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football2018.09.27

稲本潤一 アーセナルに渡った理由【インタビュー後編】

[前編は こちら ]
 

――高校を卒業してプロ契約してからナイキと契約されましたが?

稲本 当時、スパイクは何でも選べました。
見た目よりも触った感じを大事にしてました。
革の柔らかさと履いてみた時のフィット感を重視していて、柔らかいカンガルー革を好んでましたよ。

――その後にガンバで活躍したじゃないですか。なぜ日本に留まらずにアーセナルを選んだんですか?

稲本 1999年のワールドユースで準優勝したのですが、僕は怪我をしていて決勝戦は後半の45分間のみのプレーでした。決勝の相手のスペインの上手さだったり、技術の高さが凄くて、それ以降は彼らとの差をどう埋めるかということばかり考えていました

ワールドユースの時点でガンバではレギュラーで出ていたんですけど、このまま出てても彼らとの差は埋まらないと思ったのが海外を目指したきっかけです。

――決勝戦は0-4でしたが、他の試合では日本代表は良い試合をしてましたよね?

稲本 そこそこ通用していて、僕らも出来たんですけど、決勝は伸二(小野伸二)も出場停止で出てなくて、結構な差を感じました。
バルサでやっているシャビを見て「Jリーグでこのままやっていて差を縮められるのか?」と自問自答していました。

当時は中田英寿さんや名波浩さんが海外でやっていて、より海外を意識する環境があったのも大きかったです。
 

――アーセナルではどうでした?

稲本 レベルの差を痛感しました。
ただ、この環境でやっているのは後々プラスになるのはわかっていたんです。

――傍目から見てるとそれまでの稲本さんのサッカー人生は順調で、ベンチにも入れずスタンドから試合を見るのは初めてですよね。挫折感はあったと思いますが?

稲本 そういうのを経験するために海外へ来たと思っていました。
2001年までは順調でしたが、このままではダメだなという気持ちがあったんです。
それを変えたくて海外移籍をしました。
アーセナルで試合に出れないのも想定内だったんです。

――アーセナルから移籍をしたきっかけは?

稲本 「アーセナルで試合に出れないことが当たり前」って自分の中でなってしまったんです。
レベルが違いすぎて。
「それは違うな」と思いもっとチャレンジせねばと考えフルハムに移籍しました。

――フルハムではコーナーキックを蹴ったりフリーキックなどのセットプレーも蹴ってましたよね。ハットトリックしたりと凄く活躍されていたのを覚えています。

稲本 セットプレーを蹴っていたこととか良く知ってますね(笑)
フルハムでは試合に出たいという強い気持ちがあったので、まあそれなりに出来てました。

――その後にプレミアリーグのチームへ複数行ってからトルコへ行きましたよね。プレミアリーグとトルコリーグの違いを教えてください。

稲本 プレミアのサポーターももちろん熱いですが、トルコのサポーターの熱は凄かったです!
彼らの夢中になれることが、サッカーやスポーツで、サッカーへの熱が半端ないんですよ。

フェネルバフチェやガラタサライなどイスタンブールのチームのサポーターは物凄く熱かったです。
人生はサッカーしかないくらいの勢いで凄い応援をしてくれました。
 

――トルコのサッカーは?

稲本 激しさがあります。
洗練されたサッカーではないですが、ガラタサライに勝とうとする下位のチームは激しいし、球際の強さはありましたね。

――トルコ特有の難しさはありましたか?

稲本 注目度が高くて、そのしんどさはありましたが、そこまで新聞を読まなかったので、プレッシャーはそんなには感じませんでした。
言葉も理解出来なかったので、気にしないようにしてました。

私生活では外に出ると顔を指刺されたり、ミーハーというかサッカー選手への期待値が高くて声をかけられることも沢山ありました。
ただトルコ人は親日家で、めっちゃ優しかったですよ。

――グラウンドはいかがでした?

稲本 ヨーロッパは全般的に緩くて柔らかいグラウンドだと思います。
固定のスパイクで試合に出たのは日本くらいです。
ヨーロッパでは固定で出たことはほぼないです。

――当時ミックスソールのスパイクはありましたっけ?

稲本 ないです。ホペイロの人がオリジナルで作ってくれてました。

――取り換え式のスパイクは足に負担がきますよね?

稲本 そうなんです。でもグラウンドの柔らかさを考えるとポイントの高さを考えないとダメですし、グラウンドをチェックして、緩いピッチの時は長めのポイントを選んでました。

――トルコの次はドイツのブンデスリーガですよね?フランクフルトはいかがでした?

稲本 ドイツのスタジアムは素晴らしい環境やホスピタリティでした。
お客さんに対するおもてなしが凄かったのを覚えています。

大きいスタジアムが多くて、フランクフルトはスタジアムの中央に電光掲示板がある素晴らしいスタジアムでしたよ。
 

――ドイツのサッカーは?

稲本 日本のサッカーと多少似てると思いました。
より戦術的なチームが多いですね。

――その後にフランスのレンヌに行かれていますが、個人的にも稲本さんのレンヌ時代の記憶があまりないんですが?

稲本 半年しかいなかったんです。身体能力の高い選手が多かったですよ。
常に一対一の個々での勝負が多いんです。
身体能力の高い相手に対して、個々の勝負を強いられるので、日本人にはなかなか難しいリーグでした。
酒井宏樹選手がマルセイユで活躍してるのは純粋に凄いと思います。

――フランスは移民の選手が多いですよね?

稲本 予測不可能な身体能力を活かしたプレーが出てきたり、スピードの速さが出てきたりするのでそれに対応するのに苦労しました。

――計4ヶ国でプレーされてきましたが、海外でプレーしたいという目標がある少年や若い選手へアドバイスをお願いします。

稲本 英語が出来るのと出来ないのではコミュニケーションを取る上で全然違います。
生きた英語を聞いたり使う習慣を学校の勉強だけでなく、外国人と子供の頃から接することで学んでいくことが大事だと思います。

海外移籍をしようと思った時に家庭教師を付けましたが、現地に行って覚えるのと日本での勉強は全然違うと感じました。

日本で出来ることは外国人と接することが1番かな。
単語や文法をただ覚えるのはダメで実際に話したり聞いたりしないと。
受験勉強の英語だけではなかなか現地では通用しないと思います。

――サッカーの面でもアドバイスをお願いします。

稲本 基礎が大事です。そして、より志を高く持って欲しい。
今はプロになる前にヨーロッパへ行ける環境にもなってきています。
どこで誰が見てるかわからないので、昔に比べたら明らかにチャンスは広がってますよね。
決してJリーグ を軽視してるわけじゃないですが、より高いレベルを目指して欲しい。

今回のワールドカップでも国内の選手のスタメンは昌子選手の1人しかいないですよね。
もっともっと海外で揉まれて活躍する逞しい選手が増えていって欲しいなって思います。

(了)

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