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running2021.06.23

山縣亮太の日本新記録にみる、陸上短距離界を支えるギアの進歩

96年のアトランタ五輪の出場権を獲得するまで、日本サッカーは13大会連続で世界大会への出場を逃してきた。銅メダルを取ったメキシコの記憶ははるか遠くに過ぎ去り、現場で戦っている選手や、それを取材する記者が、世界大会は自分たちと縁のないもの、と心のどこかで思い込んでいた。

ところが、28年ぶりの五輪本大会出場を果たしてからの25年、日本サッカーはただの一度も五輪、W杯への出場を逃していない。

では、日本のサッカーはアトランタ五輪を機に劇的に強くなったのか。それまではいなかったような、新たな才能が噴出してきたのか。

そう、ともいえるし、違う、ともいえる。

98年のフランスW杯に出場したことで、日本人全体の意識が変わったことは間違いない。W杯は、もはや夢物語ではなく、現実的な目標となった。出場を重ねるうち、目標は「出ること」から「勝つこと」に変わりつつもある。以前であれば苦境に立たされると「ああ、やっぱり」と思うしかなかった選手は、「いや、大丈夫だ」と考えられるようになった。「やっぱり」対「大丈夫」。どちらの方が勝つ確率が高いかは言うまでもない。

ただ、アトランタ以前の選手たちに才能が、資質がなかったのかといえば、答は断じて「No!」である。彼らに欠けていたのは自分たちの可能性を信じる力であって、力自体は後進たちにまったく劣ってはいなかった。むしろ、粗削りな分、強み、武器としての部分は現在の選手より明確だったかもしれない。

陸上の短距離についても、同じことを感じる。

日本サッカーが世界とかけ離れた存在だった頃、日本のスプリンターにとっての9秒台は、ひょっとすると日本人サッカー選手にとってのW杯よりもさらに遠い存在だった。理路整然と、なぜ日本人が9秒台に突入することが不可能なのか、教えてくださった専門家もいた。骨格、筋肉量、人種的遺伝──それはもう、見事なぐらい完璧な理論に思えた。

あの方はいま、どうしているのだろう。



17年9月、桐生祥秀が日本人初の9秒台となる9秒98を叩き出してからの4年間で、日本には4人の9秒台で走る選手が生まれた。4番目の9秒台選手にして、9秒95の日本新記録を達成したのが、6月10日で29歳になった山縣亮太だった。

長く世界の頂点に君臨し、五輪3連覇を達成したウサイン・ボルトにしても、自己ベストを叩き出したのは09年、彼が23歳のときだった。もちろん、30歳で自己ベストを出したカール・ルイスのような例もあるため、一概にはいえないのだが、初の9秒台、初のナショナル・レコードが29歳になってからというのは、だいぶ遅咲きといっていい。

ただ、違った角度から見てみれば、「自分たちには無理だ」という心理的な壁さえ取り去ってしまえば、20代後半になってからでもアスリートは化けることができる、とも言える。あるいは、それだけ日本人を縛っていた9秒台への呪縛は強かったのだ、とも。

03年の世界陸上パリ大会200メートルで末次慎吾が銅メダルを獲得したとき、日本はもちろん、欧米のメディアまでもが「非ネグロイド最速の男」と絶賛した。短距離=ネグロイド(黒人)という思い込みは、半ば世界の常識でもあった。

だが、末次が開けた天井の小さな穴は、北京五輪の4×100メートルリレーにおける銅メダル獲得(後に銀メダルに繰り上がり)によってさらに広がり、桐生の9秒台突入によって天井自体を打ち砕くまでに至った。いまや、才能あるスプリンターは、何のてらいもなく9秒台を狙うようになっている。

──と、ここまではガラスの天井を打ち破った98年以降、連続して世界大会に出場している日本サッカーと似たような道筋なのだが、陸上短距離の場合、こんなにも成績が向上したのには、もう一つ、見逃せない要因がある。

ギアの進歩、である。

数年前、彗星のように現れたナイキの厚底シューズは、長距離界の歴史や常識を一変させた。最初は冷やかな視線を送っていた他のメーカーも、いまやなりふり構わず同様のコンセプトのシューズを手がけるようになった。

同じことが、短距離界でも起きている。



メーカーによって多少の差異はあれ、短距離用のシューズに求められるのは、一にも二にも軽さだった。極論すれば、素足の裏にトラックを噛むピンが生えたように感じられるスパイクが理想像とされた。

ところが、ナイキが厚底でそれまでの常識を覆したように、短距離用のシューズでは日本のアシックスが革命的な一足を産み出した。強いグリップを生む反面、トラックに刺さり、抜ける時間がかかるスパイクピンを廃止し、カーボンによるほぼフラットな靴底を持つ新製品を送り出したのである。

ナイキの厚底を他のメーカーが無視できなくなったように、アシックスが作り出した斬新なシューズは、じわじわと各メーカーに影響を及ぼしつつある。

ちなみに、使用競技も違えば形状もまったく違う厚底とピンなしシューズだが、実は一点、共通している部分もある。

それは、カーボンの反発性能を利用しているということ。従来のシューズが人間の筋力だけで推進力を産み出していたとしたら、厚底もピンなしも、硬いカーボンが曲がりを跳ね返そうとする力を利用している。

こうした革命的なシューズの出現も、日本の短距離界に続々と9秒台で走る選手が生まれていることと、無関係ではあるまい。

いまのところ、9秒台で走った日本人の4人、山縣亮太と小池祐貴の使用シューズはナイキ、サニ・ブラウンはプーマ、桐生祥秀がアシックスで、彼だけがピンレスのシューズを使用している。

誰が五輪への切符を手にするのか。どのシューズが、大舞台で9秒台に突入する日本人スプリンターを産み出すのか。タイムだけでなく、足元にも注目したいわたしである。

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