岡田監督の手腕、阪神タイガース今シーズンの躍進とアップデートの秘密
東京生まれの東京育ち。基本、阪神はおろか、スポーツ全般についての興味は薄め。それでも、フツーの家庭とは比べ物にならないほどスポーツの、そして阪神の試合中継を見せられているわたしのヨメが言う。
「このヒト、ホントに何言っているのかわかんないよね」
苦笑するしかない。阪神・岡田監督の勝利監督インタビュー。あれを面白がって聞いているファンも一定数いるのだろうが、わたしも正直、何を言っているのか、言いたいのかわからないことの方が多いし、ちっとも面白いとは思わない。前回の監督時もそうだった。
スポーツの種類によって違いがあるとはいえ,わたしは基本、スポーツの監督に求められる極めて大切な要素の一つに、「言葉の力」があると思っている。忘れられないのは、ラグビーの清宮克幸さんから聞いた言葉。
「監督っていうのは、選手を説得するんじゃなくて、納得させなきゃいけないんです」
そうなのだ。同じ言葉をぶつけたところで、選手の心根に染みてくれなければ意味はない。聞いた選手が、そうだ、そうだよなと心底感じてくれなければどうしようもない。そのためには、言葉の選び方が大切になってくるし、トーンやリズム、タイミングも重要になってくる。というわけで、「言葉の力」に関して、わたしの岡田監督に対する評価は低かったし、いまも低い。
だが、そんな監督に率いられた阪神が、18年ぶりの「アレ」に向かって驀進している。真弓さんも、和田さんも、金本さんも、そして矢野さんもできなかった「アレ」が、日々現実味を帯びてきている。岡田監督には、他の監督にはない何かが備わっているということになる。
前任者の矢野さんは、「言葉の力」を持った人だった。打てば響く。聞けば、芯を食った答えが返ってくる。現役時代から、彼にインタビューをするのはすこぶる楽しかったし、リーダーとしての資質は十分にあったといまでも思っている。
ただ、矢野さんは勝てなかった。最下位だったチームを引き継ぎ、就任期間中はすべてのシーズンでAクラスに導くという阪神史上初の快挙をなし遂げたものの、最後は一部のファンから石もて追われる形でチームを去った。
なぜ矢野さんは勝てなかったのか。そして、なぜ岡田監督は勝とうとしているのか。今シーズンずっと考えてきて、ようやくたどりついた答えがある。
矢野さんは、言葉の力を使って「いい集団」を作ろうとした。「いい集団」を作ることが、勝つことにつながると考えていた。
岡田監督は違う。どうやら、彼はハナから「いい集団」を作ろうなどとは考えていない。よって、「言葉の力」もそれほど必要ではない。彼が目指したのは、言ってみればディテールを磨き上げることだった。「神は細部に宿る」という言葉があるが、神を宿らせるために細部にとことんこだわったのが岡田監督だった。
たとえば、フォアボール。ご存じの方も多いだろうが、今年の阪神、ファアボールでの出塁が激増している。これは、「いい集団」を作ろうとしているだけでは起こらない。選手一人ひとりに、塁に出ることの重要性を説き、なんなら査定のポイントとしても重視するぞと後押しまでしておかなければ、起きることではない。中南米には「歩いて海は渡れない」という言葉がある。いくら四球を選んだところで、それではメジャーリーガーにはなれないぞ、という意味だ。日本の選手にとっても、ヒットと四球、どちらが嬉しいかは答えを聞くまでもない。
少なくとも、矢野さんにはもっと四球を獲得しよう、させようとする発想がなかったのかもしれない。
だが、岡田監督は違った。選手に指示するだけで四球と得点力が増大すると考える人間からすると、それをやらないやり方は理解不能だったかもしれない。評論家時代の岡田監督はおそろしく矢野さんに対して辛口だった印象があるが、今になってみれば、その気持ちも理解できる気がする。
