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baseball2024.09.02

苦境を超えて、阪神タイガースとファンの変革に期待するペナントレース終盤の逆襲

こういうトコなんだろうなあ。阪神ファン、というか、自分のイカンところって。

そんな思いに苛まれつつ迎える8月の下旬である。

この原稿を書いている8月26日現在で、首位広島と阪神の差は4ゲーム。残り試合を考えると、なかなかしんどい数字ではあるものの、かといって諦めてしまうほどのものでもない。直接対決3連戦の結果如何では一気に肉薄することもありうるし、次の直接対決は9月12日からの甲子園。広島はこの前に巨人との3連戦が組まれており、彼らにとっては胸突き八丁の天王山、ということにもなる。巨人戦で勝ち越せれば安堵が、負け越すようなことがあれば焦燥が募ること間違いなしで、阪神ファンとしての都合のいい皮算用を弾かせてもらえば、広島にとって、どう転んでも甲子園での戦いは難しいものになる気がする。

というわけで、冷静に考えてみればまだまだチャンスは残っている阪神なのだが、自分の何がイカンのかと言えば、今月に入り、いったい何度、“アレンパ”を諦めただろうということなのだ。

7月下旬、甲子園で巨人に3タテを食らわした時点では、ほとんど優勝はもらったような気分になっていた。どん底だった打線は活気を取り戻し、投手陣は依然として安定感を保っている。もう大丈夫。前半戦に雨でずいぶんと試合を流してしまっている広島は、最終盤にかけて日程がめちゃくちゃハードになってくるし、巨人とは五分でいければいい。あとは、下位のチームへの取りこぼしをできるだけ減らしていけば、ロードを終えて甲子園に帰ってくるころにはゴールテープも見えてくるはず──本気でそう思っていた。

にも関わらず、ヤクルトに負け越して怪しくなり、広島に負け越していよいよ不穏、さらには巨人にも負け越し、3カード連続で負け越しを喫してしまうと、わたしの中の“悲観スイッチ”がバッチィーンと入ってしまった。怒りというか憤慨というか、表に出して誰かのプラスになることはまずない感情が、わたしの中では渦巻きまくっていた。

イカンよなあ。

ここ数年の夏の高校野球、一昨年の仙台育英、去年の慶応、今年の大社などを見ていても痛感するのだが、ファンの熱烈な後押し、勝て、勝て、勝ってくれと念じる思いの強さは、数値化できないアドバンテージをチームにもたらすことがある。去年の阪神もそうだった。たまりにたまった怨念がすべてプラスの方向に向かい、ときに神がかり的な勝利をチームにもたらした。

だが、阪神ファンの、というか、わたし個人の熱情は、いとも簡単に暗転する。もちろん、贔屓のチームが負けて気分のいいファンなど世界中どこを探したってそういるものではないが、じゃあ勝つためにどうするかを考えるのではなく、チームの誰か、あるいはチームそのものを攻撃したくなってしまう衝動がわたしの中にはある。

苦しい状況にあって、ファンから全面否定を喰らいまくるチームと、懸命に建設的なアイディアを出すファン、あるいは冷笑的ではあっても静かに見守るファンが多いチームとでは、いったいどちらの方が、長期的に見れば結果を残せるだろうか。

12球団随一の球場を持ち、12球団どころか世界でも屈指の観客動員力を誇り、世界的に見ても突出した熱狂的なファンを持ちながら、たった2度しか日本一になれていない阪神。巨人に次ぐ歴史を持つ球団でありながら、優勝回数ではヤクルトや広島、中日にも及ばない阪神。昨年までは、プロ野球12球団の中で楽天と並んでもっとも日本一回数が少なかった阪神──。

すべての事象には、すべからく理由が存在するはずで、岡田監督に噛みつきたがっているわたしは、気づいてしまったのだ。

こういう俺が、いかん。

なぜこの時期、何ら建設的な意味を持たない監督批判をしたがっているのかと言えば、結局のところ、わたしが優勝を諦めてしまっているからである。なので、やれ監督がけしからんだの、選手がどうだのと、現在進行形のものを過去完了かのように論じてしまう。もしそんな人間が多数派なのだとしたら、つまりシーズン中にチームを後押ししようというのではなく、むしろ足を引っ張りかねない人間が多数派なのだとしたら、なかなかに、というか相当に結果を出し続けるのは難しい。

かくしてたどりついた自分なりの結論。

だから、阪神は勝てなかった、のかもしれない。

残念ながら、というか当然ながら、自分の性格は簡単には変えられない。きっと、ファンの気質もなかなか変わらない。ただ、ニワトリかタマゴかではないが、阪神ファンとしてのわたしがこんな人間になってしまったのには、わたしのパーソナルな問題だけではなく、阪神自体にも理由があるはずで、その理由を探してみて、またまた自分なりに思い当たることがあった。

奇跡の逆転を、見たことがない。

よっしゃ、今年はもらった……という状況からまさかまさかの大逆転を食らった経験ならば何度かある。“亀新フィーバー”の92年とか、大阪ABCが優勝“予祝”特番を作って、結果的に「おまえらのせいや」と袋叩きにあった21年とか。なので、どんなにリードしても油断だけは絶対にしない資質に関して、阪神ファンはなかなかのものを持っているはずである。

だが、悲しいかなやられる経験ばかりで、やった経験、やった記憶がないファンは、ちょこっと離されただけですぐに「もう無理」と白旗をあげてしまう。諦めずににじりよろうとするよりは、今シーズンのダメだったところをあげつらい始めてしまう。

少なくとも、わたしはそういう人間だ。


そう考えると、8月に入って失速気味になり、何度も諦めかけながら、依然として優勝の可能性が消えたわけではない今年は、阪神ファンの、というかわたしの気質を、人間性を揺り動かす好機なのかもしれない。

03年はぶっちぎりだった。05年は中日に迫られた場面はあったものの、最終的には10ゲーム差をつけての優勝だった。もし今年、逆転で連覇を達成するようなことになれば、阪神ファンは、わたしは、最終コーナーを回ってからの直線で差しきるという、およそ阪神らしからぬ勝ち方を目撃することになる。

もしそんなことになれば、来年のわたしは、いまよりは少しだけ、逆境に強い阪神ファンになれるかもしれない。苦しい状況でチームや監督にかみつくのではなく、もう少し鷹揚に構えていられるようになるかもしれない。そうなれば、選手はいまよりは無用な重圧にさらされることもなくなり、ヤクルトぐらいのペースで優勝できるようになるかもしれない。

球場に、人気に、資金力に見合った成績を残せるチームに変われるかもしれない。

なので、いま、わたしは懸命に自分に言い聞かせている。

今年は、阪神タイガースにとって歴史的な分水嶺のシーズンとなった。勝つことで未来を変えられるシーズンとなった。

誰かを批判してる場合ちゃうぞ、と。

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