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baseball2019.02.13

伊藤智仁(元ヤクルトスワローズ)が歩んだ幸運な投手人生「信じて進んできた道は間違っていなかった」

プロ野球の歴史の中で、スライダーを武器として活躍した名投手は数多くいる。稲尾和久、岩瀬仁紀、松坂大輔など、名前を挙げればきりがない。だが、その中でも元ヤクルトスワローズ、伊藤智仁(現楽天1軍投手チーフコーチ)が投じる“高速スライダー”は史上最強の変化球と謳われ、唯一無二のものと言っても過言ではないだろう。
 
そんな90年代のプロ野球界を席巻した伝説の投手だが、現役時代は怪我に何度も苦しめられてきた。打者よりも、自分自身と戦った期間の方が長かったかもしれない。そんな現役時代を、伊藤はどう振り返るのだろうか。今回は、現在だからこそ思う自身の野球人生について話を訊いた。


■BCリーグ監督として感じた、プロ野球時代と異なる“ドラフトの感覚”​

――昨年は、ルートインBCリーグ・富山GRNサンダーバーズの監督として、チームを後期の地区優勝に導かれました。おめでとうございます。
 
伊藤:ありがとうございます。
 
――就任1年目での優勝ということでしたが、シーズンを振り返ってみていかがですか?
 
伊藤:正直、はじめは全然うまくいきませんでした。投手はある程度成果を残してくれてはいましたが、打線はリーグ最下位という極端なチームでしたので。どの選手も、自分がどういう役割を果たすべきか理解できておらず、チームとして機能しきれていなかったんです。
 
その中で、2名の選手を補強したんですけど、彼らの入団によってチームが徐々に活性化していきました。彼ら自身もいい働きをしてくれましたし、それに呼応するかのように周りの選手も打てるようになってきて。そこで初めてバチっと噛み合ったというか、選手それぞれが自分に求められている役割の中で仕事をし始めて、組織として成り立っていったんです。
 
開幕直後に4連勝して、その後に2連敗したんですけど、それ以降は連敗することはありませんでしたね。
 
――シーズン終了後は、ドラフト会議を監督としてご覧になられていましたが、どのような心境だったのでしょう?
 
伊藤:ヤクルトのコーチだった時は選手を受け入れる立場でしたが、初めて監督として選手をプロに送り出す立場になって「あぁ、ドラフトってこんなにしんどいものなのか」と思いましたね(笑)。
 
ドラフト候補の選手が数名いましたが、なかなか指名されなくて「あれ…これ呼ばれないパターンなのかな」って段々不安になってきて(笑)。結果的には2名の選手が指名されたので、アマチュアからプロ野球選手を生み出すという今までにない喜びを味わうことができました。
 
――ご自身がドラフトで指名された時とは違う感覚でしたか?
 
伊藤:全然違いますね。当時は「指名されないことはないだろう」と思いながら名前を呼ばれるのを待っていたんですけど、今回のような「果たして指名されるのかな?」というドラフトは嫌ですね(笑)。

 

■後にも先にもない、初完封試合で投じた「イメージ通り」の1球​

――伊藤さんは1993年にドラフト1位でヤクルトに入団されましたが、実際に数々の打者と対戦されて、プロ野球の世界に対してどのような印象を抱きました?
 
伊藤:正直、僕が入った時は打者のレベルってそこまで高くなくて、6番ぐらいまで打ち取れば、あとは楽でしたね(笑)。今はどの選手もすごいスイングをしていて、1、2番でもバンバン打ちますけど、当時は長打を打てる選手はクリーンアップしかいない。そんな時代でしたから。
 
それに加えて、僕の社会人時代は金属バットを使用していたので、打者有利の時代でした。なので、僕みたいな社会人出身の選手だと、木製バットを使っているプロ野球の方が抑えられる印象があったんですよね。だから少し楽でしたよ(笑)。
 
――その中で、対戦して嫌だった選手は誰ですか?
 
伊藤:巨人の松井秀喜や広島の前田智徳、あとは中日の立浪和義は素晴らしい打者で、対戦していて嫌でした。投手としてはヒットか四球狙いの打者はそんなに怖くないんですけど、松井みたいに思い切りスイングしてくる打者は嫌でしたね。ちょっとでも甘いコースに投げてしまったら「持っていかれるな」っていう感覚があるので、警戒して投げていました。
 
――では、1番印象深い登板試合はいつでしたか?
 
