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baseball2023.10.04

変革者・大谷翔平の活躍が日本とアメリカの野球文化を結ぶ

大谷翔平は凄い。とんでもない。そんなことは、耳にタコができるほど聞かされてきたし、同業者の中には、キーボードを叩きすぎて指にタコができた人がいるかもしれない。

実際、凄いしとんでもないのだから仕方がない。

というか、あまりにも大谷翔平が凄すぎるあまり、日本人、日本社会全体までとんでもないことになってきた気がする。

右肘手術のためにチームを離脱するというニュースを聞いたとき、あなたはどう思いましたか?

ガッカリした、というのであれば完全にわたしと同じである。ええ、ガッカリしましたとも。ピッチャーとしてはもう少し勝ち星を稼げただろうし、ホームランだってひょっとしたら50本の大台に乗せていたかもしれない。なのに、すべてはパー。ああガッカリ。
……あれ?

イチローがどれだけヒットを重ねても、長打力のなさを揶揄するアメリカ人はいた。内野安打が多いことに文句をつけたレジェンドもいた。日本では圧倒的な存在だったゴジラ松井も、アメリカに渡ってからは中距離打者の扱いだった。その人柄や真摯な姿勢は高く評価されたものの、日本人も含めて、ほとんど誰も松井がホームラン王になれるだなんて思ってはいなかったかもしれない。中村ノリも、筒香も、日本とは違った立ち位置でのプレーを余儀なくされた。

彼らは、2本目の刀を持っていなかった。打つことのみに専念し、打撃での結果のみを期待され、しかし、日本のようにはいかなかった。

なのに、先発ピッチャーとしてもプレーしながら、大谷は日本人初のホームラン王になった。そしてなったのに、どこかガッカリしている自分がいる。

つまり、わたしの中におけるメジャー・リーグのホームラン王は、もはや手の届かない存在でも夢物語でもなんでもなく、大谷にとっての単なる通過点の一つ、でしかなくなっていた。

とんでもないにもほどがある。

大谷が凄すぎるがゆえに、普通であればもっともっと騒がれていてもいい鈴木や吉田は、メディアからずいぶんと控えめな扱いを受けている。メジャー2年目で20本ホームランを打っても、ルーキーイヤーに首位打者争いに加わっても、それがごくごくありふれたことのように受け止めてしまっている自分もいる。

もしそんな人間がわたしだけでないとしたら、これからの日本野球は、とんでもないことになるかもしれない。

明治維新以来の舶来思考か、はたまたGHQによる占領政策の賜物なのか、少なくとも、わたしの中には確実に、すべてのジャンルにおいて欧米は凄い、かなわないというコンプレックスが内蔵されている。イチローに長打が少ないのも、松井がメジャーでホームラン王になれないのも、突き詰めて言えば「日本人だから」というのがわたしの中での答だった。

だが、この大谷を目の当たりにし、また鈴木や吉田の素晴らしい好成績でさえさしたる脚光を浴びない日常に育った日本の野球少年たちは、間違いなくわたしたちとは違った物差しを、発想形態を持つようになる。メジャーは憧れの舞台ではなく、純粋な目標となる。

昭和、平成世代がどうしても壊せなかった、ガラスの天井を持たない野球選手たちが続々と登場することになる。

凄いことは他にもある。

明治維新以降、日本という国家と民族が目指してきたものの一つに、「欧米からの評価」というものがあったようにわたしは思う。欧米のようになりたい。一等国として認められたい。明治、大正、昭和初期はもちろんのこと、わたしの生きた昭和後期や平成の時代にも、そうした空気は色濃く残っていた。

英語というものに対するとらえ方にも、その影響は現れていた。

たとえば、アメリカ人やイギリス人は日本語がしゃべれなくても、あるいはフランス語やドイツ語、スペイン語が話せなくても、そんな自分を恥じたりはしない。

だが、少なくともわたしは、恥じていた。

非英語圏の出身者であっても、日本人ほどに英語のできないことを恥ずかしがる国民はいないのでは、という気がする。わたしの師匠でもあるセルジオ越後さんは、日本人の両親から生まれ、サンパウロで育ったブラジル人だが、彼と一緒にアメリカに行った時、相当に目茶苦茶な英語で押しまくり、何とか通じさせてしまうことに面食らった記憶がある。ポルトガル語が日本語よりは英語に近いという面はあるにせよ、少なくとも彼は、自分の英語がめちゃくちゃブロークンだということに、何のコンプレックスも抱いてはいなかった。

