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other2018.11.28

山本美憂(格闘家)インタビュー『40歳を越えても衰えを感じず、走り続けられる理由』

総合格闘技の舞台で戦う元レスリングの日本女王、山本美憂は、40歳を超えても体力面を含めた、進化の道を歩んでいる。年齢の垣根を越えても、第一戦で活躍するのは目が眩むほどに途方もない偉業だ。数々のスポーツノンフィクションを世に送り出したスポーツライターの金子達仁が、ランニング、トレーニングの話を軸に格闘家としての流儀など、山本美憂の秘めた思いに迫った。そしてアスリートの年齢による衰えに立ち向かった象徴とも言えるジョージ・フォアマンのエピソードも含む、アスリートの挑戦にフォーカスした内容をお届けする。

 

 トレーニングや栄養に関する知識が高まったこともあり、アスリートの選手寿命は確実に伸びてきている。

 昭和の時代、ほとんどのスポーツで30代半ばは「大ベテラン」だった。動きからはしなやかさが失われ、瞬発力、持久力の衰えは誰の目にも明らかだった。

 野球、サッカーにしろ、そうした選手の出番は彼らの持つ唯一にして最大のアドバンテージを発揮できる場、つまりは終盤の一局面に限られた。

 老兵は死なず。ただ消え去るのみ──ダグラス・マッカーサーによって知られることになったこの名言は、金言であり続けている。

 だが、ほとんどのアスリートが年齢による衰えを必然として受け入れていく中、敢然と常識に立ち向かったアスリートもいなかったわけではない。

 ジョージ・フォアマンは、その象徴とも言える人物である。

「象をも倒す」と称された強打を武器に24歳でボクシング・ヘビー級の世界チャンピオンになったフォアマンは、モハメド・アリに衝撃的なKO負けを喫したことで人生の歯車を狂わせ、28歳という若さでボクシング界に別れを告げてしまう。

 引退後は牧師に転じ、神とともに生きる道を選択した元世界チャンピオンだったが、離婚による慰謝料の支払いや知人の裏切りなどにより、経済的な苦境と直面する。自らが開設した教会の運営維持費にも事欠くようになった彼は、かつて自分が大金を稼いだ世界への復帰を決意した。

 38歳での現役復帰は、挑戦すること、新しいことを愛して止まないアメリカの人々にとっても、荒唐無稽にすぎたらしい。フォアマンの体型が20代の頃とは比較にならないぐらい肥満していたこともあって、そのカムバックは嘲笑の的となった。

 だが、フォアマンは諦めなかった。カムバックから4年後には当時最強と言われたイベンダー・ホリフィールドに挑戦し、敗れはしたもののフルラウンドの壮絶な撃ち合いを演じて見せる。

そして、嘲笑を称賛に変えるターニング・ポイントともなったこの試合のあと、フォアマンは試合内容以上に人々の記憶に残る一言を発した。

 「老いは恥ではない」

 長いスポーツの歴史において、老いは恥であると断じた人間はおそらくいない。だが、多くの人が、見すぼらしさや情けなさを老いたスポーツ選手に見出していたのも事実である。フォアマンの言葉は、人々の心根の奥深いところに巣くった感情に対する、強烈な一撃となった。

 ホリフィールド戦の敗北からさらに3年後、45歳になったフォアマンは27歳の王者マイケル・モーラーから挑戦者として指名され、終始劣勢を強いられたものの、終盤、狙い済ました右ストレート一発で無敗の王者をマットに沈める。モハメド・アリに敗れて世紀の番狂わせの敗者となった男が、今度は人類史上に残る番狂わせの勝者となったのである。

 以来、世界のスポーツ界では従来であれば引退が常識とされる年齢を越えても、現役を続ける選手がずいぶんと増えた。

 日本でも、50歳を越えてなお現役を続けるキング・カズこと三浦知良や、40代後半まで世界ツアーで戦った伊達公子の存在がある。かつては超ベテランの扱いを受けた30代後半の選手などは、まだまだ元気一杯である。

