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football2023.01.16

高校サッカーにおけるロングスローは、世界のサッカーを変える日が来るのか

去年も話題になったし、案の定、今年もネット上では賛否両論が飛び交った。

高校サッカーにおける、ロングスロー問題である。

「ルールに則っている以上、何が問題なのか」と賛成派が言えば、「あんなことをやっていたら世界に通用しない」と否定派が反論する。ま、それぞれにはそれぞれの言い分があり、それをぶつけあうのもスポーツの楽しみの一つ、と外野から楽しませてもらっている。

ただ、昔だったら、自分はゴリゴリの否定派だっただろうな、とも思う。

日本国内、それも高校生年代であればかなり有効なロングスローも、一歩海の外に足を踏み出せばまるで通用しない可能性が高い。ならば、やるべきではないし、実際、W杯やヨーロッパのトップリーグを見ても、ロングスローに頼っているところはまず見当たらない。一時流行の兆しを見せたハンドスプリング・スローにしても、結局は姿を消していった。よって、反対。大反対。間違いなく、そうなっていた。

いまは、ちょっと違う。

自分がチームを指導する立場だとしたら、たぶん、やらない。やらせない。安易な攻撃パターンに頼ってしまい、若い世代ならではの独創性や創造性をスポイルしたくない、と考えるからだ。

では、相手がやってきたらどうするか。

昔だったら、きっと罵っていた。あんなことしやがって。あれで勝って嬉しいのかよ。まず間違いなく陰で毒づいていた。

いまなら、選手たちにこう言うかな。「これを凌げないようじゃ、世界で戦うなんておぼつかないぞ」


確かに、ロングスローを通常兵器として使う世界の一流どころはまずいない。だが、苦境に立たされた際、パワープレーを仕掛けてこないチームもほとんどない。

ロングスローとは、すなわちパワープレー。それも、相当に正確なパワープレー。

だったら、日本の高校生が攻撃兵器にして使用しても世界に通用しないかもしれないが、防御手段を学ぶことは決してマイナスではない。むしろ、下手をすればW杯以上に1敗が大きな意味を持つ高校サッカーにおいて、容赦ないパワープレーにさらされることは極めて意味のある経験になる。そう考える。

若年層を指導する上で、常に上のレベルのことを考えるのは素晴らしい。「こんなサッカーでは世界に通用しない」という発想自体は、日本サッカー全体が持ち続けていく必要がある。だが、自分自身を鑑みてみると、この発想には一つ、大きな欠点があったことに気付く。

世界のサッカーが、すべて素晴らしいもの、すべて理詰めであるという思い込みである。

この思い込みが真実なのであれば、高校サッカーにおけるロングスローはナンセンスでしかない。自分たちの攻撃兵器にもならないし、守備の方法を学ぶ必要もない。

残念ながら、現実は違う。

カタールW杯で日本と対戦したドイツは、最後の最後、インスイングのCKを蹴ってきた。あれは、明らかに日本のGK権田がハイボールの処理に不安があると見たがゆえのキックだったとわたしは思う。根底にある発想は、ロングスローとまったく同じである。

世界が必ずしも美しいものばかりでない以上、日本国内を美で統一する必要はない。世界に理不尽な力があるのであれば、日本国内にもあっていい。はっきり言えば、世界を目指す指導をする学校がある一方で、そんなものは目指さない、ただ勝てればいい、と考える学校があってもいい。

というか、あった方がいい。その方が、よりストリート・サッカーに近い。最近では、そう考えるようにもなった。

いつかはセレソンに入って世界で活躍する、と夢見る少年がいる一方で、将来のことなど一切考えず、ただ目の前の勝利に固執する少年がいる。いろんな年齢、いろんな人種、いろんな哲学がごっちゃまぜになって路上で行なわれていたのがブラジルのストリート・サッカーであり、ブラジルの強さの源だった。先のことなど考えない選手のラフなプレーと対峙することで、先のことを考える選手の才能も磨かれていった。

すでに日本には、徹底して将来のことを考えた指導がなされるJリーグのユースチームがある。言ってみれば、こちらは輝かしい才能の集まり。だったら、ある意味玉石混淆とも言える高校サッカーでは、必ずしもすべてのチームが世界のことを考える必要はない。

というわけで、ロングスローはロングスローで面白いじゃないか、と考えるようになった最近のわたしである。

ただ、いまのままでは物足りない。


なぜ世界のトップシーンではロングスローが普及しないのか。最大の理由は「通用しないから」ではなく、「可能性を追求する動きがなかったから」ではないかとわたしは思う。ならば、ここは発想を変えて、「世界でやってないから自分たちもやらない」ではなく、「世界でやってないから自分たちがやる」と考えてみるのも面白い。

実際、去年の選手権では、高山学園が「トルメンタ」なる、完全オリジナルなセットプレーを開発し、その規模はともあれ、確実に世界中のサッカーマニアの驚きを誘ったことがあった。ならば、トルメンタと組み合わせるもよし、新たなオリジナルを考えるもよしで、日本ならではのロングスロー・スタイルを開発してみてはどうだろうか。単なるパワープレーを超えた、見る者に驚きを与えるようなユニークなロングスローからの攻撃は編み出せないだろうか。

これはもう、日本の高校生にしかできない気がする。

1つの試合に生活がかかったプロの世界では、よほどの天才的、もしくは狂信的な指導者が出現しない限り、「誰もやったことのないことをやってみる」という発想は出てこない。一方で、プロほどには勝敗が死活問題ではないヨーロッパや南米のアマチュアでは、ロングスローを使ってまで勝とうという発想自体がない。

つまり、日本の高校ほどにはロングスローを成熟させる土壌がない。

そもそも、創成期のサッカーにおいては、スローインは片手で投げることが許されていた。それが禁じられたのは「飛びすぎるから」であり、もし世界中でロングスローが流行するようなことがあれば、FIFAが何らかのルール変更で対処を図ることは十分に考えられる。

反面、「サッカーは点が入らなすぎる」との声を意識してか、かつてFIFAはすべてのスローインをキックで行なわせようとしたこともあった。いわゆる「キックイン」である。おそらくは、「あまりにサッカーが大味になってしまう」との声に屈したのか、FIFAは早々にこのアイディアを引っ込めたが、今後、再び同様の動きが出てこないとも限らない。

いずれにせよ、長いボールを正確に放り込むという行為は、よくも悪くも、サッカーにおいて極めて効果的、もしくは劇薬だと考えられてきた。ならば、ルールで禁止されていないいまは、日本が世界のトップランナーになれるチャンスでもある。

日本の高校生が世界のサッカーを変える。そんなことが起きれば、実に痛快ではないか。

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