実際、わたし自身、日本人のアスリートが海外で成功する上で必要な条件として「語学力」を挙げていたし、それはいまでも変わらない。言葉ができないことで日常生活に支障をきたすようであれば、つまり通訳が密着してくれている以外の時間に不便とストレスを感じるようであれば、それはいつか本業をも蝕んでしまうものだからだ。できないことを小馬鹿にされる環境で平常心を保っていくのは、簡単なことではない。

一節には日常会話レベルはまったく問題ない、とも言われる大谷の英語力だが、しかし、彼は未だに記者会見やインタビューには通訳を介し、日本語で自分の言葉を発信している。自分たちが外国語をしゃべれないときは平然としているくせに、英語をしゃべれない外国人には割と容赦のないアメリカのメディアだが、ここまでのところ、強い不満や怒りの声といったものは聞こえてきていない。それどころか、かつてないほどの頻度で、実況アナが中継に日本語を押しはさむケースが増えてきている。言ってみれば、英語の使い手が日本語に寄せてきているのである。

ありえない。

巨額の国費をつぎ込んで富国強兵をしたのも、「エコノミック・アニマル」と揶揄されるほど猛烈に働いたのも、わたしは、欧米に追いつき追い越したいという日本人の願望の現れだったように思う。だが、膨大や金額と時間を費やしてもなかなか動かせなかったものを、大谷翔平はたったひとりで揺るがしつつある。


アメリカの多くの野球少年にとって、世界最大のスーパースターは日本人である。ボクシングの世界王者を目指す少年がモハメド・アリに憧れたように、バスケットの頂点を志す者がマイケル・ジョーダンを神格化したように、大谷翔平という日本人を、野球というスポーツの最高の高みに奉っている。

大谷翔平は日本人を変えただけではなく、アメリカ人をも変えつつある。大谷を日本人の象徴ととらえる若いアメリカ人は、映画『ローマの休日』で短躯、眼鏡、出っ歯の観光客が日本人のステレオタイプとして描かれていることに、違和感どころか意味不明で混乱さえ覚えてしまうかもしれない。

……なんて書いていると、なんだか自分が無条件愛国主義者になってしまったように気分にもなるが、いくら大谷翔平が偉大だとしても、たったひとりで歴史と現状を塗り替えるのは不可能である。自信を持つのはいいとして、それが過信、驕りに転じがちなのは日本人の悪いくせでもある。野球選手に限らず、これから海を渡ろうとするアスリートには、できる限りその国の言語を学習しておいた方がいい、との思いは変わらない。

ただ、それにしても、凄い。

史上初めて、わたしたちは日本人だけでなく、その競技を愛するすべての国の人から頂点だと見なされる日本人がいる時代を生きている。「日本人」という部分を「アジア人」に置き換えても、文章としては完全に成立する。ヤオ・ミンだろうが、ソン・フンミンだろうが、それこそ中田英寿だろうが、ここまでの存在ではまったくなかった。

来年、大谷翔平はバッターに専念することが発表されている。ピッチャーとしての負担が減る分、トリプル・スリー+三冠王、なんて途方もないことが、来年のいまごろは手の届くところにきていたりするかもしれない。その上で、ピッチャーとして復帰する再来年シーズンにはサイ・ヤング賞を獲ったり、とか。

いやいや、妄想は膨らむ。ただ、いまわたしが彼に対して抱いている最大の妄想は、現役生活の最後でもいいから、阪神に来てくれないかなあ……ということ。長年染みついた巨人に対するコンプレックスを根こそぎ破壊するには最高の特効薬だと思うのだが、さすがに、可能性が三冠王+サイ・ヤング賞獲得よりもかなり低めだということぐらいは、わかっているつもりである。

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