指導と熱狂!阪神タイガースを優勝に導いた岡田監督が表現した手腕
矢野前監督の後任に岡田さんが決まったと聞いたとき、正直、わたしは「よくない」と思った。岡田さんが監督としてよくない、というわけではない。ただ、順序としては相応しくないと考えていた。
前任者の矢野さんは、選手たちと対等に近い関係を築こうとした人だった。上から命じるのではなく、選手たちに考えさせる。メンバーを固定せず、誰にでもチャンスがあると選手に感じさせることで、チーム力の底上げも狙った。ざっくりした言い方をすれば、最高の集団を作ることが勝利への近道だと考えたのが、矢野さんのやり方だった。
そんなところに、どう見ても選手とフラットな関係を築こうとしているようには見えない岡田さんが後任としてやってくる。案の定、就任するや否やキャプテン制を廃止し、ホームラン後の虎メダルも禁止された。選手たちからすれば、矢野時代の当たり前がいきなり否定されたわけで、表には出さずとも、違和感を覚えている選手は少なからずいたはずである。中でも、昨年度のキャプテンであり、虎メダルの考案者でもある坂本は、強い逆風を感じていたことだろう。
しかも、理路整然と自分の考えを説明することのできる矢野さんに比べると、岡田監督の語り口には突拍子のないところがあるというか、有体に言ってしまうと何を言っているのかわからないところがあった。わかる、面白い、という人がいる一方で、オリックス時代に岡田監督の指導を受けた選手からは、「ぼくは嫌いじゃなかったですよ。ただ、何を言ってるかわからんから嫌いやっていう先輩もいましたけど」という話を聞いたこともあった。
監督とは、選手を納得させる仕事である。大切なのは理論をもっているか、ではなく、選手たちがそれを信じてくれるか、である。伝わらない理論、納得させられない采配は、ほぼほぼ無意味でしかない。
ユーモラスではあっても意味不明な物言いの少なくない岡田監督が、理路整然とした矢野さんに慣れた阪神の選手たちにすんなり受け入れらなるとは、正直、わたしには思えなかった。ゆえに、監督選びの順番としては「よくない」と思ったのだ。
だが、間違っていたのはわたしだった。
わたしは、言葉こそが選手を納得させる最大の手段だと思い込んできた。違った。選手の心を鷲掴みにする手段は他にもあった。
それが、4月2日、横浜との開幕3連戦の最終戦で出た。
4-2のリードで迎えた8回裏、阪神は2死から中野が四球で歩くと、初球に二盗を決める。横浜の投手は左のエスコバー、打席に立っていたのも左打者の島田だった。2死ランナー2塁、カウントはノーボール、1ストライクである。
すると、ここで岡田監督が動いた。島田に代えて代打原口。どれほど長いこと野球を見ている人でも、なかなか出くわしたことがないであろう、打席途中での代打策である。
原口は、エスコバーにとってこの打席2球目、自分にとっての初球をレフトスタンドにたたき込んだ。
勝利を決定づける一打に狂喜しながら、「なんじゃ、これは!」と叫ばずにはいられなかった。
試合後、岡田監督は傍から見れば奇手にしか見えない采配を「普通や」といった。あれが普通?少なくとも、わたしの中にあった岡田監督の「説得力」に対する疑念は、ほぼほぼ吹き飛んでしまった。おそらく、多くの阪神の選手もそうだったのではないか。
この監督には、自分には見えないものが見えている──選手にそう思わせてしまえば、リーダーとしてはシメたものである。よく、優勝の要因の一つとして、四球数の増加があげられているが、これとて、選手が監督の言葉に納得していなければ意味はなかった。大切なのは、岡田監督が四球の重要性を説いたことではなく、選手が納得して実践したところにあった。ひとたび振幅させてしまえれば、たとえ白米の摂取を禁じられたとしても、周囲は「はぁ?」ではなく「何か深謀遠慮があるのでは」と受け止めるものなのだ──たぶん。
というわけで、優勝の立役者が岡田監督であることには、わたしもまったく異論はない。岡田監督でなければ今回の優勝はなかった。それは断言できる。
同時に、金本時代、矢野時代がなければ、この優勝はなかったはずだ、とも思う。
必ずしも監督の本業とは言い難いドラフトの当たり外れについては、ここでは問わない。金本監督でなければ青柳、大山は阪神に入っていなかったかもしれないし、中野は、村上は、石井は、矢野監督たっての希望で獲った選手だったとも聞くが、だから金本さんは、矢野さんは素晴らしかった、などと強弁するつもりもない。
ただ、金本監督時代にFAによる補強頼りから自前の選手育成に舵を切っていなければ、あるいは矢野時代のメンバーとポジションを固定せず、チーム全体のレベルとモチベーションをあげていこうというやり方がなければ、いくら岡田監督の采配が際立っていようとも、どうしようもなかった。
星野監督にとっての野村監督以上に、岡田監督にとっての矢野監督、金本監督は重要な意味をもっていた。星野監督は就任に当たり、金本や伊良部といった超大物を獲得したが、今回、岡田監督が率いたのは、ほぼほぼ昨年と同じメンバーだった。それはつまり、星野監督が就任した時より、はるかに阪神というチームの土壌が耕されていたことを意味する。
わたしがいま一番心配なのは、岡田監督の手腕を称賛する声の中に、前任者たちを否定する意見が混じることである。なるほど、岡田監督が二遊間を固定したことで、併殺に仕留める数は明らかに増えた。これは明らかに現役時代セカンドだった岡田監督の炯眼によるものだったが、坂本という選手についての評価や見方ならば、わたしは矢野さんに軍配を上げたい。
岡田監督は、昨年まで矢野さんが認めていたグリーンライト、つまり選手が個々の判断で走ることをやめさせた。結果、チーム全体数の盗塁数は減少したが、依然としてセ・リーグ屈指の盗塁数を誇っている。これは、就任時はセ・リーグ2位だった盗塁数を、ダントツのトップに引き上げた矢野時代の遺産とも言える。数多くトライし、また失敗を重ねたがゆえに、いまの阪神の選手には、圧倒的な盗塁の経験値が備わっているからだ。
今回の優勝は、何年かに一度の大爆発でも、圧倒的な個人の能力に頼ったものでもない。85年、03年、05年と違い、衆目の一致するMVPがいないということからも、それはよくわかる。
これは見方を変えれば、今回の優勝ぐらい、再現性の高い優勝はない、ということでもある。85年のバース様のような、あるいは03年の井川、05年の今岡のような、とてつもないキャリアハイを打ち立てた選手はいない。むしろ、青柳や西勇輝は期待通りとはいかず、外国人もおしなべて不発、期待の高橋遥人にいたってはただの1イニングも投げることができなかった。
それでいながらの、ぶっちぎり。
阪神ファンはすぐに調子に乗る。自分に関して言えば、返す言葉がない。ただ、それを踏まえた上でも、今回の優勝はいままでとは違う気がする。
少なくとも、次の優勝まで18年待つ、なんてことはないはずだ。
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