フリーワード検索

other2025.02.07

琉球ゴールデンキングスの永久欠番・金城茂之氏によるバスケットボールクリニックが、記念すべき第1回目を開催!(後編)

金城茂之インタビュー「行動力、周囲の支え、変わる勇気が切り開いた道―現役時代の原動力と未来への想い」

前編ではバスケットボールイベントについてお伝えしましたが、後編ではアルペングループマガジンによる琉球ゴールデンキングスの永久欠番・金城茂之さんの独占インタビューの模様をお伝えします。

前編はこちら


――今日のクリニックの感想をお聞かせください。

クリニックを行う際に、僕がいつも伝えているのは「時間を大切にしてほしい」ということです。最近、このような活動が全国的に広がってきているのはとても嬉しいことですが、参加するだけで満足するのではなく、何かをしっかりと感じ取ってほしいと思います。感じ取ったものを活かすのは、結局のところ自分自身です。そのために必要なのは「聞く力」と「行動力」です。

クリニックは単発のイベントなので、技術を深く教えるには限界があります。それでも、ここで学んだことをもとに「自分で学び取ろう」という姿勢を身につけてほしいですね。その積み重ねが、自分で「どうすればもっと上手くなれるか」を考える力につながります。そして、失敗を恐れずにどんどんチャレンジしてほしいです。

今日も序盤は消極的な印象もありましたが、時間を重ねるごとに積極的に取り組む姿勢が見えました。短い時間ではありましたが、僕から見ても成長が感じられる場面がいくつもありました。


――クリニック前の準備についてはどんなことをイメージされていますか?

クリニックは単発のイベントですが、それで終わらせないように心がけています。僕が大事にしているのは、バスケットボールを通じてその人自身の「自主性」を引き出すことです。ただバスケットボールを教えるだけではなく、その経験を学校や友達との関係、日常生活など次のステップに繋げられるようにしたいんです。

「家に帰った時に、何か良くなった」「学校や友達との関わりで少し変化を感じた」と思ってもらえるようなクリニックを目指しています。それを意識しながら、メニューを組み立てています。具体的には、沖縄県内のバスケットを実際に見た中で、「ここは改善したいな」と思った部分を中心に取り上げています。


――金城さんが小さい頃って、まだプロリーグもなかった時代で、今のようにBリーグを経験した選手に直接教えてもらえる機会もなかったと思います。当時、どのようにして上達を目指していましたか?

僕の場合は、とにかくシンプルに『ひたすらバスケットボールをする』という選択をしていました。幸い、家の近くに歩いて40秒くらいの場所にリングがあったので、最初は遊び感覚でやっていました。でも、やっていくうちに『もっと上手くなりたい』という気持ちが生まれてきたんです。

当時は今のようにYouTubeもなかったので、唯一の教材は“教育ビデオ”のようなもの。ビデオレンタル店で借りて、ひたすら真似して練習していました。それから、たまたまNBAの試合が録画されたビデオを見つけると、それを見て好きな選手の動きを真似する、そんな感じでずっと続けていました。とにかく“シンプルにやる”ことを心がけていましたね。」


――そんな金城さんが「バスケットボールでやっていこう!」と決意した、いわゆる“目覚めた瞬間”というのは、どのようなタイミングだったんですか?

これ、実は難しい質問で(笑)。当時、自分の中でプロバスケットボール選手になりたいという明確な目標はあまり意識していなかったんです。学校の卒業アルバムなんかには『プロバスケットボール選手になる』って書いてたりするんですけど、実際そこまで本気で考えていたわけではなくて。

“目覚めた”というより、大学1年生のときに日本でプロリーグのbjリーグができたんです。そのときに初めて『あ、プロってあるんだ』って気づいた感じですね。目指すべきものがそれまでなかったんですよ。

それまでは、もし目指すとしたらNBA。でも、子供ながらに『それはさすがに無理だな』ってわかってました(笑)。だから、どちらかというと『22歳まではやれることをやり切ろう』くらいの気持ちで続けていました。

でも、大学3年生の頃になって、自分の中で少しずつ“上手くなった”という感覚が芽生えてきたんです。それが22歳でトライアウトを受けたきっかけでもあります。『ここで終わるのはもったいないな』という思いが初めて出てきたんですよね。それが大きな転機でした。


――2007年から2021年シーズンまで長きにわたり現役生活を支えた原動力とは何だったのでしょうか?

