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baseball2021.05.02

和田毅の成長曲線は、まだ日の目を浴びないアスリートの希望となる。

いまになって思うと、1998年という年は、日本のスポーツ界にとって、そして個人的にも大事件というかビッグニュースの連続だった。

年明けには長野五輪があった。72年の札幌大会以来、26年ぶりの国内開催ということもあり、その盛り上がりは大変なものだった。モーグル里谷多英の思いがけない大活躍があったかと思えば、金メダルだけを期待されて大会に臨みながら途中でまさかの大失速、ところが最後は大逆転で期待に答えたスキー・ジャンプの団体があった。

梅雨を迎えようかという季節には、日本サッカーが初めて挑むW杯があった。結果は3戦全敗という無残なものだったが、この大会をきっかけに、日本のサッカーは大きな飛躍を遂げていくことになる。

そして、激アツの国際的なイベント取材を終えて燃え尽きた気分になっていたとき、何気なくつけたテレビの中にいたのが松坂大輔だった。

あのころは、ちょっと信じられないぐらいに阪神が貧弱な時代でもあった。甲子園で無双ぶりを発揮する横浜高の18歳はあまりにも眩しく、その秋のドラフトで何としても阪神に来てくれますように、と祈ったことを覚えている。

そしたら、藤川球児。

正直にいいます。いやあ、がっかりしたのなんのって。

クジで外れたのであればまだ諦めもつく。だが、阪神のフロントは競り合いにいこうともしなかった。後に藤川さんが聞いたところでは、まず上原浩治に断られ、第二候補にも断られ、そもそも松坂には行こうともせず──という経緯を経ての1位指名だったのだという。

当時の在阪スポーツ紙は、藤川さんが当時人気絶頂だった女優の広末涼子さんと中学の同級生だったという情報を大きく報じていたが、おそらくは9割以上の阪神ファンから「それがなんやねん」とのツッコミを受けていたはずである。

もっとも、多くの阪神ファンが失望したのは、さして知名度のない高知商のピッチャーが松坂大輔と同格に扱われたことに対して、であって、藤川がドラフト2位、3位での指名ということになっていれば、何の騒ぎも起こらなかっただろう。線は細いけれど将来が有望なヒッチャーであることは、多くの目利きが認めるところだった。

もしこのとき、阪神のフロントが藤川ではなく、島根県立浜田高のサウスポーを指名しようとしていたら。いや、現実的にはプロ志望ではない高校生を指名することは許されていないのだが、仮に、「いや、こいつは日米通算で140勝ぐらいをあげるピッチャーになるから」などと力説するスカウトがいたら──。

他のスカウト全員、ドン引きだっただろうな。もしくはクビか。いや、クビにならなかったとしても、ファンからの凄まじいバッシングに見舞われていたのは確実。

甲子園には出場したものの、高校時代の和田毅は、松坂大輔はもちろんのこと、藤川球児とさえも比較の対象にはならなかった。なにせ、直球の球速は130キロに届くか届かないかだったというのだから無理もない。

ところが、早稲田大学に進学すると平均的だったサウスポーは凄まじい勢いでの変貌を始める。出所が見にくかったため、球速以上の速さは感じさせると評されていた直球は、打者が受ける印象はそのまま、140キロ台の中盤を記録するようになった。2年の春から先発として使われるようになると、卒業するまでにあの怪物、江川卓が持っていた東京6大学の奪三振記録をも塗り替えてしまった。小学生時代から怪物扱いされていたレジェンドの大記録を、島根の公立高校を卒業したピッチャーが乗り越えたのである。

もちろん、球速の大幅なアップも、奪三振率の圧倒的な高さも、和田本人の努力あればこそ、であるのは間違いない。そこで思うのは、「こういう成長線、サッカーでは見ないよなあ」ということである。


野球同様、Jリーグにも高校時代は無名ながら、大学に入って成長し、注目されるようになった選手がいないわけではない。ただ、海を越えてプレーするとなると、これはもう、ほとんどが高卒、もしくはユース上がりの選手ということになる。

もちろん、これは選手寿命の長短も関係している。どちらも一昔前では考えられないような年齢になってもプレーする選手が出てきているが、40代になってもプレーしている選手の数は、全世界的に見ても、やはり野球の方が多い。

となると、22歳でプロに入り、それから結果を出したJリーガーは、海外のクラブからすれば残された時間があまりにも短く見えてしまう。大卒の海外リーガーは、おそらくは今後も少数派であり続けることだろう。

ただ、そうした選手寿命の問題と別に思うのは、いい悪いではなく、サッカーと野球、人材育成システムの違いである。

Jリーグのクラブ自体が下部組織の保有を義務づけられていることもあり、いまは日本全国津々浦々で小学生、あるいは幼稚園の段階からライセンスを持った人間の指導を受けることが可能になった。つまり、日本サッカー界が育成に費やすお金とマンパワーは、18歳以下の層にほぼ全面的に注がれている。

それに比べ、大学、社会人までがプロへのルートとして確立されている野球は、サッカー界が育成から手を引く世代に対しても、手厚いアプローチがなされている。

その結果が、18歳の段階では洟も引っかけられなかった選手の、メジャーリーグ入りなのではなかったか。

野球とサッカーでは、求められる資質や条件に違いがあることはわかっている。ただ、和田毅のような選手を見ていると、つい思ってしまう。

18歳を超えた選手が育成の網から漏れるのは、日本のサッカー界に限ったことではない。アルゼンチンだろうがスペインだろうがドイツだろうが、一定年齢に達してからの成長は純粋に選手個人の責任となる。

もしそこで、日本のサッカー界が、18歳以上の選手を育成しようとする方針を、いままで以上に打ち出したとしたら──。

いまよりももっと競争力のある、日本サッカーになると思うのだ。

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