藤田憲右(トータルテンボス)│一度野球を失った“後悔”があるからこそ、芸人としての自分がいる【後編】
お笑い界でも随一の野球好きとして有名な、トータルテンボスの藤田憲右さん。高校時代は野球部でエースとして活躍した経歴を持ち、「高校野球大好き芸人」としてもおなじみ。現在は草野球チームで、大人になってからもプレーヤーとして野球を続けている。
しかし、そんな彼のこれまでの野球人生では、一度野球から離れ、「野球を“嫌い”になった」時期があったという。それでも、再びここまで野球にのめりこみ、「みる」「する」両方の立ち位置で野球を続けるようになるまでに、どんな経緯があったのか。また、お笑い芸人としての道のりに、野球が与えてきた大きな力とは。
野球関連でのメディア出演も多く、情熱たっぷりに野球への愛を語る姿が印象深い彼に、「自分自身の野球人生」について話を聞いた。
藤田憲右(トータルテンボス)│一度野球を失った“後悔”があるからこそ、芸人としての自分がいる【前編】はこちら
(本人提供画像)
■燃え尽きた人にこそ、草野球をやってほしい
──現在、藤田さんは草野球チーム「アフロモンキーズ」で野球をプレーされています。大人になってから、プレーヤーとしてもう一度野球をやってみようと思ったのはどうしてだったのですか?
野球の知識をあれこれ得るうちに、技術やトレーニング理論についても興味を持つようになって、「あのときの自分、もっとこうすればよかったのかな」と振り返ることが増えていって……また自分の身体で野球をプレーしてみたいと思うようになったんです。それが、草野球を始めたきっかけですね。今さら高校時代のような動きはできないけれど、これがいいあれがいいって、いろいろ試しながらトレーニングするのは楽しいですよ。それから、思いっきり着飾るのも楽しい(笑)。リストバンドも、プロ野球選手が着けているような今風のストレッチ素材の薄いやつにしたり、サングラスをかけたり。大人になったからこそ、こだわれる部分も増えているんですよね。
──今ではどれくらいのペースで草野球に参加しているのですか?
基本的には週に1回、リーグ戦の試合をやっていて。もちろん行けるときもあれば行けないときもあるんですけど、できるだけ参加するようにしています。お笑い芸人のチームが7、8つ集まって、1年間リーグ戦をやっているんです。しかも、今僕は2チーム掛け持ちです。
──草野球でプレーするのと部活動で野球をプレーするのには、どんな違いがあると感じていますか?
さっき、部活時代は悔しくてつらい気持ちをたくさん味わったって言いましたけど(前編記事にて)、基本的に野球をすること自体は楽しかったので、それは今も昔も変わりません。草野球では、珍プレーみたいなのがあると笑いも起こるけれど、根底にある「勝ちたい」という気持ちは学生時代と同じ。僕たちのチームは、ちょっと適当なプレーがあると「ちゃんとやろうぜ!」と声をかけ合う雰囲気があります。怒ったりっていうことではなく、みんなが勝ちたいと思っているからこそ「ちゃんとやろう」と。たとえ遊びでも、「野球」としてプレーしている以上は、なあなあになってしまうと相手にも失礼なので。ある程度真剣に取り組んでいますね。「楽しむけれど、やるからには一生懸命」です。僕、野球が好きなんですよね、本当に。
──世間では、学生時代に燃え尽きてしまって、そのまま野球から離れてしまったという声もよく聞きます。そんな人たちに草野球の良さを伝えるとしたら、どんなことを伝えますか?
燃え尽き症候群とか、高校の練習がキツすぎてやめちゃった人とか、なおさら草野球に合っていると思いますよ。1回は、野球を嫌いになっているじゃないですか。でも、僕もそうだったように、根底では逃げているだけで、心のどこかでは好きなはず。そういう人たちにこそ、草野球で純粋に楽しさを味わってみてほしいです。燃え尽きるほど真面目にやってきた人なら、きっと草野球ではヒーローになれますし。僕の周りも、一度その面白さを味わって、そのままハマってしまった人ばかりですよ。
■好きなことを、もう手放したくない
──これまで野球をしてきたなかで、お笑い芸人の活動にも活きていることはありますか?
