鈴木誠也、2年目の飛躍から3年目の挑戦へ。怪我を克服し、さらなる高みを目指せるか?
ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)という大会が生まれるまで、日本のプロ野球選手にとって、日の丸をつけてプレーすることは必ずしも人生最大の夢、というわけではなかった。
アメリカの選手、あるいはアメリカ人にとっては、いまでも同じような傾向は残っているかもしれない。少なくとも、昨年3月、決勝戦を争った両国の間には、明らかな熱量の違いがあった。
これはサッカーのW杯がかつて通ってきた道でもある。いうまでもなく、このスポーツが生まれたのはグレートブリテン島及び北部アイルランド連合王国ことイギリスということになるのだが、W杯という大会が生まれてからしばらくの間、彼らはこの新しい大会に対して冷淡な態度を取り続けていた。
わからないではない。いまよりも国境の壁がはるかに高かった時代、英国人にとってW杯、好敵手であるフランス人が勝手に始めた、本来の大会とは無関係のイベントだったと感じられていた。
それでも、21世紀の英国人にとってのW杯が、サッカーを愛する多くの国々がこの大会に抱く想いとほぼ重なりつつあることを思えば、いずれは、WBCがアメリカ人にとっても大切な大会となっていく可能性は高い。
ただ、選手にとってはそれがいいことばかりだとは限らない。
大会の価値が高くなればなるほど、選手たちが受ける精神的な重圧は大きくなる。現代サッカーの潮流を作った一人でもあるヨハン・クライフは、78年アルゼンチンW杯への出場を辞退した。4年前の西ドイツ大会の決勝で敗れた際の衝撃があまりにも大きかったこと、1カ月以上家族と離ればなれになるのが耐えられない、というのが理由だった。予選には普通に出場していただけに、オランダ国内は大変な騒ぎとなり、ついには女王までもが翻意を促すべく出馬する事態となったが、クライフの気持ちは変わらなかった。
WBCの場合、開催時期という問題もある。
本来であれば長いシーズンを戦い抜くための基礎や体力を養うはずの時期に、国民の高い関心の中、世界一をかけて戦うとなれば、選手としてはルーティンを変更せざるを得ない。しかも、心身にはいつもと違った負荷がかかる。昨年、ヤクルトの村上を始め、本来の実力を発揮できない選手がいたが、間違いなくWBCの後遺症だとわたしは見ている。
鈴木誠也の場合は、だから、幸運だったのかもしれない。
もちろん、本人はWBCに出たかっただろう。というより、大会直前のケガさえなければ、間違いなく大会には参加していた。日本代表の中軸を担ったという自信は、後の野球人生にとっての大きな財産となったかもしれない。
ただ、結果的に大会への参加がかなわなかったことで、鈴木としてはカブスでの2年目に集中しやすい環境が整った。
カブスでの1年目のシーズン、鈴木が残した成績を見てみよう。111試合に出場して、打率2割6分2厘、本塁打14本、打点は46だった。壊滅的、とまではいかないものの、5年総額8500万ドル(約130億円)を用意したカブス側の期待に応えられた、とも言い難い。全米でも屈指の熱狂ぶりで知られるカブスのファンは、ひとたび見切りをつければ容赦なく罵声を浴びせてくる。鈴木としては、かなり追い詰められた状況で迎える2年目のシーズンだった。
そして、彼は苦境を脱することに成功した。
ケガで出遅れる形にはなったものの、2年目のシーズン、鈴木は打率、本塁打、打点とすべての部門で成績を向上させた。打率は2割8分5厘、打点は74、そして本塁打は日本人の右打者としては初となる20本を記録した。
鈴木自身がWBCの出場に強い意欲を持っていたことは間違いない。その思いを皆が知っていたからこそ、大会を戦う日本のベンチには、背番号51、彼のユニフォームが飾られてもいたのだろう。
また、大谷翔平のように、WBCの疲労や達成感など微塵も感じさせないシーズンを送った選手もいないわけではない。仮に鈴木が脇腹を痛めず、当初の予定通りに大会に出場していたとしても、2シーズン目の結果に変化がなかった可能性もある。
ただ、世界一になった日本代表の選手たちが、日本球界、メジャー、どちらのリーグに所属していても、その一挙手一投足に注目が集まったのに比べると、シカゴに向けられる視線の数は明らかに少なかった。少なくとも、ボストンに渡った吉田正尚などに比べれば、メディアが鈴木を取り上げる頻度は確実に落ちた。
海外でプレーする、まだチームの中で立場を確立しきっていない日本人選手にとって、母国から大挙して訪れるメディアは、特に足かせともなりうる。チームの勝敗よりも、日本人選手の成績ばかりを追いかけ、口を開けば「日本人選手についてどう思うか」ばかり聞いてくるメディアが、日本人以外の選手から好意的に受け入れられることは難しいからだ。メジャーにせよヨーロッパ・サッカーにせよ、日本メディアとの関係を疎にすることで、自分を守ろうとした選手も少なくない。
鈴木に注目し続けた日本のメディアがなかったわけではない。だが、その人数、熱量は常識的な範囲に留まっていたはずで、妙に突出することもなかっただろう。広島時代、熱狂的なファンと、しかし巨人や阪神などに比べるとこじんまりとした記者団に囲まれてきた鈴木にとっては、比較的適応しやすい環境が整っていたといえるかもしれない。
ともあれ、2年目を飛躍のシーズンにできたことで、メジャーにおける鈴木のキャリアは上昇線に乗った感があった。
万全の態勢で迎えた3年目のシーズン、鈴木は序盤から飛ばした。開幕からの15試合で打率は3割5厘、打点は13、本塁打は3本である。これならば、どれほど辛口のカブス・ファンであっても文句のつけようがあるまい。23年も各ポジションで優秀な成績を残した打者に送られるシルバースラッガー賞を受賞しているが、今年はもっと大きなことをやってくれるのではないか。そんなことを予感させる滑り出しだった。
ところが、4月15日、カブスから思わぬニュースが発表された。
鈴木誠也、右脇腹の張りのため、10日間の負傷者リスト入り──。
強い捻り、ねじりを何回も、何百回もこなさなければならない野球選手にとって、脇腹の故障は職業病のようなものでもある。日常生活にはほとんど影響がないものの、ピッチャーにとっての肩や肘の違和感と同じで、かばっているうちにすべてが狂い始めることもありうる、相当に厄介な故障である。
WBCを欠場しなければならなくなったのも、脇腹の違和感が原因だった。
この原稿を書いている時点で、復帰のメドなどはまだ伝えられていない。箇所が箇所だけに、深刻化しないことを祈るばかりだが、しかし、鈴木にはWBC直前の“わざわい”を福に変えた経験と記憶がある。
太鼓判は、押せない。それでも、鈴木が、ファンが、笑顔でシーズンを振り返られるような半年後を、いまは祈るしかない。
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