おそらく、矢野さんの後を引き継ぐのが岡田監督と決まった段階で、阪神の選手の中には少なからず不安や警戒心のようなものがあったはず。坂本が提案して行なわれていたホームラン後のメダル・セレモニーは全面的に却下された。これ、「いい集団を」を作ろうとする矢野さんの意図を坂本が汲み取る形で始まったもののはずだが、新監督は「そんなものは必要ない」とばかりに切り捨てたのである。わたしが選手の立場であれば、前任者とのあまりの違いに戦慄を覚える。
メダル・セレモニーに限った話ではない。矢野体制での「当たり前」を、岡田監督は次々と否定していった。矢野さんの「当たり前」と岡田監督の「当たり前」が、目指す方向も方法もまるで違うのだから当然とはいえ、一歩間違えばチーム内から不満が噴出していてもおかしくなかった。
だが、結果がすべてを駆逐した。
なぜ矢野さんは「いい集団」を作ろうとしたか。いうまでもなく、勝つため、だった。勝てば、不満はかき消される。四球を激増させ、外野からの中継プレーの精度を磨き、加えて、昨シーズンはいなかった、あるいは戦力になっていなかった大竹と村上が大ブレークしたことで、選手たちは前任者とはまるで違った岡田監督のやり方を受け入れることができた。
加えて、岡田監督自身の“アップデート”も大きかった。
本人の内面がどうであれ、前回阪神の指揮をとった際の岡田監督は、昭和の香りを強く感じさせていた。だから、メダル・セレモニーの廃止が言われた際、「ああ、やっぱり」とわたしは思った。
ところが、いざシーズンが始まってみると、令和5年の岡田監督は明らかに前回の時とは違っていた。端的にいえば、試合中によく笑顔を見せるようになっていた。矢野さんのような自然な笑顔ではない。ちょっとぎこちない、「笑おうとして笑っている」と感じさせる類の笑顔だった。
選手たちが自分に対してどんな先入観をもっているか。間違いなく岡田監督は知っていた。前回の時と同じわけにはいかないこともわかっていた。自分の現役時代を知る、つまり無条件でリスペクトしてくれる選手が多数派だった前回と違い、岡田彰布という名前にひれ伏してくれる選手はほとんどいない。広がってしまった距離を埋めるべく、岡田監督が意識して増やしたのが試合中の笑顔だとわたしは思う。
つまり、岡田監督は評論家時代に酷評していた矢野さんからも、“アップデート”の材料を見つけていたということになる。
細部にこだわるやり方で勝つ可能性を少しでもアップさせ、なおかつ、前任者のいいところもしっかり吸収する。これ、できそうでなかなかできることではない。
そして、何より「アレ」である。
岡田監督に「言葉の力」はあまり感じない、と最初に書いた。実際、オリックス時代に指導を受けた選手から、「ぼくは嫌いじゃなかったですけど」と前置きをした上で、「何言ってるかわかんねえってキレてる先輩はいましたね」という話を聞いたこともある。おそらくは昔も今も、岡田監督は言葉の力で選手やメディア、ファンを納得させるタイプの監督ではない。
だが、「アレ」は秀逸だった。この一言を産み出したことで、岡田監督とファン、メディアの距離は一気に近づいた。昨年夏、甲子園を制した仙台育英の須江監督が残した「青春って密」という名言並の破壊力があった。もっとシュールで、もっとシンプルではあるものの、18年間焦がれ続け、しかし届かずにいた阪神ファンの気持ちを見事に撃ち抜いた。
この原稿を書いているのは8月28日。まだマジックは「21」も残っている。08年のことを思えば、まだまだ油断はできない、と言い聞かせたい自分はいる。
ただ、主力を五輪に引き抜かれ、その反動から失速していったあの年と今年とでは、余力の度合いがまるで違うとの思いもある。
何より、岡田監督自身があのときとは違う。
同じ轍を踏むことは、ないはずだ。
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