間寛平(芸人)大阪マラソンゴール後に単独インタビュー「沿道にいる人達の力が凄くて勇気づけられました」
「かい~の」、「 アヘアヘアヘアヘ」、「ア~~~~メマ‼」など、ヒットギャグを多数持ち合わせる芸人間寛平氏(69歳)。間寛平氏は30代からマラソンを始め、アースマラソンでは病気とも闘いながら地球1周4万1000kmを走り切った日本が誇るランナーでもある。2018年11月25日、間寛平氏が大阪マラソンでの激走を終えた後に、単独インタビューに応じていただいた。
――大阪マラソン、お疲れ様でした。走ってみていかがでしたか?
寛平:ありがとうございます。走っていて、自分は本当に年をとったと思いましたね。30代、40代の頃はガムシャラに走っていましたけど、それをできなくなりましたから。
――どのようなペース配分で走りましたか?
寛平:今回は、10kmを1時間で走ることを計算しながらゴールまで進みましたね。
昔ですと10km位ならいけるところまで、「これでもかー!」いう位に走っていって最後は潰れていました。それで3時間台でゴールをしていましたね。
――今回のタイムはいかがでしたか?
寛平:大阪マラソンでは、4時間25分58秒でしたね。
――私は15km辺りで足首を痛めてしまい、5時間5分でした。
寛平:そうですか。マラソンはしんどいですからね。
――沿道からの声援が素晴らしかったですよね。
寛平:大阪マラソンは、沿道にいる人達の力が凄いので勇気づけられましたね。僕が69歳ということを皆さん知っていますから、「寛平ちゃん、頑張れー!」と声援が途切れなかったですよ。
「カンペーちゃんが、これだけ頑張っていることを私のお父さんにも言っておきます!」という声を、最近よく聞きますね。
――素晴らし過ぎます。ゴールをしていかがでしたか?
寛平:いやー、しんどかったですよ。65歳を過ぎてから、お尻の筋肉がなくなってきましてね。お風呂に入ると分かりますが、お爺ちゃんはお尻がぺっちゃんこでしょ。筋力がないから走っていて足が持たないんですよ。股関節がグラグラになって外れそうになるんです。昔は筋肉があるからガーッ!と走っても筋肉が足を守ってくれていましたからね。
――そのような状態でも走れるわけですから、物凄いと思います。
寛平:いやいや、全然ですよ。今回は足が外れかけましたからね。
――走っていて、新しいギャグは誕生しましたか?
寛平:あはははは(笑)何を言うてるんですか(笑)。しんど過ぎて、それどころではないですわ。
――そうでしたか。ミズノのランニングシューズで走ってみて、いかがでしたか?
寛平:シューズは足にかなり優しくて、走りやすかったですね。若い時は、ソールがもっと薄いのを履いていましたけど、今回は丁度良いものを履いて走りました。ソールが厚過ぎても走りにくいですから、今の自分に1番合ったものをミズノさんが選んでくれましたね。
――ウェアの着心地の感想もお願いします。
寛平:汗をかいても乾きが良く、軽くて温かいので着やすいですね。パンツも靴下も良いと思います。今着ているジャケットも温かいですから助かります。
――寛平さんは、なぜ走り始めたのですか?
寛平:私が34歳の頃に、池乃めだかちゃんと飲みに行き、自分が瀬古利彦さんデッドヒートした夢を見たことを言ったんですよね。すると、めだかちゃんに「走ってみたら?」と言われて走り始めましたね。
それから煙草もやめてトレーニングを開始しました。距離は5kmとか10kmでしたけどね。それを知った吉本興業の社長がビックリして、「青梅マラソン30kmでタイムが3時間を切ったらギャラを倍にする」という話になって一生懸命走るようになりました。
――世界一周マラソンにも挑戦されましたね。
寛平:24時間マラソンやアースマラソンで走ると、日本でランナーがドーン!と増えたらしいですね。あと女性をターゲットに「ユニフォームやシューズを派手にした方が良い」って言ったんです。それからランニングがオシャレなスポーツへと変わっていった気がします。
――最後にランニングやマラソンを続けるためのアドバイスをお願いします。
寛平:1人で速く走ろうとしないことですね。健康のためにも、ゆっくり楽しく一緒に走ることができる友達を作ったら良いと思いますよ。
昔は1人で頑張って走る人が多かったですが、最近は笑顔で楽しく走っている人が多いから素晴らしいと思います。
(C)大阪マラソン組織委員会