 ただ、スポーツにおける年齢の問題に革命的な意識転換をもたらしたとされるフォアマンでさえ、言わなかったこと、証明できなかったことがある。

 老いは恥ではないが、しかし、美徳でもなかった。

 確かに彼は45歳で世界王者に返り咲いた。とはいえ、「象をも倒す」と恐れられた全盛期に比べれば、明らかに力は落ちていた。

 それはフォアマンだけでなく、ほぼすべてのベテラン・アスリートについても当てはまる。40歳を越えてもなお第一戦で活躍するのは目が眩むほどに途方もない偉業だが、純粋にアスリートとして比較した場合、いまのカズや伊達公子より、20代のカズや伊達公子の方が上と見るのはごく当然のことである。

 だが、物事には例外もある。

 40歳を越えてなお、総合格闘技の舞台で戦い、かつ、明らかに1年前、あるいは2年前よりも成長した姿を見せている元レスリングの日本女王、山本美憂は、極めつけの例外の一人である。

 

 体力の衰えを感じるかと問われ、思わず色をなしてしまう選手には会ったことがある。ベテランと言われる領域にある選手に話を聞く場合、年齢や衰えについての質問は相当にデリケートな部類に入る。

 山本美憂は違った。

 「よく聞かれるんですけど、わたしの場合、本当にまだ衰えを感じないんですよ。フルラウンドやるんだったら絶対にわたしの方が相手よりスタミナあるって自信はあるし、どこかが痛くて動けないってこともないし」

 見事なまでにあっけらかんとした物言いは、彼女が本当に加齢による試練とは無縁であることを物語っていた。

 もっとも、トレーニングに対する考え方は、昔とは違ってきているという。

 「体力をつけるためにはやっぱり走るしかないんですけど、若いころは、走るというより走らされているって感じだったかな。正直、いまも走るのはあんまり好きじゃないんですけど、わたしの場合、常に動き続けるファイトスタイルなので、走らないわけにはいかないですね」

 肉体のすべてを武器とし、また防具としなければならない総合格闘技は、ありとあらゆる種類の体力が要求される。瞬発力だけならば怪物クラスといわれる相撲取りが総合格闘技の世界でいま一つ輝くことができないのは、持久力系のトレーニングを苦手とする者がほとんどだから、でもある。

 だが、レスリング一家に生まれ、世界でもっとも厳しいとされる日本女子レスリングのトレーニングを経験してきた山本には、持久系、瞬発系、どちらのトレーニングにも免疫があった。40歳をすぎたいまも、彼女は両方のトレーニングを高いレベルで継続させている。本人曰く、「ボクサーがやっているような感じです」とのことである。

 驚いたのは、体力作りのためのトレーニングや、格闘技術のトレーニングについて語る彼女の口調が、あまりにも楽しそうなことだった。限界まで追い込む苦しみを思い出してしかめ面を浮かべるわけでも苦笑するわけでもなく──。

 「それはたぶん、わたしにいろいろとブランクがあったからだと思います。もしレスリングから離れる期間がまったくなかったとしたら、肉体的には問題がなかったとしても、気持ちの面で切れていたはずですし。いまはとにかく、始めたばかりの総合格闘技で習うことがいっぱいあって、自分で言うのもなんですけど伸びしろいっぱいの状態というか。だから楽しくて仕方がないんだと思う」

 13歳で全日本、17歳で世界のチャンピオンになった山本は、21歳のときに結婚し、最初の引退を経験している。計3度の結婚と離婚、そして出産を経験した彼女には、確かに一定期間のブランクがある。

 とはいえ、彼女がポジティブに捉えているブランクの期間は、体力や技術の修得を考えた場合、マイナスの面があるのも事実である。

 プロレスラーとして長く活躍し、30代後半で総合格闘技の世界に転じた髙田延彦などは、プロレスの世界にはなかった顔面への拳による攻撃に大いに戸惑ったという。拳が自分の方に向かってくると、瞬間的に目をつぶってしまったというのだ。この悪癖を、彼は最後まで克服することができなかった。

