今シーズンの阪神タイガース優勝への期待!新人王 村上らの活躍と成長する打撃陣
04年の阪神タイガースについての記憶が、わたしにはほとんどない。
03年のことならよく覚えている。最終盤の10試合ぐらいは、すべての仕事を放っぽり出してチームを追いかけた。優勝の瞬間は、デイゲームを終えて居残った甲子園のオーロラビジョンで観戦し、その後は在阪のテレビ局やラジオ局にお呼ばれして六甲おろしを熱唱した。特番を終えてからは、ほぼほぼ初対面の放送局のスタッフと腰が立たなくなるまで飲み明かした。細部はともかく、明け方になっても喧騒が鳴りやまなかった大阪の街や、生まれて初めて泣き上戸になってしまったことははっきりと覚えている。
だが、04年に関しては思い浮かぶ光景がない。資料を引っ張り出してくるまで、このシーズンの阪神が4位だったことさえ忘れていたぐらいである。66勝70敗2分け。前年度が前年度だっただけに怒り狂っていてもおかしくないのに、さしたるストレスを抱え込んだ記憶もない。
つまり、ことわたしに関する限り、04年のシーズンは優勝の余韻を味わい続けた期間だった。連覇という、まだ一度もなし遂げたことのなかった偉業への挑戦は、悲願でも切望でもなんでもなく、「できたらいいなあ」ぐらいの淡い期待でしかなかった。
余韻は、05年になってもまだ残っていた。
甲子園で巨人を倒すという最高の形で勝ち取った優勝だったにも関わらず、沸き上がってきた歓喜は2年前とは比べ物にならないぐらいに控えめだった。03年が「うわぁぁぁぁぁぁぁ~!」だったとしたら、05年は「あら、また勝っちゃった」だった。
ちょうどこのころ、知り合いの弁護士に頼まれていわゆる“プロ野球再編問題”に関わったこともあり、それまではほとんど縁のなかったプロ野球の選手と接する機会が増えた。阪神の選手はもちろん、親の仇のような存在だった巨人の選手とも話をするようになった。
良くも悪くも縦社会の中で生きてきたプロ野球選手は、サッカー選手に比べるとずいぶんと礼儀正しく、ちょっとしたカルチャーショックを感じたものだが、一番驚いたのは、球団によって選手の雰囲気、空気感のようなものが明らかに違うということだった。
サッカーの場合、レッズの選手だろうがガンバの選手だろうが、ほとんど違いを感じたことはなかった。職業サッカー選手。Jリーガー。以上。
ところが、プロ野球の場合、阪神の選手と巨人の選手とでは、銀行員とフリーのライターぐらい雰囲気が違っていた。
「球界の紳士?」と虫酸が走る思いだった巨人の選手たちは、誰も彼も、素晴らしく紳士だった。好感度の持てる応対をしてくれた。こちらが阪神ファンであることを告げると、「じゃあ、ぼくのこと嫌いだったんじゃないですか」と桑田真澄に苦笑されてしまったのは忘れられない。
意外なことに、こちらが阪神ファンだと聞くと表情を曇らせる、あるいは感情をシャットアウトする選手がいるのが阪神だった。
忘れられないエピソードがある。誰も乗っていないエレベーターに井川慶と乗り込んだ時のことだ。次の階で人が入ってくると、彼はさっと背を向けた。
「一度、スーパーでネギを買ってたら、覗き込んできたおばちゃんが携帯電話で“あんな、いま井川がネギ買うてるで”とか誰かに報告してることありましたから」
彼にとっての阪神ファンは、もちろんありがたい存在ではあるものの、ヘタをすると自分のテリトリーに土足で入り込んでくることもある厄介な存在、という一面も持っていた。国内FAを取得し、去就が注目されていたある阪神の選手に、酒の席で冗談まじりに「絶対に残ってくださいね」といったところ、表情が一瞬にして凍りついた、なんてこともあった。