そうですね、振り返ると、やっぱり『行動力』が大きかったと思います。実際に自分で動かないと何も変わらないってことを、身をもって学びました。それを教えてくれたのは、これまでお世話になった方々のおかげです。行動力と、周りの人に支えられたこと、そして自分自身が『変わる勇気』を持てたこと。これが一番大きかったと思います。

ときにはプレースタイルもガラッと変えました。もし変えられなかったら、多分もっと早く引退していたと思います。行動力、周囲の支え、変わる勇気、この3つが、自分を突き動かしてくれた原動力でしたね。


――クリニックで子どもたちに伝えるメッセージには、ご自身の経験が反映されているんですね。

自分自身が経験して、『これは良かったな』と思ったことを必ず伝えたいと思っています。コーチとして2年間やった経験も、自分の感覚を大きく変えてくれました。

選手時代はどうしても、自分のことを最優先に考えていました。でもコーチになって、チーム全体を俯瞰して見るようになったんです。選手やスタッフ、会社全体のことを考えるようになって、『どういう選択をするのがベストなんだろう?』っていう視点を持てるようになりました。そういう意味では、バスケットボールに対する考え方や捉え方が、現役時代と比べて大きく変わったと思いますね。


――その視点を持った状態で現役時代に戻れたら、どんな違いがあったと思いますか?

間違いなく違ったと思います。もっと無駄を省けたし、自分をさらに追い詰めて、効率的に追求できたんじゃないかなと思います。それを思うと、今の自分が伝えられることをどんどん次の世代に継承していきたいという気持ちが強いですね。


――クリニック活動を通じて、沖縄地域にどんな影響を与えたいと考えていますか?

正直、まだ大きな影響を与えられているとは思っていません。僕自身がもっと発信力を高めないといけないと感じています。こうしてクリニックに協賛してくれる企業さんがいるおかげで発信力が広がりますが、それでも活動は1日限りの場合が多いんです。その1日をどう活かすかが大切で、参加者たちがこの経験をきっかけに頑張ってくれるように、僕自身も話す練習や伝える能力をもっと上げていかなければと思っています。


――今後もスポーツデポと協業したクリニックが続きますが、思い描いていることはありますか?

正直、体力的にはきつい部分もありますが(笑)、引き続きバスケットボールの裾野を広げるために頑張りたいと思っています。やっぱり競技人口が増えないと競争力も高まらないし、レベルアップにも繋がりません。そのためにも、地域で『バスケットボールが盛り上がっているらしい』といった流れを作っていきたいですね。何かのきっかけになれるような活動を続けたいと思っています。自分自身の影響力はまだまだ小さいですが、もっと頑張りたいと思っています。


――日本バスケットボール界がさらに世界に近づくためには、何が必要だと思いますか?

僕が言うのもおこがましいですが、競技力の面で言うと、シュート力の向上が絶対に必要だと感じます。2年前の沖縄で行われたワールドカップで、現地で試合を観た方々が口を揃えていたのが、『世界のシュート力は桁違い』ということでした。プロの選手はノーマークのシュートを決めて当たり前、という感覚なんです。でも日本ではノーマークのシュートでも決めるのが難しいと感じてしまうことがあります。世界のトップ選手たちは、ノーマークはもちろん、どんな状況でも高確率で決めてきます。その違いを埋めるためには、シュート力の向上は必須ですね。

さらに、バスケットボールの組織力も上げる必要があります。僕はバスケットボールがサッカーの“後追い”だと思っていますが、サッカーのように圧倒的なスター選手がもっと出てほしいです。たとえば、世界中が注目するような存在が現れることで、競技そのものの価値も上がると思います。そのためには、小さい頃からの育成が本当に重要だと感じています。どうやってスター選手を育てていくのか、毎日のように考えています。やっぱりスターが出てくれば、日本のバスケットボール界も大きく変わると思います。


――10年後、20年後の金城さんは、どんな自分でありたいと考えていますか?

そうですね……ただ、一つ言えるのは、体育館には立っていたいですね(笑)。今は1人でやっているので、将来的には一緒に活動できる仲間が欲しいなとも思っています。60歳になっても、変わらずバスケットボールを追求して、常にアップデートし続けられる自分でありたいですね。バスケットボールはどんどん進化していくので、現状に満足することなく、常に新しいことを学び続ける姿勢を忘れずにいたいです。

BUY NOW

SEARCH フリーワード検索