僕の場合、野球がなかったらお笑い芸人として生きていくようなこともなかったと思います。さっき(前編)も話したように、大学に入って1度野球をやめたことをめちゃくちゃ後悔したんですよ。1浪したから、同い年に敬語を使わないといけなくなるのが嫌だとか……くだらないプライドが邪魔をしていた部分もあった。僕は上原浩治投手も同学年なんですけど、僕がまた野球を見始めたタイミングは、彼がドラフトにかかった年でもあったんです。彼は浪人しても野球を続けてプロ野球選手になり、ゆくゆくはメジャーリーグで活躍するほどのスター選手になる。一方で、僕は野球をやめた。同じ状況に立たされて野球を続けた人が、あんなにすごい選手になったっていう事実もあって、「うわー俺が間違ってたな」ってすごく後悔しました。それで、お笑いでは後悔したくないなと思ったんです。僕、それまで一番得意なことといえば野球だったんですよ。でも野球をやめたとき、じゃあ次に何が得意かって思いついたのが、人を笑かすことだった。だから、得意なこと、好きなことを、もう二度と手放したくないっていう思いが根底にあって、ここまでお笑いを続けてこられました。多少つらいことがあっても、「野球をやめたとき、あれだけつらかったでしょ」って思えば頑張れるんです。
──では、取り戻すことができた「野球」も、もうやめることはきっとないですね。
そうですね。まあ、プレーするのは年を取っていつか限界がくるかもしれないですけど、できる限り携わっていきたいですね。自分の夢は、「お笑いで野球に恩返しすること」。野球のおかげでお笑いを続けてこられたので、野球界の発展に何かしら貢献していければいいなと思ってます。
■大人も子どもも楽しめる“野球フェス”開催を目指して
──今後野球界のためにやってみたいことで、何かイメージされていることはありますか?
今、野球人口がすごく減っていると言われていますよね。特に少年たちが、みんなサッカーに行っちゃっているので。うちの小学生の息子も少年野球やってるんですけど、嫁がママ友から「なんでサッカーじゃなくて野球なの?」と言われるらしいです。今のまんまだと、100年後には完全に野球は衰退してしまってると思うんですよ。だから、なんとか少年野球の裾野を広げていけたらなと考えています。これはまだまだ野望として抱いているだけなんですけど、少年野球の春の全国大会をつくりたい。中学以降は春・夏と全国大会があるのに、少年野球は夏の全国大会しかないんです。小学校のうちから全国への道を体感として覚えられれば、きっとさらに野球界のレベルアップや盛り上がりにもつながるはず。幸いにも僕は吉本という大きな会社に所属しているので、いつか「吉本カップ」みたいな形で実現できたらうれしいです。吉本はプロ野球選手のマネジメントもやっているので、野球教室なんかもできそうですし。会場には、お笑いのステージがあったり、企業のブースや、整骨院のケア施設なんかも出展してもらって……ひとつの大きな「野球フェス」みたいなものにできたら、めちゃくちゃ面白そうじゃないですか?
──「野球フェス」とっても素敵です。少年野球の広がりにつながるのはもちろん、大人も楽しめそうですね。
そうですよね。優勝や準優勝のほかにも、面白いプレーをした人には「吉本賞」みたいなのをあげてもいい。活躍した選手だけじゃなくて、良い声が出ていた選手には「いい声で賞」とかがあると、レギュラー以外の子たちにとっても励みになると思います。そういう視点で、勝ち負け以外の視点から盛り上げるのは、僕たちだからこそできることもあると思っています。「野球フェス」、いつかかならず実現したいですね。
#プロフィール
藤田憲右
1975年生まれ。お笑いコンビ「トータルテンボス」のツッコミ担当。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。静岡県御殿場市出身。小学校3年生から野球を始め、静岡県立小山高校ではエースとして活躍。「高校野球大好き芸人」としてもおなじみ。