ともあれ、阪神の選手と巨人の選手は、同じ職業であることが疑わしくなるぐらいに違っていた。まだWBCは発足しておらず、日の丸を背負って戦う舞台がいまほどには重んじられていなかったことも関係していたのかもしれない。球団が違う同士の選手が交わること、特に巨人と阪神の選手が交わることを、タブーと見なす空気も色濃く残る時代だった。
優勝に対する考え方も、まるで違った。
あくまで個人的な印象であることを申し上げておくが、わたしの出会ったほとんどの阪神の選手にとって、優勝は願望だった。だが、巨人の選手たちにとっては義務だった。すべての選手が、優勝するために自分は何をすべきかと逆算して考えているようだった。
正直、認めざるを得なかった。こちらにはないものが、あちらにはある。つまりは、勝者のメンタリティ。ニワトリが先なのかタマゴが先なのかはわからないが、つまり優勝を重ねたからそうなったのか、そうだったから優勝を重ねられたのかはともかく、どちらがレアル・マドリードでどちらがレアル・ベティスなのかは明らかだった(ちなみに、「ベティス万歳、たとえ敗れようとも」というスローガンで知られるベティスは、わたしが世界のサッカーチームの中でもっとも阪神的だと感じるチームである)。
03年に勝ち、05年にも勝った。21世紀に入ってから00年代のかなりの時期まで、阪神の勝率は巨人のそれを上回っていた。よって、21世紀は阪神の時代になると信じ、あちこちにそう書き散らかしていたわたしだったが、巨人の選手に話を聞くたび、自信は揺らいでいった。
残念ながら、揺らいでいった自信はやがて完全に折れてしまった。
だが、時代は変わった。プロ野球界もチームの枠組みを超えた交流が当たり前となり、巨人ファンだったことを公言する阪神の選手、あるいはその逆のパターンも容認されるようになった。そのチーム固有の文化、雰囲気のようなものは、混じり合うことで薄れていった。
何より、阪神ファンの気質も変わった。86年以降の暗黒時代を知る世代にとっては、優勝はもちろんのこと、優勝争いすること自体が極めて稀な事態であり、ゆえに92年の亀山・新庄ブームは異様な熱気をはらむことになったのだが、令和の若いファンにとっては、優勝はともかく、阪神が優勝争いすること自体は驚きでもなんでもない。
それは、きっと選手たちも同じだと思うのだ。
野球に限らず、いわゆるプロの選手と接して見て感じることの一つは、専門的な分野にまつわる話を除くと、その考え方、感じ方は案外ファンと変わらない、ということである。カタールのW杯でアルゼンチンがサウジアラビアに敗れたとき、日本代表選手の多くは「アルゼンチン、キツイな」と思ったという。ファンが行けると感じた時は選手もそう感じ、また、ダメだと思ったときは選手も凹んでいるものらしい。
18年ぶりのセ・リーグ制覇、さらには38年ぶり2度目の日本一と、球団史上稀に見る輝かしい1年を過ごした阪神だったが、86年や04年、06年とは違い、監督や選手の口からはっきりと連覇を意識した言葉が出ている。「アレンパ」なんて新語も誕生した。強かったころの巨人のように、義務に近い形でとらえている、とまではいかないものの、かつてないほど強い気持ちで、2年連続優勝を狙っているのは間違いない。
新人王を獲った村上や、現役ドラフトで覚醒した大竹などに、2年続けて同じような活躍ができるのか、といった不安はないわけでもない。ただ、昨年いま一つだった青柳や湯浅など、上積みが期待できる選手も少なくない。打撃陣に関しても、佐藤や森下、ノイジーにミエセスなど、印象は強くとも成績はさほどではなかった選手が多く、これまた伸びしろを期待してもよさそうな気がする。
というわけで、毎年毎年、もう30年以上言い続けてきていることであるのだけれど、今年もまた、断言させていただきたい。
24年、阪神タイガースは優勝します。
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