『岩隈久志が野球人生のラストを飾るに相応しい決断と自信』
これはプロ野球に限った話ではないのだが、日本のプロ・スポーツ選手の場合、ほぼ例外なく、自分が所属しているプロ・チームと同じぐらい、ひょっとしたらそれ以上に大切にしているチームがある。
自らの出身校である。
わからないではない。彼らは高校や大学で素晴らしい結果を残したがゆえに、プロからの声がかかっている。ほとんどの選手にとって、学生時代は輝かしい栄光に包まれたもので、不遇の時代を過ごした数少ない例外にしても、間違いなく次のステップでは脚光を浴びている。自分の出身校を恨み、憎悪するような選手は、そもそもプロの世界にたどりつけていない。
もちろん、出身校に対する選手たちの愛情表現には様々な形がある。わかりやすく愛校心や連帯感を表に出すタイプがいれば、愛着は抱きつつも猪突猛進だった時代を苦笑する、ちょっとクールなタイプもいる。ただ、どんなタイプにしても、その出身校なくして現在の自分はない、というスタンスは共通している。だからなのか、プロという道に進んでからも、所属チームに対する日本人の考え方は、欧米人に比べるとちょっとウェットというか、単なる契約関係を超えていることが珍しくない。
岩隈久志は、それゆえ、ちょっと印象に残る存在だった。
初めて話を聞いたのは、楽天ゴールデンイーグルスというチームが誕生して1年目か2年目だったと思う。理路整然。けれども、野球選手につきものだと思っていた、集団に対する強烈なロイヤリティのようなものが、不思議なぐらい感じられなかった。
岩隈といえば、プロ野球再編騒動で人生が大きく変わってしまった選手の一人。近鉄なり新天地の楽天なりに特別な想いを持っているはず、と勇んで臨んだインタビューだったのだが、思惑は完全に裏切られた。結局、野球よりも欲しいクルマの話で盛り上がってしまい、「インタビュアーがこれではイカン」とあとで激しく反省した記憶がある。
その後、彼は楽天を、パ・リーグを、さらには球界を代表する投手となり、12年からはシアトル・マリナーズに活躍の舞台を移し、日米通算で170もの勝ち星を積み重ねた。興味深かったのは、楽天時代に野村監督から「エースという責任感が感じられない。マー君(田中将大)とは正反対や」と評されたことで、インタビューした時に感じた淡々とした印象を思い出し、「さもありなん」などと思っていた。
18年秋、日本に帰国して次の所属先を模索していた彼とラジオ番組で対談する機会があった。時間に余裕があったこともあり、少年時代からメジャーでの苦労に至るまで、たっぷりと話をうかがうことができた。
興味深かったのは、高校時代のエピソードだった。彼は東京の名門・堀越の出身なのだが、後にプロ入りする選手としては珍しいことに、一度野球部を退部しかけているというのだ。
「技術的なことを教わってる感じがなかったんですよ。やれチームワークとか連帯責任とか、精神修養みたいなことばかり言われて」
岩隈は堀越に野球推薦で入学していた。野球部を辞めるということは、退学ということにもつながりかねないが、当時の彼は、それでもかまわないと考えていたという。
「担任の先生が高校だけは卒業しておけって言ってくれたのが大きかったかな。お前は背が高いんだから、バレー部に移ればいいじゃないかって」
危ういところで退部と退学を思い止まった岩隈だったが、察するに、野球部の中では異端児扱いを受けたはずである。一般的にいって、名門野球部は一度ケツをまくりかけた人間に対してそれほど寛容ではない。甲子園出場に高校生活のすべてをかけたかのような仲間の姿が、「技術的なことを教えてもらえないから」退部しかけた岩隈の目に、どのように映ったのかは容易に想像がつく。
今は亡き野村克也さんが絶賛した田中将大は、仲間のために連投を厭わなかった。球数が100球を超えると交代を申し出ることの多かった岩隈は、目標のために盲目的、宗教的となる集団に馴染めなかった男だった。正反対の評価が下された理由が、いまならばよくわかる。
アメリカから帰国後、日本で現役続行の道を探していた岩隈は「希望球団?ありません。ぼくという人間を必要としてくれているところであれば」といった。ちょっと手垢がついた言葉のようで、そのときはなぜか、新鮮にすら感じられた。集団に尽くし、時に埋没する日本人も多い中、彼は、明らかに球団と個人の関係を対等に捉えていた。雇ってもらう、拾ってもらう、のではなく、行く、選ぶという気高さすら感じさせた。
インタビューから数日後、岩隈久志の巨人入りが発表された。東京生まれながら、子供のころは熱狂的な西武ファンだったという彼にとって、巨人は必ずしも憧れの球団ではない。ということは、巨人は岩隈が納得する条件をだし、岩隈も野球人生のラストを飾るに相応しい球団と判断したのだろう。
幸か不幸か、巨人入団1年目の岩隈はまったく1軍の戦力にはならなかった。ただ、入団が決まる直前の彼は、故障していた肩の回復具合について間違いなく手応えを感じていた。阪神ファンとしては、新シーズンの開幕を前に、そのあたりが大いに不気味である。
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