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baseball2020.10.09

藤川球児が教えてくれた、プロ野球選手の未来は自力で掴むこと。

4年前の10月20日、阪神ファンは怒っていた。いや、ひょっとしたら怒っていないファンもいたのかもしれないが、少なくともわたしは怒っていた。

なんで大山やねん!てか、大山って誰やねん!

この日行なわれたドラフト会議で、阪神は大方の予想を裏切り、ドラフト1位で白鴎大の大山悠輔内野手を指名した。将来有望な高校生投手でもなく、即戦力が期待される大卒、社会人のピッチャーでもなく、およそ知名度が高いとはいえない関甲新学生連盟リーグのスラッガーを1本釣りしたのである。

いや、大学日本代表の4番を務めていたのだから、その実力は折り紙付きで、ドラフト上位で消えることは予想されていた。ただ、阪神の1位指名が発表された瞬間、会場には異様などよめきがあがり、ラジオで実況していたニッポン放送の煙山光紀アナウンサーは一瞬、言葉を失った。あとでご本人に聞いたところ、「いやあ、あまりにも意外な名前だったので」とのことだった。

3位だったらわかる。2位でもまだいい。けど、1位はないやろ……というのが、あの日、ネットで飛び交った阪神ファンの総意だったように思う。

ファンの一人として懺悔します。

いまのところ、大山が阪神ファンの期待に完全に応えているとは言い難い。それでも、あの年のドラフトで1位に指名された田中正義や佐々木千隼、藤平尚真、寺島成輝、今井達也といった面々と比べ、仕事ができていないかといえばそれは違う。年俸でいうと、すでに1億円プレーヤーとなったオリックスの山岡泰輔、横浜の外れ外れ1位となった浜口遥大に次ぐ12人中3位である。

人の未来はわからない。プロ野球選手の未来はもっとわからない。

大山悠輔のドラフト1位指名からさかのぼること18年──98年のドラフト会議のときも、わたしは強い怒りと失望を覚えていた。

藤川球児の1位指名である。

当時、阪神は暗黒時代の真っ只中だった。PL学園より弱いと揶揄されれば、反発しつつ「でももしかしたら」とか考えてしまう自分がいた。

松坂大輔は、だから、そんな阪神ファンにとって唯一にして最大の希望だった。バース様さえいれば、嗚呼、バース様さえいえばと酔うたびに涙ぐんでいた阪神ファンは(というかわたしは)、松坂が阪神に入ってくれさえすれば、きっと明るい未来が開けるのだと信じていた。

松坂=甲子園の申し子。甲子園=阪神。よって松坂=阪神。くじ運の弱さは痛感していたが、それでも、この年に限っては松坂を引き当てるはず、いや、引き当ててくれ、もとい、阪神救済特例として来てくれるはず……な気分になっていた。

そしたらあんた、まさかの松坂回避ですわ。

もしネット環境が2016年並になっていたら、あの日、阪神に関するツイートは激怒、絶望、号泣……ありとあらゆるネガティブな感情と言葉で荒れまくっていたことだろう。

取りにいって取れなかったのであれば、まだ諦めもつく。てか、あんたら、いかんのかい!

しかも、この諸々のネガティブな感情と言葉は結構長く消えなかった。ルーキーイヤーから期待通り、いや、期待以上の大車輪の活躍を見せた松坂に比べ、我らがドラ1はさっぱりだったからである。

こいつもまた源五郎丸のクチか──。

頭を過ったのは、81年に大分の日田林工から入団し、ついに1軍のマウンドに立つことなく消えていったかつてのドラ1の姿だった。

深く、本当に深く、懺悔します。

あのときは夢にも思わなかった。まさか、プロ入り初勝利まで4年もかかったピッチャーが、球界を代表するクローザーになるなんて。

松坂大輔よりも名球会に近いところまで行くなんて。

プロ野球選手の未来ぐらい、わからんものはない。

だから、20年9月上旬、巨人との4連戦でダメだったからといって、というか、怒りを通り越して失笑がこぼれそうになるほどの体たらくだったからといって、その選手に失格の烙印を押してしまうのはいかがなものかと思うのだ。

藤川球児が大ブレークしたのは、プロ入り7年目となる05年だった。

藤浪晋太郎はまだ8年目の選手である。7年目までの実績、成績、獲得年俸であれば、藤川球児など比較にならないぐらい上をいっている。

今季限りの引退を発表した記者会見で、藤川は宿敵・巨人に対する熱い思いを口にした。絶対に、絶対に倒さなければならない相手だという彼の思いは、すべての阪神選手に伝わったとわたしは信じている。

藤浪には、特に強く伝わったと信じている。

何年かのち、今年の体たらくが「そんなこともあったんだ」と驚嘆されるような藤浪になることを、信じている。

きっと、それは、藤川球児も。

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