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football2020.05.13

『冨安健洋のプレーには中田英寿も満足するのではないだろうか』

ゴール前での決定的な場面が訪れた場合、あなたはどこを見るだろうか。

大抵の人は、シューターに目を惹きつけられる。ディフェンダーがどう対応するかに注目する人は少ないし、直接に対応する以前にどう動いていたかを見ていた人はもっと少ない。メッシがシュートを打とうとしている時に、そこから視線と意識を引き剥がそうとするのは誰にとっても難しいことだ。

ゆえに、ディフェンダーの能力を評価するのは、長くサッカーを見てきた人間にとっても簡単なことではない。ヨーロッパ中の目利きとされるジャーナリストによって決定されるバロンドールでさえ、選ばれるのはほとんどがアタックに関わる選手である。

さらに付け加えるならば、ディフェンダー、特に中央部を任される選手は、監督によって仕事や求められるものも変わる。かつて、トルシエ監督はフィード能力やライン・コントロールの巧みさなどからガンバ大阪の宮本を重用したが、ドイツ人のリトバルスキーは「まったく理解できない」と激しく批判した。1対1の強さにまず重きを置くドイツの守り方からすると、小柄でしかも駿足でもない宮本は、絶対に最終ラインの中央部にはおかないタイプの選手だったからである。

もちろん、トルシエの側から見れば、頭脳よりも体格を重視するドイツ人の感覚は噴飯もの、ということになる(ちなみに彼はワインであってもメイド・イン・ジャーマニーは拒否するほどのドイツ嫌いだった)。マラドーナは、メッシは、ドイツ人から見てもフランス人から見てもメッシでありマラドーナだが、話がセンターバックになると、正反対ともいえる見方が両立してしまうのである。

だが、ごく稀に、本当にごく稀に、ドイツ人が見てもフランス人が見ても素晴らしいセンターバックが現れることもある。20世紀でいえばベッケンバウアーやバレージだろうし、21世紀でいうとカンナバーロあたりの名があげられる。そして、個人名ではなく、どこの国が優れたディフェンダーの産出国かということになれば、これはもう、世界中の意見が一致することだろう。

それはイタリアである、と。

なぜイタリアなのか、ということを語りだしてしまうと単行本1冊分あっても足りないが、個人的には、この国の人たちのDNAに刷り込まれた「最少の労力で最大の効果を」という国民性が関係しているのでは、と思っている。

生真面目で、かつ体格に恵まれたドイツ人は、相手の攻撃を真っ向から受け止めた上で攻撃に転じようとする。だが、21世紀の戦術が証明しているように、攻撃における最大の好機とは、相手のボールを奪った直後にある。思うに、そのことに世界でもっとも早く気付いたのがイタリア人たちではなかったか。

奪ってから攻撃への時間を短くするために、イタリアでは迎撃する守りと並行して、相手のパスを盗むスタイルも発展した。つまり、相手にボールが渡ってから対峙するのではなく、その前に奪い取ってしまうというインターセプトに重きを置くスタイルである。

ちなみに、イタリアの守り方について、極めて明解にわたしに教えてくれたのは中田英寿だった。そして、彼は日本代表でプレーするたび、ドイツ式というか、相手がボールを持ってから対応しようとする選手の多いことに苛立っていた。

指導者、選手ともにドイツやブラジルからの輸入が多く、イタリアのテイストをほとんど持ち込んでこなかった当時の日本からすると、中田の嘆きは至極もっともだった。だが、そんな彼であっても、冨安健洋のプレーには満足するのでは、という気がする。

そもそも、いま冨安がプレーしているのはセリエAである。紛れもなく世界最高峰だった時代に比べれば名声に陰りが見られるとはいえ、守備の伝統や、目利きの多さでいえば依然として世界最高、それもブッちぎりでナンバーワンの国である。

彼は、そんな国でレギュラーとして活躍している。それも、本来のセンターバックのポジションだけでなく、サイドバックとしても高い評価を受けている。2つのポジションでは求められるものがまったく違うことを考えると、これは驚くべきことと言っていい。

冨安には、ドイツ人にも負けない強さがある。イタリア人にも負けない、ボールを相手の前で奪う感覚と嗅覚がある。ミッドフィールダーとしてもプレーできるだけの、視野の広さとテクニックがある。

しかも、彼はまだ21歳である。サッカー選手において、21歳は必ずしも若いとはいえない年齢だが、ことセンターバックとなれば話は違う。伸びしろはまだたっぷりと残されている。

サッカー選手の未来ぐらい不確かなものはない。それでも、ここ数年の冨安のプレーぶりから、わたしは、今後10年間、日本代表はセンターバックの悩みから解放されるのではないかと思っている。

日本代表期待の若手、といえば、いまは多くの人が久保建英の存在を思い浮かべることだろう。それを否定するつもりはまったくないが、世界中にその名を馳せる日は、あるいはメガ・クラブの中心選手として活躍する日は、たぶん、冨安の方が早い。

間違いなく、彼はワールドクラスに手の届く存在である。

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