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football2024.10.03

原口元気、再起への挑戦――浦和復帰から見る日本サッカーの進化と現実

ダブスタだ、と突っ込まれたら、正直、グウの音もでない。ええ、そうですとも。わたしはダブルスタンダードです。同じような実績を残した2人の選手に対する評価が、印象が自分の中でまったく異なっているからです。

かたやブンデスリーガに10シーズン在籍。1部、2部合わせて259試合に出場し、得点は34。かたや同じくブンデスリーガに12シーズン在籍して、出場したのは1部と2部合わせて252試合、得点は22。

数字を並べてみる分には、この二人の日本人選手、なかなか優劣はつけがたい。だが、わたしにとって前者が光り輝くレジェンドである一方、後者は明らかにそこまでの存在ではないのだから困ってしまう。サッカー選手としてのスキル、もっと言ってしまえば才能の部分でいうと、これはもう明らかに後者だろうと感じている自分もいるから、なおさらタチが悪い。

もったいぶっても仕方がない。わたしがレジェンドだと心の底から思い込んでいる前者は奥寺康彦さん、後者は、この夏古巣でもある浦和レッズに復帰した原口元気である。

もちろん、奥寺さんは日本サッカー界が初めて生んだブンデスリーガでプレーするプロ選手であり、野茂英雄さん同様、パイオニアとしてのバイアスががっつりかかっているという自覚はある。相対的に見た日本サッカーの立場、地位もまるで違う。比較しようという発想自体が、根本的に間違っていると言われればそれはそうかもしれない。

ただ、それにしても自分で愕然としてしまうのだ。

初めて奥寺さんのプレーを目の当たりにしたのは、86年のキリンカップだった。この大会を最後に古河電工への復帰が決まっていた奥寺さんにとっては、凱旋試合であると同時にお別れ試合でもあった。Wikipediaで調べてみると、この年のキリンカップは5月11日からの開催となっているから、当時大学3年生だったわたしは、生まれて初めてのW杯観戦に出発する日を、指折り数えている時期だった。

だからなのか、つまり気もそぞろの状態で観に行ったからなのか、国立競技場で行なわれた試合のことが、見事なまでに記憶に残っていない。奥寺さんがどんなプレーをしたのかもまったく覚えていない。というか、当時は誰にも言えなかったのだが、「こんなものなのかな、奥寺さんって」と思ったことだけは覚えている。

今になって考えてみれば当然で、当時の専門誌曰く“東洋のコンピューター”と絶賛されていたという奥寺さんは、しかし、断じて“ブレーメンで最高の選手”ではなかった。何をもって最高かという問題はさておき、とにかく、奥寺さんはマラドーナでもクライフでもなく、木村和司でもなかった。明確な任務を与えられればきっちりと遂行するが、創造的なプレーで試合を決定づけたりするタイプではない選手に、背番号10としてのプレーを期待してしまっていたのだから、「あれ?」と思わない方がおかしい。

だが、長友佑都に本田圭佑のような役割を期待してしまう過ちを犯していたわたしは、奥寺さんが日本代表に復帰すれば、長かった暗黒時代も終わると信じて疑わなかった。どうやらそれは当時の専門家もかわらなかったらしく、本棚から86年の専門誌を引っ張りだしてみると、ソウルで行なわれるアジア大会の展望記事にはこんなことが書かれていた。

『奥寺が加わることで、木村(和司)の負担は軽くなるだろう。また、奥寺自身の力で打開される部分が増えるだろう。そう考えると、奥寺加入で、計り知れないプラスアルファが、アジア大会に挑む日本代表にもたらされそうだ』(『サッカーマガジン』86年11月号より)

展望、というよりは願望に近かったこの記事の予測した未来は、もちろん当たらなかった。日本はグループリーグで敗退した。翌年のソウル五輪予選では、中国の前に苦杯を喫した。

だが、奥寺に過度の期待をかけてはいけない、とか、一人の選手でチームが劇的に変われるほどサッカーは簡単なものではない、といった、至極当たり前のことを言う専門家は、当時、いなかった。オートマチックに日本代表でのレギュラーポジションを与えてしまったことに対する批判も皆無だった。そのことをあげつらいたいわけではない。わたし自身、奥寺さんを代表に入れないなんて想像すらできなかった。

……という過去を持つ人間からすると、驚愕するしかないわけです。自分の豹変ぶりに。

原口が日本に帰ってきた。森保監督はすぐにでも代表に復帰させるべきだ、とは1ミリも思わなかった。それどころか、この原稿を書いている9月25日現在で、まだレッズでのスタメン起用がないこと自体にまるで驚いていない自分までいる。

過去、多くの日本人選手がヨーロッパに渡り、最終的にはまた日本に戻ってくるというルートを辿ったが、日本代表での実績のないまま向こうに飛び込んだ選手ならばいざ知らず、原口のように日本代表として長く活躍し、W杯でもプレーしたような選手であれば、帰国後の立場はほぼ安泰だった。ヨーロッパでは、正味の話お払い箱にされたような選手であっても、Jリーグではまごうことなきスターでいられた。

これって、まだそんなに昔の話ではない。


原口の戻ってきたレッズは、絶好調とは言い難い状況だった。優勝はほぼ厳しく、監督もかわった。一般的にいって、ファンが救世主を欲しやすい状況とも言える。もちろん、原口の復帰を好意的に受け止めたレッズ・ファンは多かったようだが、わたしの見る限り、「原口が戻ってきたなら大丈夫」的な意見、空気はメインストリームたりえてはいなかった。『原口加入で、計り知れないプラスアルファが、レッズにもたらされそうだ』なんて記事が出回ることもなかった。

なんだか、気づかないうちに日本のサッカーファンって目茶苦茶成熟していたのかもしれない。

奥寺がいれば、原口がいれば大丈夫という考え方は、突き詰めて言うと、S級選手がいれば勝てる、と盲信するに等しい。個人にできることを過度に期待してしまうあまり、結果が出ない際はすべての責任を監督におっかぶせるということにもなる。

とはいえ、ちょっと寂しい気がするのも事実。

サッカーはいよいよ、個人でどうこうできる時代ではなくなってきた。ただ、個人でどうこうしてしまう選手をメキシコで目の当たりにした人間の一人としては、やっぱり、17歳でレッズと契約し、天才児との誉れも高かった原口には、最後の花を、それも盛大な花をさかせてもらいたいと思うのだ。

森保監督は一向に関心を示さないが、神戸では大迫や武藤が「なんでこれで日本代表じゃないの?」的なプレーを続けている。デビューしたクラブに戻った原口には、それ以上、森保監督で日本代表に呼ばないことが大問題になるぐらいのプレーを見せてほしい。

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