 山本が長く生きてきたレスリングの世界でも、拳による顔面への攻撃は完全に禁止されている。そのため、総合格闘技を始めてからの山本は、キックボクシングを始めとする打撃系の格闘技にも取り組んでいるのだが、彼女の場合、髙田が直面したような問題にはまったく出会っていないという。

 「たぶん、徹底的に反復練習をすれば修得できない技術なんてないんだって、レスリング時代の経験から信じているんだと思います。いまはできなくても、いつかはできる。20年たってやってもできなかったら、諦めますけど、でも、そのためにやったことはきっと何かの役に立つ。ですよね?」

 レスリング選手としての夢だったオリンピック出場が叶わなかったことをきっかけに、山本は総合格闘技の世界に身を投じた。

 「弟や長男が総合格闘技をやるって言い出したときは、わたし、大反対したんです。危ないから絶対にやめてくれって。息子のときは特にね。でも、その1年後にはわたしも同じ舞台に立つことになってしまいました」

 初めて立った総合格闘技の檜舞台『RIZIN』でのデビュー戦は、若い人気選手に完敗。続く2戦目も、アメリカの選手にいいところなく押し切られると、気の短い格闘技ファンの間では早くも「限界説」が囁かれるようになった。

 だが、山本は動じなかった。

 「レスリングだって、技を身につけても実戦ではかからない時の方が多いんです。そこで自分に向いてないってやめるか、ずっと練習して自分の持ち技にするか。そこが別れ道だったりするんですよ、選手って。自分が進もうとしている道の先に何があるかは、自分でわかっていたつもりだったので、何を言われてもまったく気にならなかったですね」

 そして迎えた今年の9月30日。彼女はかつてジョージ・フォアマンがやったのと同じことをやってのけた。

 デビュー第2戦で完敗したアメリカ人選手を相手に、周囲からすればまったく危なげない内容での完勝を飾ったのである。

 彼女は、数年前よりも明らかに強くなっていた。

 格闘技の世界では、勝利のためならば命を賭けても構わない、と考える者もいる。一時的な陶酔の感情でそう思う者がいれば、命を賭けなければ頂点になど立てるはずがない、と考える者もいる。

 その点、山本はちょっと異質である。

「実はわたし、結構タップアウトが早い方なんですよ。というのは、腕とか関節を極められるのはまだいいんですけど、絞技で落とされて、子供の前で意識失ったら子供達はショックだと思うので。だから、勝たなきゃいけないし、勝つために全力は尽くすんですけど、もう一つ、元気にリングを降りるっていう使命がわたしにはある。遠足と一緒で家に帰るまでが仕事。じゃないと、子供を守れませんから」

 楽しいから頑張る。子供を守るために無事にリングから降りてこられる身体を作る。それが、山本美憂のトレーニングの流儀である。

 きっと、彼女はもっと、強くなる。

【山本美憂プロフィール】

ミュンヘンオリンピックレスリング代表だった父・山本郁榮により小学生のころから弟の徳郁、妹の聖子とともに、レスリングの英才教育を施される。13歳で第1回全日本女子選手権に優勝。その後全日本4連覇を達成したが、世界選手権へは年齢制限により出場が認められなかった。1991年、17歳で初めて出場した世界選手権を史上最年少で優勝。その後、1994年と1995年に世界選手権を連覇。またその美貌で数多くのメディアにも取り上げられ、CM出演や写真集発売などアイドルアスリートのパイオニア的存在であった。3度の引退発表からの復帰を経て、カナダ・トロントに生活拠点を移し活動。2015年12月にカナダ国籍取得。カナダ代表としてリオ五輪出場を目指すも出場は叶わなかった。

2016年9月、RIZINさいたまスーパーアリーナ大会にて対RENA戦でMMAデビュー。

通算戦績3勝3敗(2018年10月現在)。


【インフォメーション】

Cygames presents RIZIN.14
【日時】2018年12月31日(月) 13:00 開場 / 15:00 開始
【会場】さいたまスーパーアリーナ
URL:http://jp.rizinff.com/_ct/17205387

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