古賀稔彦が負けられない宿命を背負った、兄弟対決の分岐。
兄弟対決が柔道人生のターニング・ポイントだった。古賀稔彦さんはそう言っていた。
「ぼくも高校のタイトルは獲ってましたけど、あの時点までは、あくまでも“古賀クンの弟”という位置づけだったんです。弟も頑張ってるけど、やっぱり兄貴の方が凄い。たぶん、ほとんどの柔道関係者は、そう見てたんじゃないかと思います」
古賀さんにとって、2歳上の兄、元博さんは柔道の師匠であり、人生の先輩だった。兄が進んだ道をなぞるように、弟は進路を決めてきた。大学1年ですでに国際大会での優勝経験のある元博さんは、日本柔道界にとって期待の若手でもあった。
そんな二人が、東京都新人体重別柔道選手権大会の決勝で相まみえることになった。兄は大学2年、弟は高校3年。世界を目指すには、どちらにとっても負けられない一戦だった。
勝ったのは、弟だった。
兄が弟に教えてきた腕ひしぎ十字固めによる一本だった。
「技に入る瞬間、一瞬迷ったかな。でも、一瞬でした。すぐ、腕を折るつもりで技に入りました」
2001年に刊行した自著『精神力』の中で、古賀さんはこう振り返っている。
『だが、ここで兄と全力で戦えずにいたら、私は勝負に徹することができなくなっていただろう。尊敬する相手だからこそ、妥協せず、全力でぶつかっていけたのだと思う。その後、兄から教わった背負い投げの練習がなければ、弟といえども甘えを許さなかった兄の指導がなければ、私の柔道人生は変わっていただろう』
注目を集めていた兄を倒したことで、確かに弟の人生は変わった。だが、弟に負けたことで、兄の人生も変わった。変わってしまった。
「それまでは、あくまでも兄が主役でぼくはその弟だったのが、この試合以降、完全に変わっちゃいましたね。主役はぼく。兄は“古賀クンの兄貴”」
たかが地方大会の1試合、と割り切ることが、元博さんにはできなかったのだろう。この敗北を機に、彼は世界への道をすっぱりと諦めた。以降、柔道界における古賀とは、ただ一人、古賀稔彦のみを指すようになっていく。
たった1試合の勝敗が、2人の柔道家の運命を、それも同じ家に生まれ、同じ親に育てられた2人の運命を、これ以上ないほど残酷に分岐させたのである。
古賀稔彦といえば、バルセロナの金メダル。直前の練習で大怪我を負い、およそ戦える状態ではなかったにも関わらず、奇蹟のような金メダル──そんな印象を持たれている方は少なくないと思う。少なくともわたし自身はそうだったし、4年前、ラジオの対談番組にゲストとしてお越しいただいた時も、バルセロナについてじっくりと話を聞く心づもりでいた。
もちろん、古賀さんにとってバルセロナの金メダルや、アトランタでの銀メダルは、忘れ得ぬ試合ではあっただろう。けれども、番組の中で彼が身を乗り出し、時に苦いものをかみしめるような表情になって振り返ったのは、高校3年生の時の兄弟対決だった。
大学を卒業した兄は、柔道人生にひとまずのピリオドを打ち、高校の教員となる道を選んだ。後に自分の代名詞となる一本背負いが、兄から伝授されたものであることを弟は誰よりもよく知っている。自分の現在が、兄の指導、そして兄の敗戦がなければありえなかったことも知っている。
弟は、自分のためだけでなく、兄のためにも、負けられない宿命を背負った。勝たなければ、兄の人生は、単なる徒花になってしまう。
だからなのか。自力で歩けないほどの状態になりながら、バルセロナの修羅場を勝ち上がり、金メダルを獲得することができたのか。自分に怪我を負わせてしまった吉田秀彦のためだけではなく、兄の人生をも背負っていたからこその、あの鬼神のような戦いぶりがあったのか──。
「兄弟対決の話、また改めて聞かせてもらってもいいですか?」
「いいですよ、いつでも来てください」
ラジオの収録が終わったあと、古賀さんとそんな会話を交わした記憶がある。勝った弟の話だけでなく、苦杯を喫した兄の話も聞いてみたくなった。
わたしにも弟はいる。兄弟仲は良くもなく悪くもなく、ごくごく普通といったところだろう。だが、弟とともに何かに打ち込んだこともなく、取り立てて思うところのないわたしでさえ、仮に兄弟対決になったとしたら、激しく逡巡しそうな気はする。仮に腕ひしぎ十字固めに入るチャンスが訪れたとしても、そこで「腕をへし折ってやる」とは思えない気がする。
兄弟の運命を大きく変えた一戦に臨むにあたり、元博さんは何を思ったのか。なぜ実力的にはまだ上回っていたはずの弟に一本を取られてしまったのか。
兄と弟、双方にじっくりと話を聞いた上、最後は兄弟であの試合を振り返ってもらう──
そんな企画ができたら面白いなとずっと思っていた。
だが、もう二度とそんな機会は訪れない。
訃報が日本中を駆けめぐったあと、様々なメディアが様々な関係者の声を取り上げていた。
元博さんの声は、見当たらなかった。メディアが聞きにいかなかったのか、はたまた深すぎる悲しみゆえの無言だったのか──。
この疑問が解ける日は、おそらく、来ない。
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