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baseball2024.07.02

交流戦を経て浮かび上がる阪神タイガースの躍進へのヒントを考察

打てない。打てなさすぎる。毎度毎度サッカーのようなスコアの試合が続くものだから、最近では観戦する気持ちがだんだん薄れてきてしまった。開幕から9連敗を食らったときでさえこんなことはなかったのだから、自分でもビックリしている。

とはいえ、何カ月か前にこのコラムでも書いたように、これはあくまでも一過性のもの、と信じ続けているわたしである。クリーンナップを打つ3人のうち打率1割台が2人もいるとか、小学生の身長ぐらいの打率しかない選手を使い続けなければならない状況とか、さすがにシーズンを通して続くはずはない。阪神に限らず、今年はどのチームも貧打に苦しんでいる傾向があるため、ひょっとしたらずっとこうなのか……との不安がよぎらないこともないが、いまのところはまだ、黙殺できている。

ただ、不安がないわけではない。

サトテルや大山の調子がさっぱりあがってこないこととか、今年はやってくれると信じていた青柳がいま一つ調子が上がらないこととか、西純矢、どこ行っちまったんだよ、とか、超新星のはずだった門別が2軍でも苦しんでいることとか、うわ、このままだとホントに厳しいぞ、アッキャマン(秋山)、とか、そんなことではない。

岡田監督について、である。

無責任に試合を楽しむだけのわたしでさえこんなにイライラするのだから、現場で責任を持ち、メディアやファンからの重圧を浴びる監督のストレスたるや、それはもう大変なものだとは思う。

ただ、その怒りが、イライラが、身内に向けられつつあるのが心配なのだ。

交流戦最後の試合となった6月18日の日本ハム戦。タッチアップできる場面でしなかった森下。真正面に飛んでしまったセーフティ・スクイズに飛び出してしまった前川。2アウト満塁で飛び出したセンター前ヒットでホームを狙わなかった梅野。わたし自身、テレビで見ながら唖然とはしていた。

だが、責任者たる監督が、メディアに向かって選手や3塁コーチャーを責めたとなると、話は変わってくる。

責めたこと自体を批判したいわけではない。わたしが心配なのは、責められた選手が、コーチが、この先より萎縮してしまうのではないか、ということである。というか、監督からの叱責が増えたことで、選手たちが思い切った挑戦をしにくくなっているのでは、とも思う。

前任者の矢野監督は、選手の挑戦的な失敗に関しては絶対に叱責をしないスタイルだった。球界屈指の目利きである岡田監督からすれば、無用な挑戦、無謀で無意味な試みも多々あったように感じられたかもしれない。それでも、ミスが責められない雰囲気があったからこそ、矢野時代の阪神は盗塁の数で他のチームを圧倒し、積極的な走塁が根付いたのだとわたしは思っている。


これは優劣の問題ではないのだが、矢野監督のチーム作りの根幹にあったのは「いい集団を作ることが勝利につながる」という考え方であり、一方、岡田監督は「勝つことでいい集団になる」というスタイルだった。昨年の阪神は、スタートから好調だったため、チームは最初から最後まで「いい集団」でいられた。

では、勝つことで固まってきたチームが勝てなくなったとき、どんな状態に陥るのか。


ご記憶の方も多いだろうが、矢野体制の最終年、阪神は開幕から悪夢のような9連敗を喫した。矢野監督自身、この連敗には「相当メンタルをやられた」と語っているが、それでも、選手やコーチを責めるような言葉はほぼなかったと記憶している。そもそも開幕から9連敗したこと自体が矢野監督の責任──開幕前の辞任宣言であり、予祝であり──と思われる方はいらっしゃるだろうし、わたしも、そうした考えは否定しない。ただ、多くの選手に出場機会を与えることによってモチベーションの維持を図り、選手たちから出てきたアイディア、たとえばホームラン後のメダル授与などを自由にやらせた矢野体制でなければ、最終的にAクラスに滑り込むことはなかったとも思う。

繰り返すが、これは優劣の問題ではない。

ただ、岡田体制の2年目、阪神の盗塁数は著しく減少している。ファースト・ストライクを打ちにいく確率は、12球団最下位だという。偶然そうなったわけではない。無駄な盗塁死を嫌い、四球を重視するスタイルの負の側面が、顔を出してきたということである。

そんな状況で、選手やコーチの責任を問うような岡田監督の発言が目立ち始めた。

いまが正念場だと思う。

チームが上手くいっていないときは、監督はもちろん、選手だって苦しい。そして、阪神の選手の多くは、どんなに苦しくても責任は自分一人で背負い、選手たちを批判したりはしなかった監督のもとで4年間プレーしてきている。そんな選手にとって、苦しくなると選手批判をする監督がどのように映るか。

心配である。

いまはまだ、選手たちにも昨年の記憶が色濃く残っている。魔術のような采配で勝利をつかんだことも、苦境を脱したことも、みんなが覚えている。監督のいらだちが自分に向けられることがあっても、いまはまだ「仕方がない」と思えている段階だろう。

だが、何事にも限界はある。

このままスカッとしない試合が続き、監督のいらだちがさらに募るようだと、反論が許されない側の不満は溜まっていく。悪いのは自分たちばかりで、監督の責任はまったくないのか。そんなマグマが溜まっていく。

ニワトリか卵か、ではないが、だから、阪神としては勝つしかない。

それも、ただ勝つだけではいけない。打線が爆発し、かつ、選手たちが「ああ、やっぱウチの監督ってすげえな」と実感できるような勝ち方がほしい。

幸い、これだけ深刻な打線の不調にも関わらず、チームは依然として優勝を狙える位置につけている。矢野時代の遺産も、昨年優勝の自信も、まだ十分に残されている。

なので、苦境を脱する一番簡単で効果的なやり方は、岡田監督が前任者のスタイルにちょっと寄せる、ということかもしれない。

選手やコーチに苛立ちをぶつけてしまった事実はもう消えない。しかし、岡田監督が、褒めるスタイルに転じたときのインパクトは逆に大きい。特にサトテルのような選手は、ため息をつかれればつかれるほど落ち込み、褒められれば褒められるほどノッていきそうな気もする。いかに選手を気持ちよくプレーさせるかは、野球に限らず、ほとんどの団体球技について当てはまることであり、ここは、岡田監督がほとんど手をつけてこなかったジャンルでもある。

それだけに、怖い怖いと思っていた先生にお褒めの言葉をいただいた学生よろしく、効果は絶大ではないか、と思うのだ。

ま、誰か一人、打線の中で大爆発する選手が出てくれば、すぐに誘発が起こりそうで、それが一番手っとり早いのかなと思ったりもする。誰か、打ってくれよ、頼むから。

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