サッカー日本代表がヨーロッパ遠征で見せた新たな可能性の理由
ドイツが弱すぎたのか。それとも日本が強くなったのか。
どちらでもない、とわたしは思う。
9月10日、ヴォルフスブルクに日本を迎えたホームチームの出来が芳しくなかったことは間違いない。カタールでよもやの逆転負けを食らっているだけに、彼らとすれば絶対に負けられない、というか胸のすくような快勝、圧勝を期待された試合だったはずだが、最初から最後まで、ドイツがアクセルを踏み抜くことはなかった。挙げ句、結果だけでなく、内容の面でも明らかに劣った惨敗である。
試合後、ドイツ・サッカー連盟はハンジ・フリック監督の更迭を発表した。ドイツ・サッカー史上初となる、任期途中での解任だという。たかがテストマッチ。されど、ホームで、アジアのチームに、それも連敗したということが、さらにいうなら最初の負けよりも二度目の負けの方がヒドかったとなれば、度量の大きさでは定評のあったドイツ・サッカーの幹部たちも、黙ってはいられなかったということだろう。
ただ、彼らの側に立って推測してみると、同情の余地はある。
カタールでの敗戦は、言ってみれば事故のようなものだった。痛恨ではあったけれど、サッカーの世界では時折起きうることでもあった。実際、過去のW杯においても、ドイツ(旧西ドイツを含む)はアルジェリアやオーストリア、韓国といったアウトサイダーに大金星を献上したことはある。
では、そうした痛恨の敗北が、ドイツ人に強烈な復讐心を抱かせたかといえば、それは違った。アジア予選でオマーンに苦杯を喫した日本人が、だからといってオマーンを特別視するようにはならなかったように、である。
多くのドイツ人選手にとって、今回の日本戦は、必ずしも胸躍る復讐の機会、ではなかった。むしろ、間違っても負けることは許されない、非常に重たいものを背負っての試合だった。
だからなのか、ヴォルフスブルクでのドイツからは、カタールでの彼らとは違い、立ち上がりから日本を粉砕してやろう、といった気概はまるで感じられなかった。まず慎重に相手を見て、じっくりと料理する。それが、フリック監督以下、ドイツの皮算用だったように思う。
ところが、前半の早い段階で、その目論見はあっさりと崩れた。左サイドから無名のサイドバックに崩され、ニアで合わせられたシュートはDFに当たってコースが変わった。この時点で、ひょっとしたら少しはあったかもしれない日本に対する復讐心は、雨散霧消したのかもしれない。確実にあったのは、恐怖。またか、まさかまた、日本に負けてしまうのかという恐怖。
結果、レロイ・サネの素晴らしい同点ゴールは、ドイツに勢いをもたらすのではなく、安堵感を蔓延させてしまった。踏むべきところでアクセルを緩めたことが、この試合に関してはドイツの致命傷となった。
それでも、フリック監督更迭後最初の試合となったフランス戦で、ドイツは見事勝利を収めた。フランスからはエムバペなど何人かの大黒柱が抜けていたとはいえ、日本よりも弱い相手では断じてない。正直、強かった時代のドイツを知るものとすれば、勝ったとはいえホームでフランスに押し込まれる時間帯が長かったことに驚くが、それでも、来年のユーロに向け、十分とは言わないまでもそれなりの戦闘力はあると再確認させてもらった試合でもあった。
日本戦でのドイツの出来は非常に悪かったが、彼らが弱すぎた、ということではないとわたしは思う。ならば、日本が強くなったのか。カタールでドイツ、スペインを倒したことで、急速に強くなったのか。
それもまた、少し違う気がする。
それまで全国大会にどうしても届かなかった学校が、待望の初出場を決めた途端、翌年からは全国大会の常連校となることは、高校サッカーの世界ではよくある。では、全国に行けなかった世代は、行けた世代に比べて戦力や才能の面で大きく劣っていたのか。
大抵の場合、違う。
これは、フランスW杯以前の日本と、以後の日本についても同じことがいえる。ジョホールバルで初出場を決める以前の日本にも、世界で戦える才能は存在していた。ただ、彼らも、周囲も、その才能を信じることが出来なかった。苦境に立たされれば「ああ、やっぱり」と感じてしまうメンタリティは、土壇場のところで「大丈夫」と思える国々にかなわなかった。
なので、カタールでの劇的な勝利が、日本選手の、あるいは日本のファンの精神構造に大きな影響を与えたのは間違いない。カタール以前と以降では、世界の頂点に対する考え方、とらえ方は確実に変わった。
ただ、精神構造が変わっただけで、中立地で圧倒されていた相手を、わずか半年後、敵地で内容込みの返り討ちに仕留めるのはちょっとありえることではない。いや、カタールの時といまとでは三笘の立ち位置はずいぶん変わったし、同じことは久保についても言える。それでも、その他の選手については、メンバーを構成する選手のマジョリティは、カタール以前とそれほど変わらない日常を過ごしてもいる。
ではなぜ、ヴォルフスブルクでの日本はドイツ人に衝撃を与えたのか。メンバーをそっくり入れ替えて臨んだトルコ戦でも、シュテファン・クンツ監督を更迭に追い込むような試合ができたのか。
元から強かったから、あるいは、自分たちの強さに選手たちが気付いていたから、ではなかったか。
いわゆるマイアミの奇跡でブラジルを倒した日本の選手たちは、だから自分たちは強い、またブラジルとやっても勝てる、などとは1ミリも思っていなかった。勝っただけ。内容は惨敗。すべての選手が、そのことを痛感していた。
だが、23年の日本代表の選手たちは、あれほど一方的に見えたカタールでの戦いを経たにも関わらず、最初から勝つ気でリターンマッチに臨んでいた。それは、半年前は「力がなくてやられた」のではなく、「ああいうやり方をしたから押し込まれた」との手応えが大前提としてあり、ゆえに「だから今度は内容でも勝てる」と考えた選手が多かったからではないだろうか。
今回のヨーロッパ遠征で、選手たちの手応えは確信に近いレベルにまで高まったことだろう。強くても自分たちの能力を信じることができずにいた日本は、ついに、ヨーロッパに対するコンプレックスを根絶させようとしている。
ただ、勘違いしてはいけない。ベルギーは、オランダは、ヨーロッパのライバルに対して劣等感などまったく抱いてはいない。では、彼らには世界王者となった経験があるのか。
彼らにあるのは世界王者となる資格であって、勲章ではない。
日本は、ようやくその領域に近づきつつある、ということである。
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