伊藤:プロ初完封した、1993年6月3日の阪神戦(甲子園)ですね。その時は体も動いて、ほとんどイメージ通りに投げられました。立ち上がりの1球目からアウトコース低めにズバッと決まって、審判の判定はボールでしたけど、「今日はいけるな」って感じるぐらい手応えのある球でしたね。
 
しっかり腕を触れて、しっかりリリースができて、しっかりコントロールできた。初球からこんな球を投げられたのは後にも先にもこの試合だけでしたので、印象深いです。これが毎試合できたら本当に簡単なんですけどね(笑)。ミーティングなんていらないですよ(笑)。

 

■社会人3年目に訪れた“魔球”誕生の瞬間​

――その試合も含めて、伊藤さんはルーキー時代から強烈な印象を残していましたよね。伊藤さんといえば、やはり“高速スライダー”が代名詞であり、プロの世界でも支えとなった球種だったと思いますが、そもそもスライダーを習得されたのはいつ頃なんですか?
 
伊藤:社会人3年目の20歳ぐらいの時ですね。高校の頃の先輩が大学を卒業して、僕が所属していた三菱自動車京都に就職されたのですが、その先輩が、「スライダーが得意」ということで、握りや投げ方を教えてもらったんです。
 
僕自身、もともとスライダー自体は投げていたのですが、少し曲がりの大きいスラーブみたいな感じだったんですね。当時はカーブの方が得意だったということもありまして。
 
それに前述した通り、僕の社会人時代は金属バットが使われていたので、芯に当たらなくても長打を打たれる危険性があった。だからバットに当たらない、空振りが取れるような変化球を扱う、野茂英雄さんだったり潮崎哲也さんのような投手が活躍していたんです。
 
だから自分も、もう少し球速があって空振りが取れるスライダーにしようと、先輩に何度も質問しに行きました。練習していくと、すぐにしっくりきて、「これならすぐに試合で使えるな」と思って実戦でも投げ始めました。
 
――実際に試合で投げてみて、打者の反応はいかがでしたか?
 
伊藤:打者の反応はよかったですね。そう感じてからは自信を持って投げられるようになりました。カウントも取れますし、空振りを奪うこともできる。不利なカウントでもしっかりとストライクゾーンに集められたので、このスライダーを習得できたことはかなり大きかったです。このスライダーがなければ、プロ野球の世界にも入ることはできなかったでしょうからね。

 

■度重なる怪我を乗り越え掴んだもの

――伊藤さんは2年目以降、何度も怪我に苦しみ、9年間で3度手術を経験されました。そういった挫折や、大きな壁が立ち塞がってきた際に、それを乗り越えるためにどういった気持ちで日々取り組まれていたのでしょう?
 
伊藤:しんどいですけど、その時にできることをやるしかなかったですよね。つらいからと言って「もういいや」と投げ出してしまったら、もう仕事として成り立たせることはできなくなりますから。
 
試合で投げること、マウンドに立つことが僕ら投手の仕事。その役割を全うするために、生きていくためにやるべきことをやる。だから逃げ出そうと思ったことは1度もありません。
 
――そういった怪我、そしてリハビリを経て、1997年にはチームのリーグ優勝と日本一にリリーフとして貢献され、カムバック賞も受賞されました。初めて現場で優勝を経験できたお気持ちはいかがでしたか?
 
伊藤:僕の中では優勝も経験できて、1番良い年になったと思いますね。そのシーズンは新人の頃よりもさらに球速を上げて戻ってこられましたし、それによってリリーフとして良い成績を残すことができた。チームの戦力として優勝を味わえた瞬間は、「自分が信じて歩んできた道は間違っていなかったんだ」と初めて確信することができました。
 
リハビリの期間はつらかったですけど、それを乗り越えることができたからこそ頂点からの景色を見ることができ、引退後もこうして野球の仕事に携わることができている。この野球人生が正解か不正解かはわかりませんが、今となっては幸運な道を歩んでこれたなと思いますね。

 

■グラブは球種によって、スパイクは球場によって使い分ける。伊藤智仁のギアへのこだわり

――ここからは現役時代に使用していた野球用品について伺っていきたいのですが、グラブはどこのメーカーを使っていたのですか?
 
