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baseball2024.12.31

【2024年の日本野球界を総括】大谷翔平とNPBの未来、野球大国への挑戦

神戸に住んでいた頃は、そこはかとなく、というか、うっすらと巨人が好きだった小学生が、横浜に引っ越してからは熱烈な阪神ファンに転じたのは、周りに誰も、阪神に興味をもっている友達がいなかったからだった。サッカーにどっぷりハマったのも、この競技が世界的な人気スポーツであるにも関わらず、日本ではドがつくほどのマイナー・スポーツだったからだった。

というわけで、根がヒネくれているというか、どこかの段階でヘソが曲がってしまったわたしは、基本、誰か、あるいは何かに注目が集まれば集まるほど、そっぽを向きたくなる性分である。

ただ、そんなわたしであっても、ここ数年の大谷翔平からはさすがに目が離せずにいる。これはもう、さすがに無理。100年に一度、いや、ひょっとしたら未来永劫起こり得ないようなことが野球界の最高峰で起きていて、しかも、主人公は日本人なのだ。サッカーにたとえていうと、ペレが、クライフが、マラドーナが実は全部日本人でした、というぐらい、とんでもないことなのだ。アメリカの野球ファンがいまだベーブ・ルースの名前を忘れないように、この競技が続く限り、大谷翔平という名はさん然と輝き続ける。伝説も伝説、とてつもない超弩級の伝説が刻まれていく瞬間に、わたしたちは立ち会っている。

しらんぷりなんぞ、できるわけがない。


もっとも、大谷翔平の凄さ、偉大さ、稀少さ……などなどについては、すでに多くのメディア、識者、ファンが語り尽くした感があるし、わたし自身、何回かこのコラムでも触れてはきた。なので、へそ曲がりでありながら大谷翔平から目を離せなくなってしまった人間としては、ちょっと変化球なテーマで書いてみたい。

日本プロ野球の芯の強さについて、である。

野茂英雄が道を切り開いて以降、数多の日本人選手がメジャーへと渡った。おそらく、この流れは拡大の一途をたどるだろう。いまはまだ少数派の、日本のプロ野球を経ずして直接アメリカに渡る選手も増えてくるはずだ。

野球大好きなわたしの友人の中には、中学卒業と同時に息子をアメリカに野球留学させた男がいて、その息子はいまアメリカの大学でプレーしている。仮にアメリカのドラフトにかからなかったとしても、スポーツ界で生きていくには十分な語学力と人脈が入るというこのやり方は、今後、じわじわと増えていく可能性もある。

懸念されるのは、日本プロ野球の空洞化である。

同様の懸念は、Jリーグについても言われている。選手がより高いレベルでのプレーを望むのは当然だし、なにより、成功した際の対価がまるで違う。冗談ではなく、ケタがひとつ、いや、ふたつ違うのだ。よほどの信念なり事情がない限り、海の向こうに待っている魅力に抗うことは難しい。

だが、大谷を始めとする日本最高級の才能を手放し、かつ、日本シリーズの生中継にワールドシリーズの録画をぶつけるテレビ局が現れてもなお、NPBの人気に陰りは見えない。リーグを制した上での日本一でもなく、かつ日本シリーズ終了からずいぶんと時間が経ってから実施されたベイスターズの優勝パレードには、30万人を超える観衆が集まったという。

まだまだ日本のプロ野球は大丈夫だな、というのが個人的な感想である。

これはもう、純粋に蓄積してきた歴史の差、というしかない。

ヨーロッパに選手を引き抜きまくられているという点に関しては、南米のサッカー界も日本と同様、いや、それ以上である。にも関わらず、ボカ対リーベルは依然として世界屈指の熱気を保ち続けているし、サンパウロとリオのライバル関係はまったく薄れてはいない。主力がいなくなったからといって、チームに関心を失うファンが激増することもない。

それはつまり、アルゼンチンやブラジルにおけるクラブ・チームの歴史が、1世紀を超えているからでもある。ファンは、誰か特定の選手に惹かれるのではなく、ユニフォームを愛している。スーパースターがいるから好き、ではなく、ボカだから、フラメンゴだから好きなのだ。

