W杯後の三笘薫は、自信を感じると同時に安息してはいけない気迫を強く感じる
イーゴリ・ベラノフという名前をご存じだろうか。
ウクライナ生まれの62歳。いまは銃をもってロシア軍と戦っている。昨年から「キーウ」という表記で統一されたウクライナの首都が、かつては「キエフ」の名で知られていたように、現役時代の彼は「イゴール」と呼ばれていた。
彼はミシェル・プラティニの次で、ルート・フリットの前だった。つまり、86年度のバロンドール受賞者だった。
ただし、受賞が発表された時、英国のメディアは激怒した。なぜか。英国人からすれば、この年のメキシコW杯で得点王を獲得したガリー・リネカーこそが大本命であり、対抗馬は同じくメキシコW杯で20年ぶりの1試合4得点を達成したスペインのエミリオ・ブトラゲーニョであると見られていたからである。
なのに、ベラノフ?
主催者によれば、所属チームだったディナモ・キエフでの欧州タイトル獲得、欧州選手権予選でソ連がフランスを倒したこと、さらにメキシコW杯でのハットトリックなどが理由だそうだが、おそらく、ウクライナ人を除くほとんどのサッカーファンが、呆気にとられたのではなかったか。
後に「史上もっとも影の薄いバロンドール」とも呼ばれるようになったベラノフだが、それでも、バロンドールはバロンドールである。いわゆるペレストロイカでソ連選手の海外移籍が認められるようになると、早速獲得に動いたチームがあった。
わたしが愛してやまない、ボルシア・メンヘングラッドバッハである。
だが、というべきか、はたまた案の定、というべきなのか、ベラノフはまったくといっていいほど活躍できないまま、あっさりと2部のブラウンシュバイクに放出された。
バロンドールに値するかどうかはともかく、ベラノフが悪い選手でなかったことは間違いない。わたし自身、メキシコW杯での彼のハットトリックは現場で目撃しているし、「瞬間的な速さはあるアタッカーだな」という印象があった。
ただ、FWとは試合で使ってもらってなんぼ、のポジションでもある。
メキシコW杯でのベラノフは、後にガンバ大阪でもプレーすることになる司令塔、セルゲイ・アレイニコフが繰り出すパスに合わせて飛び出す役回りだった。両者のタイプを考えた場合、出す側にとっても出される側にとっても、理想的とも言える関係だった。
だが、グラッドバッハにアレイニコフはいなかった。さらにいうなら、轍のカーテンの向こう側からやってきた、物議を醸したバロンドール受賞者に対する懐疑的な目もあった。言葉の壁もあった。おまけに、グラッドバッハというチーム自体が、斜陽の時代に突入しつつあった。
成功できるはずが、なかったのだ。
さて、なぜこんなにもこのウクライナ人選手のためにこんなにも字数を使ったのか、と疑問に思われる方がいらっしゃるかもしれない。
グラッドバッハでベラノフが直面したすべてのマイナスをプラスに変換すれば、ブライトンでの三笘になる、と思ったからである。
W杯で名をあげた、という点において、ベラノフと三笘は共通している。曲がりなりにもバロンドールを獲得した分、名声と立場においてはベラノフの方が上回っているかもしれない。
だが、グラッドバッハのベラノフがさらされた猜疑の目が、ブライトンでの三笘にはない。いや、入団直後はあったのだろうが、W杯から戻ってきた三笘を見る目は、以前とは完全に違っていた。
ボールを持ったブライトンの選手たちは、常に左サイドの三笘を意識のどこかにおいてプレーするようになっていた。
こうなると、使ってもらってなんぼ、どころの騒ぎではない。多くの選手が三笘の突破をチームにとってのストロング・ポイントと認識した以上、三笘は使ってもらうために不得意な状況に身を落とす必要がなくなった。自分がやりやすい、一番得意な形をイメージして待っていれば、そこにボールが回ってくる。リバプールを3-0で粉砕した1月14日のゲームなどは、その最たる例と言っていい。
何より、当の本人が自信に溢れている。