伊藤:現役時代はずっとミズノですね。僕は重すぎず、大きすぎない、少し小さめのグラブを使っていました。投手によっては重いグラブにして、その重さの反動を使って腕を振るタイプもいるのですが、僕は逆に軽めで、大きい人と比べて一回りくらい小さいグラブにしていましたね。
 
――グラブのカラーに関してはいかがでしょう?
 
伊藤:僕はネイビーカラーにしていました。明るい色のグラブにしてしまうと相手に癖がバレやすいので、色は暗めにしていましたね。それにアンダーシャツもネイビーカラーで、しかも長袖しか着なかったので、できるだけ同じ色に寄せた方がいいかなというのもありました。
 
――では、スパイクのこだわりはありましたか?
 
伊藤:スパイクには気を使っていましたね。足は左右で大きさが少し違うので、メーカーさんに頼んでしっかりと足型を取ってもらっていました。
 
また、当時はまだ土が柔らかいマウンドが多かったので、しっかり土を噛めるよう革底の刃を長めにしていたのですが、少しずつ東京ドームやナゴヤドームのように人工芝でマウンドが硬めの球場ができてきたんですね。
 
そういった球場に対して長い刃のスパイクを使うと、逆に噛みすぎてケガをする可能性が出てきてしまう。だから人工芝でマウンドが硬い球場の場合は刃を短めにしていました。
 
――球場によってスパイクを使い分けていたと。
 
伊藤:そういうことです。甲子園だと土は柔らかいですし、インフィールド(内野)も全部土なので刃は長めがいいんですけどね。ドーム球場は人工芝なので、スパイクの使い分けはしっかりしていました。
 
――それを踏まえて、野球用品を選ぶ際のポイントを教えてください。
 
伊藤:グラブに関しては、自分が使う球種によってグラブを選んだ方がいいと思います。例えば、フォークを投げるんだったら少し開く形式のグラブを選ぶとか。スライダーやカーブだったら別に普通のグラブでもいいんですけど、フォークは指で挟むので、ちょっと特殊な球種なんですよね。
 
僕もプロに入ってからフォークを投げ始めたんですけど、普通のグラブだとフォークを握る時に無理やり開いてしまうので、変な癖がついてしまうんですよ。なのでフォークを投げるのであれば、あらかじめ開いているグラブにする必要があります。
 
スパイクに関して言うと、前述のようにグラウンドに合ったスパイクを選んだ方がいいですね。アマチュアだったら柔らかい土のグラウンドが多いと思うので、しっかり土を噛めるように長めの刃を使ってもらって。もし短くても、本数が多いとか、刃の位置がしっかりしていれば問題ありません。

 

■則本、岸、松井裕樹に続く“柱”を。楽天の新コーチとして来季にかける想い

――ありがとうございます。では、伊藤さんから見る“野球の魅力”についてお聞かせください。
 
伊藤:野球って奥が深くて、ものすごく考えるスポーツだと思うんです。正直、ルールは難しいですし、球を打つのも大変で、ストライクゾーンに投げるのも簡単ではありません。
 
サッカーと比べたら、覚えることが多くてめちゃくちゃ大変です。ボールカウントがあったり、タッチアップがあったり、中には説明しようがないルールなんてたくさんあるわけですよ。
 
それぐらいややこしいスポーツなんですけど、でも、それさえ覚えてしまえば楽しめる要素はいっぱいあります。
 
1球投じるまでには間があって、その間でいろんな駆け引きが行われる。1球で有利になったり、逆にピンチを招いてしまったりもする。そう考えるとすごく奥が深くて、野球にしかない面白さだなと感じています。
 
――最後に、楽天の1軍投手チーフコーチとして迎える2019シーズンに向けて抱負をお願いします。
 
伊藤:楽天には則本昂大、岸孝之、松井裕樹など実績があっていい投手が揃っている。ですが、いつまでも則本たちにおんぶに抱っこではチームとしてうまくいかないので、彼らに続く若い投手を育てていきたいですね。
 
いかに主力投手の負担を減らせるか、次代を担う若手を育成できるかが2019年からの鍵になってくると思っているので。
 
実際、そういう投手になり得る好素材は揃っています。いきなりエース級の投手を生み出すことは難しいかもしれませんが、ある程度長い目で見て、数年後にはローテーションの柱としてしっかり活躍できるような新しいスターを育てていきたいですね。

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