もちろん、Jリーグにも同様の雰囲気、空気は育ってきている。ただ、リーグの創設から選手を輸出する側に転じるまでの時間が、日本の場合は世界的に見ても例を見ないほどに短かった。なおかつ、この国でもっとも人気のあるチームは依然としてナショナル・チームであり、4年に一度だけ、サッカーに対する国民的関心が高まるというサイクルを繰り返している。

WBCで優勝した際の盛り上がりは凄かった。国内組だけで構成されたプレミア12もそれなりの関心を集めてはいた。ただ、これらの大会はあくまでも“ボーナス・ステージ”というか、非日常的なおまけの大会であり、仮にWBCで惨敗したから、あるいはプレミア12がまったく盛り上がらなかったから、じゃあ阪神の応援をやめる、というファンはほぼいないだろう。少なくとも、わたしはやめない。阪神を応援するのと、メジャーリーグを見ること、WBCで日本を応援するのは、まったくの別物だからである。

ただ、このままの状態が100年続いたらどうなるか、と考えてみると、さすがに楽観ばかりもしてはいられない。野球は好き。でも、日本のプロ野球には興味がない──そんな子どもたちが多数派にならないと、誰が言い切れるだろうか。

なすべきことははっきりしている。舞台と報酬を、競争力のあるレベルにまで磨き上げるしかない。

わたしは、甲子園球場は世界でも極めて特別な球場のひとつだと信じている。長い高校野球によって積み重ねられた数々の伝説や、阪神を支えるファンの熱狂は、世界の野球界はおろか、プレミアやリーガの人気チームにもまったくヒケをとってはいない。

ではなぜ、甲子園は特別なのか。設計の段階で目指したのが「東洋一の野球場」だったからだとわたしは思う。つまり、まずは形状の魅力があり、そこに後天的な物語が乗っかった。ゆえの、特別。

そういう意味では、野球にしてもサッカーにしても、日本社会はスタジアム建設の際に志を持たないものがあまりにも多かった。ドームがはやればドームをつくり、どこかのスタジアムが人気だと聞けばそれを模倣する。どこにでもあるようなスタジアム、どこかを真似たようなスタジアムが、どうやって選手たちにとって憧れの舞台たりえるのか。

幸い、近年では少しずつ、この国にも魅力的なスタジアムが増えつつある。本音を言えば、日本国内だけでなく、世界中から観光客が足を運ぶような、あるいは大谷翔平が「ここでプレーしたい」と思ってくれるようなスタジアムがあちこちにあるのが理想なのだが、ともあれ、世界のどこに出してもおかしくないものが増えてきた。

となれば、残るは選手のギャランティである。ハリウッドが世界中の映画関係者からの憧れであり続けたのは、そこに関係し、成功することによってえられる収益が圧倒的だったから、でもある。日本では1億、2億のギャランティだった選手が、海を渡っただけで10億、100億、ついには1000億にまでなってしまうという状況は、なんとかしていかなければならない。

幸い、DeNAの南場オーナーのように、日米の収入格差を憂慮し、なんとかするべきだと声をあげる人も出てきた。そうなのだ、日米の人口、経済力、野球の人気、いろいろな条件を勘案しても、現状の格差はあまりにもひどい。そして、この格差を縮めることができれば、それはサッカーにとっても福音たりえる。

想像していただきたい。野球界はアメリカの経済力と勝負しなければならないが、サッカーが挑むのはイングランド、ドイツ、スペイン、フランス──依然として、経済力の面では対等か、あるいは日本より明らかに下の国ばかりだからである。

サッカーも野球も、どちらも世界一に君臨しつづける唯一の国を夢見る人間の一人として、大谷翔平を輩出した母体でもあるNPB、ひいては日本球界の今後は大いに気になる。その選択と行く末は、日本サッカー界にとっても極めて示唆に富んだものになるはず、だからだ。

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