以前、F1ドライバーのジェンソン・バトンに聞いたことがあるのだが、ドライバーの視野を狭くするのは「スピード」と「プレッシャー」だという。おそらく、これはサッカーも変わらない。どちらも、克服するためにはある程度の経験が必要になってくる。
これは本人に聞いてみなければわからないが、今の三笘は、数年前、いや、半年前よりも1秒を長く感じるようになっているのではないか。1秒間にできることが「5」だったのが半年前だったとしたら、いまは「7」から「8」ぐらいできるような感覚になっているのではないか。そうとしか思えないぐらい、W杯以降の三笘は余裕をもって相手DFと対峙している。
だから、抜ける。抜けるから信頼が増し、信頼が増すからより頻繁に好機が回ってくるようになる。
過去、W杯での活躍を機にステップアップの移籍を果たした日本人選手なら何人もいた。だが、三笘のように、W杯をきっかけに所属チームでのプレーぶりが激変した選手となると、ちょっと記憶にない。
これは日本人選手に限った話ではない。ベラノフの例を出すまでもなく、W杯での活躍が人生のピークだった選手は数あれど、そこから急上昇のカーブを描いた選手となると、そうそういるものではない。
しかも、どうやら急上昇しているのは三笘だけではない。スペインのギプスコア県では、久保建英がいよいよ凄みを増してきている。サンセバスチャンの人々にとって、同じバスク地方のエリートを自認するアスレティック・ビルバオを粉砕した一戦における大活躍は、長く記憶されていくことになるだろう。
我が身に置き換えて、この喜ばしい現象の理由を考えてみる。
人生最高のプレーをした。チームとしての出来も最高だった。あれ以上のことはもうできないぐらいの大会だった。それでも、勝てなかった。
一度もフル出場できなかった。チームとして物足りないところも多かった。「もっとできたはず」という思いが募った大会だった。そして、勝てなかった。
さて、どちらの方が飢えた状態でいられるだろうか。周囲から「もっと頑張れ」と声をかけられた時、どちらが無条件で「もちろん!」と答えられるだろうか。
わたしだったら、後者である。
リーグ戦再開後の三笘を見ても、久保を見ても、これまで以上の余裕を感じると同時に、ある種の危機感というか、このままではいけない、ここで安息してはいけないという気迫のようなものを強く感じる。
チームの中の一人、ではなく、チームを引っ張る中心人物として自分を捉えているような気がする。
三笘の所属するブライトンは、ローマやミランのようなビッグクラブではない。今シーズンのチーム予算でいうと、プレミアリーグで下から3番目だとされている。ラ・レアルことレアル・ソシエダも、リーガのタイトルを狙えるような立場ではない。
だが、下手をすれば降格争いをしても不思議ではなかったチームが、いまはヨーロッパ・カップ出場権を狙える位置につけている。そして、躍進の原動力として、間違いなく日本人選手の力が関係している。
ひょっとすると、歴史が動くかもしれない。
中田英寿でさえ、本田圭佑でさえ、ローマでは、ミランでは、チームの中の一人だった。本人の自覚をともかく、彼らをチームの中心と見る地元ファンやメディアはほぼ存在しなかった。
いままで存在しなかった、ビッグクラブにおける日本人選手の立ち位置を、もうすぐ、わたしたちは目撃できるかもしれない。
グラッドバッハでまったく活躍できなかったイゴール・ベラノフは、しかし、バロンドール受賞者だった。いまの三笘は、久保は、グラッドバッハのベラノフなど問題にならないぐらいに素晴らしい。
パウロ・フットレ。サルバトーレ・スキラッチ。フェルナンド・トーレス。そして、アンドレス・イニエスタ。
Jリーグでもプレーしたこの4人は、いずれも、バロンドール3位以内にノミネートされた経験がある。イニエスタは遠い。だが、フットレならば、スキラッチならば、いまの三笘が十分にキャッチアップできる距離ではないか、という気がわたしにはしている。